番外編 後半「急行列車殺人事件」

番外編 第11話 203号室

 ルイの長い話が終わった。

 既に日は落ちているため、部屋は暗い。

 列車が揺れる音が向かい合うルイとロビンの間を流れた。

 ロビンは長い息を吐く。

「……君たちは、本当に最初から人助けのためにルペシュールになったのですね」

 ルイはさすがに喋り疲れたのだろう。口を開くのが億劫そうに頷いた。

 助けたかった仲間を助けられなかった経験は、警察官をやっているロビンにもある。その悔しさや虚しさは、何をしていても苦い記憶となって何度でも蘇るものだ。その感情がルペシュールの根幹のエネルギーなのだろう。

「話してくれてありがとうございます。買っておいたパンでも食べましょうか。お腹が空いたでしょう」

 ロビンは立ち上がって座席の上の網棚からトランクを取り出した。

 今朝列車に乗る前に買っておいたものだ。この列車は元々半分が貨物車の割安列車である。列車内で食事を出してもらうようなサービスはない。ロビンは豪華な列車に乗って快適な旅をしたいとは思わないので、割安列車の移動で全然構わなかった。

 座席すらない物置のような三等列車にすし詰めの場合もあるから、個室がある分劣悪というわけではない。中の下といったところである。

 座席の上でトランクを開け、袋の包みを二つ取り出す。トランクを戻すついでに部屋のランプに明かりを灯した。

 ルイの分のパンを渡す。ぱっと目を輝かせ、ルイはパンを取った。

 ロビンも席について包み紙を解き、レタスとハムを挟んだだけのパンを食べる。

 コンパートメントの扉がノックされた。扉の上部が窓ガラスになっているので、扉の前に誰が立っているかはわかる。顔を向けると、ミシェルとレブラスだった。

 ロビンは座席から立って扉を開けた。

「すまないな、突然。ルイはどうしているかと思って」

 レブラスが前に出て人当たりのいい柔らかな口調で用向きを言う。

 彼が〈聖騎士〉レブラス・スペンサー伯爵なら、彼の物腰も柔らかく、洗練されているのも納得だ。幼い頃から身につけた貴族としての品格がある。

「色々話をして、疲れたので夕食を摂るところです」

 説明しながら後ろにいるミシェルをちらと見る。鋭く瞳を細め、こちらの様子を窺う神経質そうな眼鏡の少年。敵意が剥き出しというほどではないが、こちらを信用しきっていないのは態度から明らかだった。

