番外編 第12話 魔術師の論理

「話は大体聞いていた。殺人か」

 ミシェルが後方で腕を組み、部屋の死体を睨むように見た。サフィアが青い顔で口元を両手で押さえる。魔法が使える以外は普通の少女らしい反応である。

「ロビン、できるかぎり手を貸したいって言ったら、こうしてみんな来てくれたんだ。オレたちも協力するから」

 ルイが純粋な善意をきらめかせた目でロビンを見た。

「ありがとう、ルイ。でも、君たちは世間では一般人です。一般人を現場に踏み込ませるのは、警察官の行動として相応しくありません」

 あまりルイを傷つけないように、ロビンはやんわりと拒否を示した。

 ロビンはまだルペシュールを全面的には信用できない。ルイやサフィアはともかく、他の三人は人殺しなのだ。ルイはしょんぼりと肩を落とした。

 ミシェルが腕を解き、傍にいたアシルの耳元に顔を寄せて何かを囁いた。アシルはロビンの肩越しに部屋の中を見てにやりと笑うと、死体を指差した。

「なあ〈黒猫〉、その死体、珍しく剣で刺されてるみたいだな。あれだけ座席からずり落ちかけてるのに死体が動かないとこ見ると、座席まで剣が刺さって死体が固定されてるんじゃねえの? 座席も血で濡れてるみたいだし」

 ロビンは思わず息を呑んだ。ロビンも薄々感づいていたが、すぐに気づくとは。

「騎士ならともかく、剣を凶器にするなんて珍しいな」

 レブラスの言う通りだ。ここ数年の犯罪に使われた凶器はナイフか銃、それか手近で手に入る鈍器などが多い。

 ミシェルが目を細めながら、眼鏡のフレームをかけ直す。

「見たところ争った形跡がない。カギをこじ開けた形跡があるから、寝ているところを襲ったのだろうな。刺殺の場合、損傷箇所によっては即死しない場合がある。隣室の者に物音や悲鳴を聞かれるリスクを犯人は考えなかったのか?」

 アシルが軽快な調子で答える。

「こんなふうに人を縦で貫くのって大変だぜ。首や心臓を横から狙う方が楽だし」

「犯人はわざわざ剣を用意し、車内に持ち込んだ。計画殺人だな。それもわざわざ串刺し状態で殺した。何かこの状態で殺したい理由があったんだろうな」

 ミシェルの言う通り何故凶器に剣を選んだかはロビンも気にかかる。怨恨ゆえに残酷な殺し方を選んだのだと思うが、それだけで片づけていいかは微妙なところだ。ミシェルは突然話の矛先を逸らした。

「この被害者の身元は?」

「ユリウス・モーリッツです」

「ほう? フロッセでテラスハウスを建てている建設業者だったな」

「よくご存知ですね」

 ロビンは素直に呆れた。ミシェルが握る情報はどれほどのものになるのか。

「そういえば、前にミシェルがモーリッツには黒い噂があるって言ってたな」

 レブラスが思い出したように言う。ミシェルはルペシュールの仕事のリストにモーリッツ氏を加えていたから事前に調べていたのだろうか。

「労働者用のテラスハウスをフロッセに大量に建てたのがモーリッツだ。労働者用のテラスハウスは劣悪でな。施工を廉価にしつつ多くの労働者をできるだけ詰められるよう工夫されている。狭く、窓もなく、カビと湿気の温床のようなひどさだが、衛生観念は二の次にされた。フロッセには至急テラスハウスが必要になるほど労働者が集まっていたからな。モーリッツは大量の依頼で儲かっただろう。建設していたのはこの男だけではないが」

