第32話 願い

 ロビンは自分の下宿先にルイたちを連れていき、休むように言った。ロビンが借りていた部屋は狭く殺風景で、ベッドとテーブル以外は何もなかった。

 「ゆっくり休めるような場所ではなくてすみません」とロビンは申し訳なさそうに言ったが、ルイたちはベッドのない場所で眠るなんて慣れている。ベッドはサフィアに譲り、ルイたちはその辺で座って眠った。ロビンは取って返し、警察署で後始末の仕事を手伝いに行ったらしい。

 翌朝、仕事を区切って食べ物を差し入れに来たロビンに簡単な状況を教えてもらった。

 ロビンの要請を受け、フロッセの警察署には王都からやってきた特別捜査官たちがやってきて、ロビンも捜査と後始末にかかりきりになっているらしい。

 ロビンが持ってきたパンは焼き立てで柔らかく、バターまで塗ってあった。今まで食べたものの中で一番美味しかった。一緒に持ってきてくれたレタスとソーセージを挟んで食べると美味しさは倍増だった。

 それからロビンが淹れてくれた紅茶という温かい飲み物を飲ませてもらった。とても苦かったけれど、ミルクと砂糖をいっぱい入れてもらうと飲みやすかった。

 みんなも久しぶりの豪華な食事に感動していた。レブラスやミシェルは「王都の特別捜査官の給料っていいんだろうな」と感じ入っているようだった。

 お腹が落ち着くと頭もすっきりして、ようやく自分は助かったのだと実感した。

 ロビンに頼まれ、朝食後にルイたちは今までの事情を話すことになった。本来であれば、聴取は警察署内で他の警官も同席でするらしいのだが、ロビンはルイたちが話しやすいように気を遣ってくれたようだった。

「貴方がたが町で噂のルペシュールであることは察しがついています。そのうえで、児童失踪事件と児童売買事件で知っていることを貴方がたにお聞きしたい」

 ルイはルペシュールのことはまったく口にしていなかったのに、どうやって突き止めたのだろう。みんな一度ルイの方を見たが、ルイは話してないと首を横に振って示した。

 ロビンはルペシュールに殺されたエルマー・フレッドが児童失踪事件の犯人であると考えたらしい。

 そしてライザ・シュペーマンが児童売買に携わっており、エルマー・フレッドとライザ・シュペーマンを繋ぐのはアルヴェンナ孤児院だと言った。

 ルペシュールの犯罪を立件するつもりはないとも言った。

 ロビンは捜査官だ。言葉や態度は穏やかで誠実だが、犯罪を見て見ぬ振りするような警察官ではないとルイは思う。本当にルペシュールを見逃すだろうか。

 それにルイを助けてくれたとはいえ、まだ他のみんなはロビンを手放しで信用しているわけではなさそうだった。

 口を開いたのはミシェルだった。

「口約束では信用できないな」

 眼鏡の奥の瞳を細める不敵なミシェルに、ロビンは固い表情を向ける。

「……何が望みです?」

「話が早くていい。率直な話、こちらとしては児童売買に関わるすべての情報を渡しても構わん。決定的な証拠もくれてやる」

「〈黒猫〉を信用するのか?」

 アシルが口を挟む。するとミシェルは「信用できないから取引をするんだ」と言った。

「かわりに、僕たちの過去の罪、そしてルペシュールの罪に対しては黙認してもらう。僕たちはお前が言った通り、事件に巻き込まれたルイを助けた協力者だ。目の前に犯罪者がいるのを知って、お前は生涯それを見過ごすことができるか?」

「なるほど。しかし、貴方は私が口だけの約束をして、証拠品を手に入れたら裏切るとは考えないのですか?」

 ミシェルとロビンの駆け引きは続く。

「ルペシュールが〈黒猫〉に騙されて死刑台送りになったとなれば、お前は今後一切裏社会にいる者から信用されなくなる。それに、お前にルイを裏切ることができるか? 盗人でルペシュールのメンバーであることを今後隠さなければ、こいつはお前の告発によって死刑台送りになるんだぞ」

 ロビンはルイを見て、明らかに迷いを顔に表した。

 ロビンは、警察にひどい目に遭わされたルイにひどく同情してくれている。ミシェルはその感情をつついて取引を進めようとしているみたいだ。

「お前、こんな小さな子を脅しの材料に使うのかよ」

 レブラスの言葉にミシェルが軽く睨みつける。

「せっかく五人が無事に済むよう配慮している僕になんてことを言うんだ」

「いいでしょう。取引成立です」

 ロビンは自分の正義を曲げてまで、ルイの命を助ける道を選んでくれた。

 ミシェルはにやりと笑いながら、懐から薄い冊子を取り出して、テーブルの上に置いた。孤児院で見つけた児童売買の帳簿だという。そして児童失踪事件から始まった児童売買について、知っている限りの情報を簡潔にロビンに伝えた。

 ロビンはそれをすべてメモした。

 しばらくは、ロビンの下宿に匿われる形で身を潜めることになった。食べ物は毎日ロビンが差し入れてくれる。

 外出は認められたが、ロビンが訪れる朝夕に下宿に戻っていること、新たな犯罪行為を重ねないことが条件だった。

 元のアジトから持ち出すほど大切なものは特にない。いつ拠点がばれて逃げてもいいように、私物や必要なものはアジトに置かないようにしていたのだ。

 ミシェルが渡した情報と帳簿によって捜査は進展し、児童売買に携わっていた者を根こそぎ捕える大捕り物が町全体で行われたという。警察官や孤児院の職員も容赦なく捕まり、奴隷を購入していた工場長や会社経営者なども捕まり、新聞では大いに話題になった。