 ルイがロビンを信用してくれているので、ルペシュールはロビンに何もしない。

情報と引き換えに彼らを見逃すという約束をロビンは守るつもりだが、彼らは自分たちの正体を知っているロビンをこのまま見逃してくれるのだろうか。

 ロビンにはわかる。レブラスとミシェル、そしてアシルの三人は、もし必要になればロビンを殺すことを厭わないだろう。

「あ、レブラスとミシェル! どうしたの?」

 ルイがロビンの後ろから声を投げる。二人はルイの姿を確認すると小さく笑った。

「どうしているかと思ってな。今から夕飯か?」

「うん。ロビンにパン貰ったんだ」

「そうか。それじゃ俺たちも隣で食べるかな。よく休むんだぞ」

 レブラスは「邪魔したな」とロビンに言って扉を閉めた。隣の個室に戻っていく。本当にただ様子を見に来たのだろう。

 ロビンは扉の窓ガラスについているカーテンとカギを閉めてから席に戻った。

「それにしても静かだよね。他の乗客の気配も感じないし」

「夜間の急行列車ですからね。時間的にも他の乗客は少ないのでしょう」

 最近は工場での仕事を求めて都市部に人が流入し続けている。そのため格安列車の利用者は年々増加傾向にあるようだが、そういう人々はとにかく安い列車を利用するのだ。

「でもよかった。普通の人たちがいっぱいいて、変な目で見られたら嫌だったし」

 そうですね、とロビンは返事をする。

 ルイたちのような子供五人だけで列車移動していたら目立つ。ミシェル辺りが配慮して人が少なく、個室があって無闇に人目につかない列車を選んだのだろう。

 パンを食べるとルイは満足げに息を吐き、座席に横になって眠ってしまった。ロビンは報告書をまとめる作業を再開する。

 夜が更けていく。

 懐中時計を見ると午後十一時を過ぎていた。まだ遅い時間ではないが、急ぎの仕事ではないので部屋のランプを消し、コートを羽織って眠ることにした。

 閉じた瞼の外で列車の揺れる音が心地よく響く。眠気が全身に渡って微睡みの中に意識を埋めようとしていたとき、大きな物音がした。

 ロビンはすぐに覚醒し、コートを跳ねのける。廊下から足音が近づき、扉を慌ただしくノックされた。向かいのルイも弾けたように起き出す。

 ロビンは立ち上がり扉のカーテンを開けた。車掌らしき濃紺の制服に帽子の男が、焦ったような様子で窓ガラスの向こう側に立っていた。カギと扉を開ける。

「どうされました、こんな夜中に」

「お休みのところ失礼いたします。お客様のその制服は、警察のものでお間違えございませんか?」

 顔に汗を浮かべて慌ただしい様子の車掌。青い眼の若い男だった。質問さえもどかしそうな切羽詰まった空気が滲み出ている。

 ――何かあった、と経験からくる勘が教えている。

「はい。私は特別捜査官のロバート・ブラックと申します」

 乗車してすぐチケットの確認作業をされた際に、車掌には会っている。そのときにロビンが着ていた制服のことを覚えていたのだろう。車掌は隣の車両を手で示した。

「ああ、やっぱり! あの、どうかご同行いただけませんか? あるお部屋のお客様のご様子が変なんです!」

「参りましょう」

 即決のうえ、ルイにここにいてほしいと伝えてからコートを羽織って個室を出た。車掌もロビンも自然と足早になる。木の床板の廊下を進み、隣の車両へ続く扉を開けた。車両の連結部は外になっている。強風を抜けて隣の車両へ向かった。

 隣の車両もロビンがいた車両と同じような構造になっている。進行方向に対して右手に廊下があり、左手側にいくつかのコンパートメントの扉が並んでいるという構造だ。廊下に設けられた等間隔のランプの光が、列車の揺れと連動して揺らめいた。

 車掌に誘われ、「203号室」とプレートがかかった部屋の前に来る。

 ロビンは扉の窓ガラス越しに部屋を見た。足を投げ出すようにして、今にも床にずり落ちそうなバランスで座席に座る男。その目と口は大きく見開かれ、口には深々とナイフが突き刺さっていた。

「亡くなっているようですね。中に入って調べても?」

「は、はい。警察の方にすべてお任せいたします」

 ロビンはポケットから黒い手袋を取り出して両手に装着し、カギを確認した。

 カギ穴に道具を使ってカギをこじ開けた痕跡があった。

 扉を開けて中に入った。窓が奥にあり、二人掛けの座席が向かい合う形で設置されている。ロビンの個室と同じ造りだ。

 被害者の荷物が死体の向かい側の座席に閉じられた状態で置かれている。

 改めて被害者を見下ろす。ロビンはその様子に痛ましさを覚えつつ、冷静にその様子を観察し始めていた。

 口以外に外傷はなく、衣服の乱れもない。揉み合った形跡がないということは、寝ているところを部屋に侵入され、殺害されたと見ていいだろう。

 開いた口からナイフの刃が少し見えているが、少し妙だ。両刃で、ナイフにしては細すぎる。ナイフよりレイピアのような細身の剣といった方が正しい。

 動脈や内臓の損傷による刺殺だろう。死後硬直の具合からみて、死後二時間以上は経っていると思われた。懐中時計を確認すると、今は午前十二時頃。午後十時前後が犯行時刻ということになる。

 顎から首を染める血の他に、被害者が座っている座席のクッションが黒ずんでいる。座席のシートにも血が染み込んでいるのだ。口元からの出血が垂れたものではない。

 遺体を検分したところ、死斑が出ていなかった。遺体を動かした形跡もない。死斑は血液が死体の低位置に溜まることで皮膚の色調に変化が表れるもの。この状態で死斑が出ないわけがないが、ひとまず保留にする。