「ひどい。住む人のことを考えずに家を建てて、自分たちはお金を稼ぐなんて」

 サフィアが眉を上げる。ルペシュールの行動理由は、サフィアが今言ったような「許せない」が大半なのだろう。

 彼らは義憤で裁きを下してきた。それが民衆の救いと合致してきたから義賊扱いされたのだろうが、やはり彼らにとっての義憤で、彼らにとっての私刑でしかない。

「……貴方たちでは、ないのですよね?」

 ロビンが発した言葉で、一瞬で場の空気が凍りついた。敵意と警戒で刺すような四つの視線がこちらに突き刺さって、圧迫した重苦しい空気が場に満ちた。

「俺たちは殺す理由もない人間を手にかけることはしない」

 最初に口を開いたのはレブラスだったが、ロビンには響かない。理由さえあれば殺しも辞さないと言っているようなものである。

 ミシェルは廊下の窓に顔を向け、ロビンには背を向けたまま低い声を発する。

「〈黒猫〉、それは念押しか? 可能性の話か? それとも尋問か?」

 列車が揺れる。ランプの光が影とともに揺れた。

「ロビン、みんなはオレが頼み込んで来てくれたんだ。ルペシュールがやったことなら、わざわざ協力なんてしないでしょ? みんなは何もしてないよ!」

 ルイの言葉がロビンを揺さぶる。ミシェルが振り返り、眼鏡の奥で知性的な落ち着きを備えた瞳がロビンを見据える。

「〈黒猫〉、お前の考えていることはわかるぞ。劣悪なテラスハウスを作ったモーリッツはルペシュールの仕事のターゲットだったのではないかと疑っているのだろう? 確かに僕は奴が何をしたのかは事前に調べていた。動機は充分だな」

 ミシェルが続ける。

「さて、三つほど話をしておこうか。この被害者は剣で殺され、剣は座席まで到達している。この中で剣を使うのはレブラスだが、奴には聖剣がある。殺すつもりなら普通の剣より切れ味鋭い聖剣を使うだろう。全身を刺し貫くならなおさらだ。ここにいるアシルとレブラスの技術は一級品だが、体格も力も年相応だ。座席まで人体を貫くほどの力はないし、殺すなら急所を側面から狙う方が手っ取り早い。事実今までがそうだった。僕を含め他三人はもっとひ弱だ。僕とサフィアの魔法は剣を操れないし、ルイの体格でも剣など振れない。この五人は物理的に犯行が不可能だ」

 ミシェルはひと息つき、話を続ける。

「では、ここで殺すメリットは? 町にいる間は殺せなかったから、偶然列車に同乗した候補を行き当たりばったりで殺したと思うか? 僕たちは三号車を出ていないが、どうやって被害者が同じ列車に乗ると知ったんだ? それにこんな場所で殺せばお前に疑われるだろう。今のように。そうなると、お前は僕たちを見逃せないと言い出すかもな。動機はあるが犯行を行わないメリットの方が大きい」

 ロビンの警戒と疑惑が、ミシェルの言葉で削り取られていく。

「確か、先ほど車掌はこの部屋の扉にカーテンがかかっていなかったと言っていたな。わざわざカーテンを開けて、巡回の車掌に死体を発見させた理由は? ずっとカーテンを閉めていれば、最悪の場合終着駅に到着するまで死体は発見されない可能性もある。ここでもルペシュールにはカーテンを開けるメリットはない」

 一度ミシェルは言葉を切り、ロビンを睨みつけながら言い切った。

「僕たちは隠密と殺しのプロだ。意味のない殺しをしてまでこちらの首を絞めることはしない。お前が僕たちを信用する必要はない。警察として、プロの犯罪者がここで犯行を行うかを考えろ」

 ロビンの疑いは完膚なきまでに叩きのめされた。

 ミシェルの肩をアシルが軽快に何度も叩いた。

「ミシェル、〈黒猫〉が黙っちゃったじゃん。言いすぎだって。まあ、お前の言った通りなんだけどさあ」

 アシルは明るく笑っている。だがロビンは見てしまった。一度ロビンをちらと見たその赤い目が、一切笑っていなかったことに。

「うっ……!」

 一瞬、喉元にナイフを突きつけられたような寒気が背筋を走った。

 ロビンを見据えた赤い瞳孔は、隙と必要があればロビンを殺してメンバーを守る。そんな殺気を軽快さの奥に忍ばせていた。

「……軽率でしたね。疑ったことは謝ります。このたびの犯行は貴方たちではないと、信用しましょう」

 ロビンは素直に謝罪を口にした。証拠が一切ない状態で犯人かもしれないと口にするなど、絶対にしてはいけない。ルペシュールには多くの前科があり、その先入観に引き摺られたのだとしてもだ。人は法に守られ、人権が保障されている。だから証拠もなく無実かもしれない人への疑いを、簡単に口にしてはいけなかった。

 ミシェルが話を切り替えるように声色を和らげた。

「では、疑いがひとまず晴れたところで話を進めよう。動機に関してはわからんな。劣悪なテラスハウスを作っているのはこの男だけではない。僕たちが知らない動機があるかもしれない。〈黒猫〉、物取りの線はあるのか?」

