番外編 第17話 黒猫の牙
ロビンは二号車の現場で考えを整理していた。
車掌のラシェル・シュゼットと運転手のステファン・バークレーは犯人候補から外していいと思う。
まずステファンは運転と石炭の供給にかかりきりで、とても先頭車両を離れられない。そして犯行時刻前後、ラシェルとステファンは一緒にいた。後でステファンがひとりのときに話を聞いてみたが、ラシェルを庇って嘘はついていないようだった。
気になるのは、乗客のキール・フィランダー、セシリア・ヘステル、マリーナ・メイジーの三人だった。特に三人の言動には気になる点があった。
マリーナがルペシュールに言いがかりをつけたとき、そしてセシリアとキールが少し揉めたとき。そのときのある会話にひどい違和感があったのだ。
一度現場を出ると、廊下の先でセシリアが窓の外を見つめて突っ立っていた。出てきたロビンを無視するところを見ると、気晴らしか何かで部屋から出ているのだろうか。
「ロビン!」
ルイの声だ。二号車の廊下にルイが慌ただしくやってきた。珍しいというより、一般人がいる場所にルイが来るなんて妙だと思った。ルイはセシリアの脇を通り抜けてロビンの傍まで走ってやってきた。 ロビンはルイと向き合う。
「どうしたんですか?」
「聞いてほしいことがあって、さっき仲間が……」
ルイが言葉を続けようとしたとき、ロビンは腰から銃を抜いて二号車の廊下へ向けて撃った。
銃の発砲音が廊下に鳴り響いた。ロビンは銃は廊下に向けたまま、ルイを背に庇うように前に立つ。
銃の射線上に肩を血で濡らしたセシリアが立っていた。
ルイが話しかけてきた一瞬の隙を狙われた。
殺気に反応して引き金を引いたが、殺気と痛みに顔を歪ませたセシリアの様子を見るにこの判断は間違っていなかったらしい。
「おい何だよ、今の音!」
背後で銃声を聞きつけたキールが廊下に出てくる気配がする。
「キールさん! 自室から出ないでください!」
セシリアがキールに反応して動こうとするが、隙を与えるつもりはない。
「動くな!」
ロビンはセシリアに照準を合わせたまま両手で銃を持つ。キールはようやく事態を吞み込めたのか、喚きながら慌ただしく扉を閉めた。場にロビンとルイ、セシリアのみとなる。ぴりぴりと張りつめた空気が廊下に張りつめる。
「ルイ、話の続きを」
「……さっき仲間が、五号車の奥でマリーナって人が殺されてるのを見たんだ」
「ルイ、マリーナの死体の状況を教えてください」
「うん。アシルとサフィアが見たんだけど、喉が血に染まっていて、吸血鬼の嚙み跡が二回分あったんだって」
二回目の犯行を行うとは。気に食わない人間であれ、殺されていいとは思わない。殺害を防げなかったことがロビンには悔しかった。
セシリアは肩を押さえたままロビンを睨んだ。
「……まさか本気であたしが犯人だと思ってるの?」
「一瞬の殺気に気づかないほど鈍くありませんので。あとは消去法と、貴女の言動への違和感ですよ」
犯人候補は乗客の三名。ロビンは全員の言動に注意を払っていた。そんな彼女が行動を起こして警戒しないわけがない。
「203号室の現場には、凶器以外の手がかりはありませんでしたし、殺害方法は男でも女でも難しい。犯行時のアリバイも、乗務員以外は確かなものがありません。そこで僕は怪しいと思った乗客三人の言動を注視していましたが、明らかに妙なことを口にした者がいましたね」
それは物的証拠とするにはあまりに根拠に乏しい言動の矛盾だった。
「マリーナ・メイジーは三号車で、303号室に妙な子供の一団を見かけて彼らに疑いをかけます。通りがかった車掌のラシェル・シュゼットが間に入りました。それを、貴女もご存知ですね」
セシリアは肩を押さえたままロビンを襲う隙を窺っている。
「私が二号車に戻ると現場の前にキール・フィランダーが立っていて、私と話をしました。その声を聞いた202号室のセシリア・ヘステルが出てきて、二人はひと揉めします」
ロビンは今日の出来事を簡単に説明する。その今日の出来事は、ロビンにひとつの示唆を与えてくれた。
