第8話 エルマー・フレッド

 アシルは辺りに誰もいないことを確認する。

 暗い夜道ではエルマーがひとり、子供を入れていると思しき大きな荷物を担いでどこかへ行こうとしている。

 ミシェルが地上の路地裏で呟く。

「このまま奴をつけて、どこへ売りに行くのか確かめた方がいい」

「子供を放っておくっていうの?」

 サフィアの咎めるような小声が聞こえる。

 レブラスも同意する。

「そうだぞ。エルマーを捕まえたって、子供が売られた後だとその子を助け出せなくなる。あいつを止める方が先決だ」

 アシルはメンバーがいる路地裏を見下ろす。

 アシルとしては今殺すのか後で殺すかの差があるだけだが、子供は助けたい。

 ミシェルの指示を待つ。慎重に動くとみんなで決めたからには、一番冷静なミシェルの指示を待った方がいい。

「……わかった。ここで止めよう。大事なのは子供を助けることだ」

 ミシェルは呟き、屋上のアシルに目で合図を送ってくる。

 アシルは頷きを返した。

 アシルは身を低く保ちながら、隣の建物の屋根に飛び移る。

 足場になりそうなものがあるなら、塀だろうが屋根だろうがロープの上だろうが、アシルはバランスを崩さずに駆け抜けることができる。

 歩くエルマーの背を捉えながら、アシルは奴から一番近い屋根の上で止まる。上から銃で仕留めたいところだが、エルマーは子供を肩に担いでいる。

 ここの角度からでは、少しでも狙いが外れたら子供が危ない。万が一にも子供を手にかけるわけにはいかない。ヘッドショットで仕留めるのは難しそうだ。

 アシルがいる建物の裏に他の四人も移動している。アシルはレブラスに目配せした。近接で仕留める方が容易いだろう。

 レブラスは剣に手をかけながら頷いた。レブラスは剣に手をかけたまま路地裏から飛び出していった。

「そこまでだ、エルマー・フレッド!」

 レブラスがエルマーの後ろ姿を走って追う。

 ミシェルとサフィア、ルイは路地裏に潜んだまま動かない。三人はバックアップなので待機することになっている。

 エルマーは肩を大きく震わせて振り返ったが、出てきたのが少年だと知って余裕そうな態度だ。

 エルマーは、まだこっちが取引現場を目撃したことを知らない。何とかやり過ごそうと穏やかな声色でレブラスに話しかけた。

「何だ、子供か。こんな時間にどうしたんだい。早く家へ帰りなさい」

 レブラスは黙ったまま腰の剣を抜いて、切っ先をエルマーに向ける。抜かれた細身の剣は青緑色に淡く輝いていた。

 エルマーが目の色を変える。

「その輝きを放つ剣、それにその制服と帽子……。まさかとは思うが、それは〈聖剣〉か?」

 エルマーはジャケットの中に手を差し込もうとする。

 レブラスが叫ぶ。

「動くな! 動いたら即刻切り捨てる!」

「やっぱり! 〈聖騎士〉のレブラス・スペンサー伯爵!」

 聖剣と騎士の制服があれば誰だってわかるだろう。

 彼は制服と帽子を大事そうにずっと身につけているし、本名を名乗っている。バレやすくなるからやめろと言っているのだが、騎士としての自分を捨てる気はないらしい。おまけに闇討ちをせずに事前に交渉を持ちかけることが多い。面倒なところで誇りにしがみついている奴だと思う。

