番外編 第2話 魔術師と騎士

 冷涼な風に煽られて、ミシェルは思わず立ち止まった。

 工場の煙突からが噴き出す黒い煙が雲に溶け込み、空はどんよりとした暗い色に覆われている。王都よりずっと空気が悪い。咳き込んでいる通行人もいる。

 フロッセの町の工場群は生き物のように製品を作り続けるかわりに、生理現象のように廃棄ガスを排出し続けていた。

 コートのポケットに手を突っ込んだまま道を歩く。肩にかけた革の鞄には、よく使う傷薬や毒薬、傷を手当てする道具や魔術書が詰まっている。

 くすんだ金髪をひとつに括り、眼鏡をかけたどこにでもいる少年だから、人混みには紛れられるだろう。

 繁華な表通りは王都にも劣らぬ都市に見える。

 背の高い立派な石造りの建物が並び、外灯も点々と設置されていた。石畳で舗装された道を、人々や馬車が行き交っている。工場のような大きな建物もあり、陸橋には列車が通っていた。

 フロッセの町は数十年前に蒸気機関の発達に伴い急激に発展したという話だが、その話に違わぬ街並みだった。ただ、いかに立派な建物が並び工場や列車など当代最新鋭のものが並ぼうと、どこかハリボテのような印象を受ける。

 歩いている者だって身なりがいいのは一部の富裕層だけで、着古した服を着た者たちも多く見かける。住人の半分以上は炭鉱労働者か工場労働者ばかりなのだ。

 道を一本外れると薄暗い路地になる。路地の狭さや剥き出しのパイプなどのせいで空が狭く感じた。裏通りの建物は古く、道も薄汚れている。どこかから漏れた排水らしきものが、地面の窪みに水溜まりを作っていた。

「……無人の空き家、いくつか見つかったよ」

 一緒にフロッセまで逃れてきた連れが、待ち合わせ場所の路地裏で先に待っていた。

 淡い青のフロックコートに、黒い軍帽。腰には細身の美しい剣。金髪に碧眼の整った顔立ちの少年だ。背筋を伸ばした立ち姿や振る舞いに品があるのは、育ちのよさに依るところが大きいのだろう。歳はミシェルのひとつ下で、同じく犯罪者として追われる身だ。

 この元騎士の少年――レブラスとは少し前に知り合った。

 森の中で食べ物や薬草を集めていたとき、レブラスは森の中で剣を抱いて倒れていた。薄青いフロックコートと軍帽は従騎士などではなく、叙勲された騎士のものだ。

 彼が抱えている青緑色の剣で、ミシェルは彼の正体に察しがついた。

 王国簒奪の罪で指名手配中の、最年少にして最高位の騎士〈聖騎士〉レブラス・スペンサー伯爵だ。

 ミシェルが近づくと、レブラスは弾かれたように顔を上げて剣の柄に手をかけた。彼の目は手負いの獣のように警戒と敵意でぎらついていた。

 ミシェルは一瞬で理解した。

 人殺しの目だ。

 もう戻れない、ミシェルと同じ目だった。

「何だ、お前。さっさと行け。斬られたくなかったら失せろ」

 疲労で息切れしているが、声と殺気は鋭い。しかし体力も気力も限界であることは見て取れる。ミシェルはレブラスに声をかけた。

「栄養と休息が足りてないようだな。ついてこい。僕の住処まで追手は来ないぞ」

 ミシェルは少年に背を向けて歩き出す。少年の戸惑う空気が背後から伝わってくるが、やがて森を歩く足音は二つになった。

 森の中の隠れ家で聖剣を手放さない少年の怪我を手当てし、食べ物を分けた。

 剣は手放さなかったが、彼は素直にミシェルの応対を受けた。よほど疲れていたのだろう。

 最後は糸が切れたように寝入ってしまい、ミシェルはその間に彼の服を洗い、ほつれたところを繕った。王都を出奔してからひとりで生きてきたので、生活に必要なことは大抵できる。