「尋問中の大人しかったマリーナと、人に喧嘩を売るマリーナの様子は違っていました。あれは彼女本来の性格ではなく、吸血鬼の傀儡になったことで操られていただけだったんですね。303号室の者たちに喧嘩を売ったのは、私に協力する彼らの動きを封じるためでしょうか。彼らが疑われたら困る悪党だと気づいたみたいですが、彼らは疑われても捜査をやめない。そこでマリーナを貨物車に呼び出し、誘い出された彼らを始末しようとしたんでしょう」
セシリアは警察に追われる者として、彼らも犯罪者だと気づいたのだろうが、彼らがルペシュールだとは気づいていない様子だ。
「そういえば、銃声はよく響いたようですがキールさん以外反応しませんね。乗務員のお二人は先頭車両で列車の運行を管理しています。この列車は、車両間を移動するには外を通ることになります。さて、銃声が響いて乗務員が反応しないのは妙ですが、車両が違うとほとんどの音は別の車両まではあまり聞こえないようですね」
ロビンが感じた違和感を言葉にしていく。
「マリーナが三号車で彼らに言いがかりをつけました。ラシェルと私はその現場に居合わせ彼女を止めました。そういえば、貴女は顔を見せていないのに私たちの会話の内容をよくご存知でしたね。貴女はあのとき、事件の捜査に協力する子供たちのことが気がかりで三号車にいたのでしょう」
セシリアは不敵に笑う。
「……でも、あたしがやったって証拠はどこにもない。あんたは証拠のない一般人に銃を抜いたことになるわ」
確かに会話に不審な点があっただけでは証拠になりはしない。
「あるって言ったら?」
それは後ろのルイからだった。セシリアの眉が動く。
ロビンは銃口を向けたままルイを視界の端で窺う。ルイがズボンのポケットから取り出したのはカギを開けるための道具だ。
「さっきすれ違ったときにコートのポケットに入ってたよ。これと現場のカギ穴を調べればはっきりするよね」
あの一瞬で掏ったらしい。相手は犯人で力も強い吸血鬼なのに、ルイにこんなに度胸があるとは。いや、フロッセの警察署長と対峙したときも、ルイは驚くほどの行動力を見せた。
「仲間が言ってた。カギを開けるための証拠品は持ち歩いてるはずだって」
ミシェルの指示か。ルイに危ないことをさせたのは気になるが、正直ルイ以外に証拠を掏り取れた者はいなかっただろう。
「この、下等で弱い小悪党が!」
セシリアが飛びかかるようにしてロビンたちに向かってくる。
ロビンは容赦なく撃つ。彼女の胸に銃が命中し、セシリアが呻きながら怯む。
生命力の強い吸血鬼相手に普通の銃は通用しない。精々怯ませることができる程度で、痛みすらすぐ消えるだろう。分が悪すぎる。
人外種は教会で清めた道具や銀を鋳つぶした武器ではないと致命傷は負わせられない。人外種専門の特別捜査官もいるくらいなのだ。
ロビンではとても太刀打ちできないが、せめてルイは逃がさなくては。
「ルイ、彼女の動きを止めるので走って仲間の元へ戻りなさい」
「戦うつもりなの?」
「ええ。僕が相手をしている間に、彼らなら何かするでしょう」
今はミシェルたちの動きに賭けるしか犯人を捕まえる術はない。
「わかった」
「逃がさないわ」
ロビンに肉薄してくるセシリア。彼女の手がロビンに伸びる。
ロビンはもう一丁銃を抜いてセシリアに放った。セシリアの顎から頭部へ銃弾を貫通させる。血が廊下に噴き出る。ロビンは彼女の腹部に蹴りを叩き込んだ。
セシリアが床に倒れ込む。ルイがその隙に瞬時に廊下を駆け抜けていった。
吸血鬼の再生能力の前には傷でも何でもない。セシリアはすぐに起き上がる。
「特別捜査官の噂は聞いたことがあったが、なるほど、その辺の警察とは違うな」
もう顎の傷が塞がっている。何とかして時間を稼がなければ。
「何故ユリウス・モーリッツとマリーナ・メイジーを殺した?」
「三号車でお前とあの目障りな子供たちが話していた通り。あの男を殺すためよ」
吸血鬼が少しずつ近づいてくる。
「この娘の身体はもう死んでる。あたしは銀の武器で身体を破壊され、歩くのがやっとだった。だからあの男のせいで自殺した娘の身体を貰ったの。そのかわりに、あの男に復讐することを彼女の魂に誓ったわ」