 レブラスはこの国で一番位の高い〈聖騎士〉なのだ。

 騎士になったとき、レブラスは正式に伯爵家の当主になったらしい。十代で国のトップの騎士になり、伯爵家を背負うことになったのだから、当時はちょっとした話題だった。

 だがレブラスは、今は国に追われる犯罪者だ。

「こいつはすげえ。〈聖騎士〉を警察に突き出せば、一攫千金も夢じゃない……! ツイてる……!」

 エルマーは下卑た笑みを浮かべてレブラスを眺め回している。

 レブラスが遅れを取るとは思わないが、エルマーの余裕そうな表情。それに懐に手を差し込もうとしたところを見ると、おそらく上着の中に銃がある。

 アシルは小型のナイフを取り出し、エルマーへ向けて狙いを定める。レブラスはエルマーと対峙したままだ。

「自首するんだ、エルマー・フレッド」

「自首だって? 自首をするのはそっちじゃないか?」

 エルマーはあくまでとぼける気らしい。

「お前が罪のない子供を誘拐し、その子供を売り払って金を得ていることは知っている! 警察に自首するなら何もしない。まずは担いでいる子供を離せ!」

 エルマーはゆっくりとした動作で担いでいる袋を歩道に横たえ、立ち上がった。

 やけに素直だが、あのレブラスを見る貪欲そうな視線。

 とても諦めて自首をするようには見えない。

「ハハ……、ご免だぜ。これからたんまり稼いで、手品なんかしなくてよくなるってときに……」

 エルマーは素早く懐に腕を突っ込んだ。

 レブラスが同時に地を蹴り、エルマーに向かっていく。

 エルマーが銃口をレブラスに突きつける。エルマーの動きが、狙いを定めるために一瞬止まった。

 それだけで十分だった。アシルは瞬時に手にしたナイフを投擲する。放たれたナイフが、エルマーの手に突き刺さる。

 短い悲鳴を上げ、エルマーは地面に銃を取り落とした。レブラスは隙をついてエルマーに一気に間合いを詰めた。

 手に突き刺さったナイフをエルマーが抜き取り、抜いたナイフをレブラスに投げつけた。ナイフの投擲が鋭い。手品師ならナイフ投げくらいはできるかもしれないと思った。

 レブラスは咄嗟にナイフを剣で弾いた。

 意表を突いた方がいい。アシルは大振りのナイフを手に、屋上からエルマーの頭上へと飛びかかる。それに気づいたレブラスが後ろに下がる。

 エルマーの上に覆い被さり、ナイフを突き立てた。が、エルマーはナイフの刃を手のひらで受け止めた。血がエルマーの顔にかかる。ナイフを持つ手ごと動きが止められてしまう。

 エルマーはナイフを手に刺したまま、反対の手でアシルの首を掴みにかかった。防ごうとしたが間に合わない。

 アシルは十四歳の子供だ。大人の男の力には真っ向からでは敵わない。ただの手品師だと思っていたが、修羅場慣れでもしているのか。

「アシル!」

 サフィアが名を呼ぶ。

 冷たい風が唐突に辺りに吹きつけ、激しい雪が風とともに吹き抜けていった。エルマーが怯んだ隙にアシルは腕を振りほどき、ナイフを離してエルマーから一度距離を取った。

 サフィアが魔法を放って立っていた。

 アシルはサフィアとエルマーの間に立つ。

「大丈夫?」

「ああ、悪いな。もう大丈夫。下がってろ」

 エルマーは辺りが氷で覆われたことに驚いたようだが、すぐに立ち上がった。

「オレの賞金首……! 絶対、手に入れてやる……!」

 エルマーはぶつぶつと呟いている。

 怪我をしていない方の手で落ちた銃を拾われてしまった。思っていたより一筋縄ではいかない。

「レブラス、サフィアを頼む」

 アシルは近くにいるレブラスに声だけ投げかける。

「わかった。ターゲットは任せるぞ」

 レブラスは待機中の三人を守るように後ろへ下がった。

 アシルは目の前にいるエルマーへ神経を集中させる。

 エルマーは銃をこちらへ向ける。レブラスとアシルなら、集中していれば銃弾は避けられる。問題は、発砲の音で近隣の住民に気づかれる恐れがあることだけだ。

 アシルは腰から投擲用のナイフを三本取り出す。

 一瞬で終わらせる必要がある。

 アシルはナイフを順番に三本投げた。三本のナイフが時間差でエルマーに襲いかかる。アシルは同時に駆け出す。

 エルマーは襲い来る三本のナイフを必死で避けていた。うち一本は足に刺さった。隙だらけだった。

 アシルは駆け抜け、エルマーに迫った。

 背後へ回り込み、肉薄したエルマーの首元に折り畳み式のナイフを滑らせた。悲鳴もない。

 エルマーは目を見開いたまま仰向けに倒れた。

 首から噴き出た血が、夜の町に黒い飛沫となって飛び散った。嗅ぎ慣れた血の臭いがむっと立ち込める。

 人間というものは臭う。呼吸や肉体には体臭が滲み出る。肉を掻っ捌けば、血と内臓と脂の生々しい臭いがするし、死んで放置すれば腐敗してもっとひどい臭いになる。

 大人になると、人間は弱者から巻き上げた金で得た肉を食い、煙草を吸い、酒を飲み、女や子供を利益のために食い尽くす。だから人間の身体というものは齢を重ねるにつれ臭くなるのだとアシルは思っている。

 アシルはエルマーの服でナイフの血を拭った。彼の手に刺さったままのナイフや陽動で投げたナイフも回収した。

「……終わったな。早く戻った方がよさそうだ」

 レブラスは剣を鞘に収めてアシルに駆け寄る。

「そうだな」

 アシルはナイフをポケットに仕舞った。

 ターゲットは殺した。後のことを誰がどうしようが、どうでもいい。殺すことがアシルの仕事だからだ。

 サフィアが道に横たえられた袋へ駆け寄る。アシルも、他のメンバーもサフィアの後ろに立つ。

 袋の封を開けると、中には気絶しているらしい少女が、毛布に包まれるようにして入っていた。見たところ怪我もなさそうだ。柔らかそうな頬や髪、身綺麗な服装から、普通に親がいる一般家庭の子供だとわかる。

 こんな小さな子供がひどい目に遭う前に止められた。

 それだけでルペシュールの仕事は成功も同然だ。

 ミシェルは用意していたルペシュールの犯行声明カードをエルマーの死体の上に落とした。

 アシルたちは夜陰に紛れ、アジトへと帰っていった。

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