 レブラスは起きると、小奇麗になった騎士の服を見て顔を輝かせた。

「どうして、お尋ね者の俺を助けたんだ?」

「別に僕は善良な市民じゃないし、困ったことに警察に突き出そうとすれば僕まで捕まる。そろそろこの隠れ家からも移った方がいいと思っていたところだ。僕はこれから北の方へ行くつもりだが、お前も来るか?」

 警戒を解かないレブラスに、戸惑いの気配が混じる。レブラスは返答に困った様子だったが、こちらに敵意がないことを知ると素直に頷いた。

 道行きでお互いのことを教え合った。周囲から受けた仕打ちと、犯罪者になった理由。話してみると、ミシェルとレブラスには共通点が多いことがわかった。

 性根の腐った大人や周囲に振り回されたこと。手を汚すことを決めたのは最終的には自分の意志だが、そこに堕ちざるを得ないほど追い詰められたこと。そうしたことを知り合ううちに、普通の友人のように話すようになっていた。

「そういえば、ずっと剣の訓練ばっかりで、同年代の奴と話すは久しぶりだ」

 レブラスはそう言いながら笑った。

 ミシェルはすぐに返事をすることができなかった。

 貧乏貴族と仲よくしようとする者はいなかったし、王立学院にいた頃も進んで孤立していた。だから親しい友人を作ったことがない。こうして自分のことを話すのも、誰かの話をじっくり聞くのも、思えば初めての経験だった。

「……僕もだ」

 それだけをようやく答えた。

「ミシェルは北の町に着いたらどうするんだ?」

「しばらくは身を隠そうと思っている。北の辺境といっても、手配は回っているだろうしな」

「俺も、できるなら静かに暮らしてみたい」

 憧れとも諦めともつかない声色でレブラスはミシェルの考えに同調した。

 町で安全に潜伏するためには隠れ家と情報がいる。手分けして両方探すことにした。ミシェルは情報である。レブラスは隠れ家になりそうなところを探してくれる。落ち合う場所と時間だけ決めて別れた。

 そして今、ミシェルとレブラスはとある路地で待ち合わせている。

「……無人の空き家、いくつか見つかったよ」

 ミシェルも限られた時間内で、調べられるだけのことはしてきた。

「僕もこの町の情勢なんかは軽く調べてきた」

「早いな。魔法ってそういう調べ物もできるのか?」

「僕の魔法は万能じゃない。町の様子を探るだけなら歩くだけでわかることも多い。情報屋も探せば見つかるしな」

「裏通りの空き家でよさそうなところがあった。近くに人の気配もなかった」

「よし、そこで今後のことを決めるか」

 ミシェルはレブラスとともに、路地裏を通りながらその空き家を目指した。




 屋根があれば大抵どこでも眠れる。眠れるようになったのだ。

 ミシェルは昔ベッド以外の場所で眠ることができなかった。それが今は、森だろうが地面だろうが床だろうが眠れる。少し前までは自分が屋根のない場所を彷徨い、人目を忍んで生活をするなんて思ってもみなかった。

 それはレブラスも同様のようで、今までの道行きで寝食に文句を言ったことも意見が衝突したこともない。ミシェルがフロッセ近郊の森で採ってきた二つのリンゴを分けて食べながら、空き家の中で今後のことについて話し合った。

 屋根と壁と床があるだけの、辛うじて家と判断できる空間。窓もないが外から見られる心配もないので潜伏にはちょうどいい。薄暗いのでミシェルが魔術で小さな炎を灯して浮かべ、それを囲みながら二人で腹ごしらえをした。

「大人しく過ごすにしても、これからどうする?」

 リンゴを食べ終えてひと息ついたレブラスがまず口を開いた。

 レブラスの言う「どうする?」というのは、どうやって食い扶持を得るか、という意味だ。

「普段なら僕が薬や毒を作って売るんだが、今この町でそれをやると〈炎の魔術師〉が潜伏していると一部の連中にバレてしまう」

 これまでミシェルは王立学院で得た知識を使い、薬や毒を作って売ることで糊口を凌いでいた。元々ミシェルは王立学院主席で、幅広い知識を貪るように修めていた。だから医術や薬学の心得がある。一般の闇医者を装うこともあったし、〈炎の魔術師〉として裏社会の者に薬を売ることもあった。