吸血鬼は別の人の死体に乗り移ることができるのか。
「今朝あんたには話したでしょ。田舎から出てきたこの娘は騙されて売られた。そこであの男に目をつけられた。あの男は、テラスハウスの建設で稼いだ金を使って、年若い街娼を買い漁っていたの」
「セシリアが売られたこと」と「あの男にいやらしい目で見られたこと」自体は本当のことだったのだ。
「マリーナは?」
「怪しい子供がお前に協力していたから、どうにかしたくてね。あの小娘を使って子供らをおびき寄せた。仕留めそこなうとは、ただの子供じゃないわね。お前と、あの子らが乗り合わせてなかったらこんなことにはならなかったのに。こうなったら列車の奴らを全員殺して血を啜ってやるさ。特に魔力の篭ったあの〈魔女〉の血はかなり美味いだろう」
魔女とはサフィアのことか。ロビンは両の銃をセシリアに向ける。彼女の身体能力では銃弾をリロードする時間はない。戦いを長引かせたら終わりだ。
ロビンの両の銃から銃弾が炸裂する。セシリアは銃弾を見切るが、一発だけ命中した。血が爆ぜるように散るがセシリアはもう怯まない。
ロビンの腕を掴みにかかる。右腕を封じられるが、左手の銃でセシリアの側頭部に銃口を押しつける。引き金を引いた。
セシリアの右側の頭の肉と血が弾け飛んだように飛び散る。セシリアは目を剥いてその場に倒れた。すぐに彼女の両腕を拘束しにかかる。彼女の両腕に手錠を手早くかけた。
「おおい、刑事さん。もう終わったか?」
部屋の扉を開け、呑気な声とともにキールが顔を出す。
「キールさん、夜が明けるまで部屋にいてくださいとさっきも……」
ロビンが顔を上げて彼の部屋の方を振り返ったとき、ロビンの全身が粟立った。
扉から出てきたキールの両目は血走り、皮膚はあちこちが赤黒く爛れ、鼻や口からはどろりとした血を滴らせていた。
「けい、じさ、ぁあん」
キールは真っ直ぐロビンに向かってきた。
反応が一瞬遅れるが、キールがロビンに掴みかかる直前で銃弾を放った。キールの頭が後ろへ仰け反ると同時に、後方の壁や扉にばっと大量の血飛沫が飛んだ。
キールはそのまま倒れ、動かなくなった。
まさか最後の乗客まで血を吸って傀儡に仕立て上げていたとは。
後ろでばき、と何か硬いものが壊れるような音がした。
セシリアか、と思って振り返る前に、冷たい両腕がロビンの首に取りついた。
「ぐっ……!」
気管が圧迫される。息ができなくて苦しい。セシリアの腕を引き剥がそうとするがびくともしない。女の力とは思えない。首がみしみしと音を立てる。このままでは気絶するか、扼殺もありうる。
「首を絞めても急所を刺しても血が流れすぎても死ぬ。人間は弱いわ。そんなお前たち人間が我らを追い立てようなど、身の程を知るがいいわ!」
セシリアは勝ち誇ったように笑った。
ロビンは左手の銃を密かに持ち上げてセシリアの腕を撃った。セシリアはロビンを離す。ロビンは何度もむせて息を整える。
ロビンは落とした銃を拾おうとするが、セシリアがロビンの足を踏む。ブーツのヒールがロビンの手の甲を穿つように強く踏みつける。
「こっの……!」
怒りに震えるセシリアが腕を押さえながら怒りに見開いた目でこちらを見下ろした。
「動くな、〈黒猫〉!」
硬直したロビンの頭上を、青緑色の細い剣が掠める。今までにないほどのセシリアの悲鳴が廊下に響いた。レブラスの聖剣がセシリアの腹部を貫いていた。
ロビンは銃を拾って廊下の脇に寄る。レブラスが前に出る。後ろからミシェルとルイがやって来た。ルイがすぐにロビンの元で屈む。
「ロビン、大丈夫?」
「ええ、平気ですよ。ありがとうございます」
ルイは心からほっとした様子で嬉しそうな顔をした。ミシェルがロビンたちに背を向けて立つ。
「ルイ、〈黒猫〉を連れて下がれ。この女は僕たちが何とかする」
「わかった。気をつけてね」
ルイがロビンの腕を抱えて立とうとする。今回はこの二人に任せるしかない。ロビンも立ち上がり、ルイと一緒に三号車へ下がった。
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