 被害者の身なりがいいことはミシェルにもわかっただろう。

「財布には現金が残っていました」

「物取りでもないうえにこの殺し方。被害者に私怨がありそうだがまだ不明だ。証拠はこの凶器だけ。問題は、口から座席まで男の身体を刺し貫くようなことが可能かどうかという点だ。これは僕たちだけでなく、成人男性でもできるかどうか」

 やはり一番の問題は殺害方法の不可解さへと戻ってくる。

 どういう線で捜査を進めるべきかロビンが迷っているところで、ミシェルは思ってもみないことを言い出した。

「サフィア、お前の知る限り、人間より力の強い人外には何がいる?」

「え? そうだなあ。力の強さなら人狼と吸血鬼かな。他にもいるけど、町とか人の多いところにはあんまりいないから」

 ミシェルは「そうか」と呟き眉根を寄せた難しい顔で顎をさすった。

 正攻法で捜査を進めようとしているロビンとは違って、ミシェルは独自の情報網と思考力で犯人を導き出そうとしているらしい。

 魔術師という概念こそ存在はするが、実際に魔術を使う人間の話はほとんど聞かない。例え魔術の指南書が見つかったとしても、魔術を自在に使えるようになるまで勉学を極められる者がいないからだ。もしくは未熟な魔術が暴走して事故死するという。

 それをほんの数日で修めたという来歴を聞いたときはいくら何でも誇張のしすぎだと思ったものだが、相対してみると誇張でも何でもないことがよくわかる。

「ルイ、サフィアは部屋に戻っていてくれ。レブラスは僕とここで〈黒猫〉を補佐する。アシル、すまないがひと仕事頼むぞ」

 四人はバラバラに返事をしながら、ミシェルの指示に従った。ミシェルに何かを頼まれたらしいアシルもここから離れていく。

 ロビンの元にはミシェルとレブラスが残った。

「……貴方たちは、本当に私に協力して事件の捜査をする気ですか?」

 私刑をする側のルペシュールが警察に協力するのが、ロビンにはまだ納得できない。するとミシェルはこともなげに言った。

「ルイが助けたいと僕たちに頼んだ。メンバーの願いを叶えるのが僕の役目だ」

「あの子は、俺たちを助けたいとはいつも言うけど、あんまり助けてくれとは言わない。ルイがあそこまで言うなら助けるさ。仲間だからな」

 レブラスの真っ直ぐな物言いは、ルイへの思いやりや誠実さに溢れていた。彼は性格的に簡単に嘘を吐くタイプには見えない。ここは信用するしかない。

 二人は既に手袋をつけているし、現場を荒らさない神経は持ち合わせているはずだ。

「現場を調べるのでしたら、どうぞ」

 ミシェルが頷いて現場の中に踏み込む。ロビンが注視していると、ミシェルは死体の前に立ち、色々な角度から死体を眺め回した。

「アシルの言った通りだな。口から肛門まで貫き、刃先が座席に到達している」

 ミシェルが被害者の足の付け根の辺りを調べた。ロビンもその事実を確認する。

 剣によってどの器官が損傷しているかは不明だが、即死はせずとも器官の損傷や出血で被害者はすぐに死んだはずだ。

「レブラス、一応訊くが、普通の剣でこの殺し方はできるか?」

 レブラスが続いてミシェルの横に立ち、被害者の口元に顔を近づけた。

「やったことないから確証はないけどな。これ、剣を両手で持って切っ先を口に入れて身体を貫いてるんだよな? 被害者は座っているからその前に立って、こう、剣を下へ押し込むようにしたと思う。座席まで貫くとなると、さすがに難しいんじゃないかな」

 レブラスが両手で剣を持って刺す仕草をした。ミシェルは「ふむ」と含みのある声を発するが、突然死体の低位置を調べ始めた。

「……この死体、体内の血液がほとんど残っていないのではないか?」

「死斑がほぼ出ていないのは私も気になっていましたが」

 ミシェルは続いて被害者の首元の襟を脱がしにかかった。何をするつもりかと思っていると、首と肩の境の辺りに、太めの針で刺したような穴が二箇所並んでいた。

「これは、吸血鬼の嚙み痕だな」

 暴かれたとんでもない事実に、ロビンは言葉を失った。

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