 ミシェルが王立学院にいた話は有名だ。〈炎の魔術師〉が作るものは薬効が保障されているようなものであり、高値をつけても求めようとする者がいる。僅かな仕事でも食い繋ぎ、逃亡資金を手に入れることができた。今までのように薬を作って売れば手っ取り早く金を手にできるが、潜伏生活はしにくいだろう。

 ミシェルとレブラスは王都で大事件を引き起こした子供というだけあって、裏社会での名前の通りがいい。それが他の犯罪者を遠ざけるときもあれば、逆になるときもあるのだ。隠遁生活においてはマイナスにはたらく可能性が高い。

 郊外に出て食料を得るにも限度がある。町を隠遁場所に選ぶということは、食い繋ぐ手段が金を得る手段へと容易にすり替わるものだ。

 ミシェルもレブラスも数々の死線は潜り抜けてきたものの、街中からものを盗んで逃げられるような技術は持っていない。必要なものは買うしかなかった。

「うーん、俺がどこかで働くのは?」

 レブラスの提案が真っ当で手っ取り早い気もするが。

「その際、騎士の制服と聖剣は別の場所に隠しておけるか?」

「いや、聖剣を手放すのはちょっと……」

 言い淀むレブラス。出会ってから今までほとんど、彼は聖剣を手放さずに生活している。それほど剣を大切にしているのだ。〈聖騎士〉としての誇りがそうさせるのか、相棒が手元にないと不安になるのかもしれない。

 すぐに決まらないなら、追い追い決めればいいことだ。

 食料なら夏の間は近郊の森に入って採ることもできる。ついでに薬の材料なども補充しておきたいからちょうどいいだろう。この話は後に回して、町を歩いてわかったことをレブラスに話す。

「表通りは綺麗なものだったが、路地裏はまるで迷路みたいだった。特に入り組んだ場所は日中犯罪者たちが潜んでいるんだと思う。これだけ路地裏と工場の煙があれば、裏社会にいる者のいい隠れ場所になるんだろうな。この町は犯罪者が多く、治安もよくないらしい。そのせいか、取り締まる警察の権力も大きいという」

「そんなことってあるのか? 犯罪が増えても、王都の警察は別に力が強くなってはいなかったけど……」

 レブラスはそういうものかと訝しげに呟いたが、話の続きを目線で促した。

「警察には気をつけねばな。奴ら、孤児や浮浪児の子供を保護という名目で捕えて売り飛ばしているという噂がある」

 レブラスはあからさまに嫌悪を顔に表した。女子供を売り飛ばして金利を貪るような人倫に悖る行いを、レブラスは嫌悪している。

 特に、自分の利益のためだけに他者を平気で陥れようとする大人を。

「この先に大きな炭鉱があって、町にも工場は多い。働かせるための子供を裏で取引する経営者がいるんだそうだ。そういう場所から何とか逃げ出したり使い物にならなくて捨てられたりした子供が、路地裏に吹き溜まっている。浮浪児の問題は新聞なんかでも取り沙汰されるくらいだから、世間が問題に思うほどこの町は子供が多いらしいな。それに目をつける犯罪者も多いだろう。子供は金にしやすい」

 自分で口にしていても、醜悪で嫌悪すべき行為だと思う。

「よくこの短期間で調べてきたな」

「情報の集まる場所で張っていれば色々な話が聞ける。そういえば最近は、路地裏の子供が忽然と消える騒ぎが起きているらしい」

「消える?」

「吹き溜まっていた場所から突然姿を消すそうだが、おそらくは連れ去りだろう」

「思っていたより不穏だらけだな、この町は」

 レブラスが溜息を吐きたくなる気持ちもわかる。本当にこの不穏な噂だらけの町で静かに潜伏生活が送れるのか、ミシェルは少し不安だった。

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