 被害者を再び観察する。上下揃いの暗色のスーツはそれなりのものだろう。シャツも皴がなく真っ白だ。身なりに気を遣っているのが見て取れる。スーツからして中流階級程度と思われた。

 ジャケットのポケットを探ると手帳があった。開いてみると時間や場所、人名などが日付とともに並んでいる。商談相手だろうか。

 どうやら都市部によくみられる労働者用住居の建設業を生業にしていたらしい。

 都市部への人口流入に伴い、縦割りの長屋形式の建物が増えているのだ。フロッセの町にも、労働者階級が住む狭いバラックのようなテラスハウスが密集していた。

 ページを捲っていく。どうやらフロッセで何件ものテラスハウスの建設を請け負っていたようだ。日付が最近に近づく。休日に南方へ旅行に行くと書かれていた。

 手帳を自分のポケットに仕舞い、続いて旅行鞄を調べることにした。革製の頑丈そうなトランクだ。蓋を開けると筆記具や手紙、財布や着替えなどが入っていて、特に変わったものや犯行に繋がりそうなものは見つからない。

「車掌さん、お名前を窺っても?」

 ロビンが声をかけると、廊下で見守るように立っていた車掌が背筋を伸ばした。

「ラシェル・シュゼットと申します」

「ではラシェルさん、死体発見時の状況をお聞きかせ願えますか?」

「ええと、先頭車両から順番に車内を見回っていて、このお部屋の前を通ったとき、その、お客様の状態を扉の窓ガラス越しに確認しまして、それでお客様の中に警察官がいたことを思い出して、すぐに呼びに走ったのです」

「現在は午前十二時頃ですが、いつもこんな時間に巡回を?」

「数時間に一度巡回しています。十二時の巡回はいつもです」

 その前の巡回は午後八時頃だという。犯行より二時間以上も前だ。

「十二時の巡回で、誰か目撃されましたか?」

 ラシェルはしばし黙考した後、口を開いた。

「いいえ、どなたとも会いませんでした。とても静かで。夜間はそれが普通なので気にもなりませんでした」

「では何か物音などは聞いていませんか?」

「ええ、私が歩く音以外は、まったくしませんでした」

 ラシェルが証言する様子も観察しながら質問するが、彼は淀みなく答えていく。

「この個室の扉は最初からカーテンが開いていましたか?」

「そ、そうです! お客様の死体がはっきり見えたので間違いございません。だからすぐに警察を呼びに向かったのです」

 ラシェルの行動や話しぶりにも怪しいところはない。若干緊張気味だが、警察から質問を受けた一般市民は大体こんなものである。

「ラシェルさん、乗車されている方のリストのようなものはお持ちですか?」

「はい、それでしたらこちらに。お客様はご予約の方のみとなっておりますので」

 ラシェルは制服の上着のポケットから一枚の紙を取り出してロビンに渡した。

 折りたたまれた紙には、何号室に誰が泊まっているかが一覧で書かれている。ちなみにルペシュールは「アラン・ヴェルナー、他兄妹が四名」と偽名が使われていた。

 ロビンとルペシュール以外に、乗客は四名。

 この部屋の客はユリウス・モーリッツとあった。

 ラシェルがおずおずと口を開く。

「あの、一度先頭車両に戻っても構いませんでしょうか? 運転手にもこのことについて知らせておきたいのですが……」

「構いませんよ。捜査は続けますので。差し支えがなさそうでしたらその方と運転に専念していただいて結構です」

 ラシェルはほっとしたような顔で一礼した後、足早に先頭車両へと戻っていった。早くこのことを運転手に知らせたかったのか、もしくは死体がある場所に居続けることに抵抗があったかだろう。どちらでも構わない。

「……さて、出てきて大丈夫ですよ」

 ロビンが声を発すると、廊下の向こうから複数の足音が近づいてくる。振り返ると、ルペシュールの五人が部屋の外に並んだ。

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