 それからフロッセの路地裏にいる孤児や浮浪児たちもなるべく保護し、ひとまずはアルヴェンナ孤児院へと連れていっているという。売買に携わっていない職員が残って子供の世話をしているというが、急増した子供の養育資金の調達や里親探しなどもあって、色々問題を抱えているそうだ。

 ルイたちは全員、町で小金稼ぎをした。

 ルイは新聞売り、レブラスとサフィアはコーヒーハウスで給仕、アシルは駅の清掃、ミシェルは小さな劇場のチケット売り。それぞれバラバラになってできるだけ働いた。

「フロッセにはもういられないだろう」

 ミシェルがそう言い出したのがきっかけだ。

「特別捜査官の手も入って、フロッセに蔓延っていた犯罪者がどんどん捕まっている。本来ならルペシュールだって対象だが、民衆や〈黒猫〉が、ルペシュールは対象にならないよう図ってくれている。だが、もう町にいるのは難しい」

 何となくそうじゃないかと思っていた。誰もがそうだったみたいで、ミシェルの言葉に反対する者はいなかった。

 フロッセに愛着があるわけではないし、仕方のないことだとルイも思う。ここにいたらロビンの迷惑にもなるし、五人ともルペシュールという活動を抜きにしても何かしらの罪に問われる身なのだから。

 フロッセを離れてしばらく放浪するための資金稼ぎをみんなで手分けしていた。

 夕方、食料を届けに帰ってきたロビンに、ルイはそのことを話してみた。ロビンは仕事の疲れなどを一切出さず、ルイの話をちゃんと聞いてくれた。

「確かに、ルペシュールが町に居続けるのは難しいでしょうね。フロッセの警察が組織として立て直しを図るまで、しばらく王都の警察が介入することになります。僕がずっと匿い続けるのは難しいですからね」

 ロビンはルイの方を向いて尋ねた。

「……当てはあるのですか?」

「ないみたい。レブラスなんかは、静かで落ち着いた町で、のんびり暮らしたいみたいだけど」

 それを探すためにも、いつどこに落ち着くかわからない旅に出ようとしている。

「王都へ来てくれればいつでも助けになれますが、それも難しいでしょうね」

 ロビンはみんなわかっている。

 ミシェルとレブラスは王都で名高い犯罪者だ。王都に戻れば正体がばれて捕まってしまう。だから王都ともフロッセとも、関わりの薄いどこかへ行くしかない。

「君だけでも僕が引き取れたらいいのでしょうけれど、君は仲間と離れる気はないでしょう?」

「ロビンのことは嫌いじゃないけど、やっぱり、オレはみんなと一緒がいい」

 ロビンは頷き、ルイの気持ちを優先するのが一番だと言ってくれた。

 ある日、五人全員が集まっているときにレブラスが言った。

「どれくらい稼ぐんだ? 列車代って距離によってかかる金が変わるだろ?」

 アシルは日の下で普通に働くことに慣れていないからか、日銭稼ぎを終えるといつもぐったりしていた。

「もう〈黒猫〉に借りりゃいいじゃん」

 ミシェルはダメだと言った。

「もう数日食わせてもらってる身分で、五人分の列車代出せとは言いたくないな。そこまで借りを作りたくない」

「そうね。お金のけじめはちゃんとしたいよね」

 サフィアも同意見のようだ。

 少しずつ、フロッセの町から離れる準備が進んでいる。いつかミシェルとレブラスが夜に話していたことを思い出す。

 ――ずっとこのままでいられるとは思えない。

 今がきっとそのときなのだろう。ルイが呟いた。

「……ルペシュールって、やっぱり解散なの?」

 全員がルイの方を振り向く。みんな、何となく気になっていたけど口にしていなかったことだ。

 最初に口を開いたのはミシェルだ。

「ルペシュールという活動が、この世と戦う手段のすべてではない。みんな、もうそのことには気づいていると思うが、どうだ?」

 このことは全員で話し合って決めるべきだと、ミシェルは言う。まずサフィアが口を開いた。

「あたしは、困ってる人を助けられたらって思ってたけど、でも、五人で一緒に、平穏でいられることの方が大事」

 アシルが頷く。

「正直、オレはサフィアと同意見。仲間が全員無事でいられることを重視したい。ルペシュールのことについては、まあ、今のところはどっちでもいいかな」

 ルイには意外だった。ルペシュールの活動に一番熱心だったのも、一番仕事をしていたのもアシルだったから。

 そういえば、警察署でも署長を殺さずにロビンに引き渡していた。アシルの中で、何か心の変化があったのだろうか。

 他のみんなもちょっと驚いた様子でアシルを見ていた。

 アシルはレブラスを見て笑った。

「で、お前はどうなんだよ?」

 レブラスが答える。

「オレは……、正直迷ってる。目の前に困っている人がいるか、許せない悪人がいるかにもよる。オレはそういうものを見過ごせないし、そういうときは剣を取ると思う。でも、ひとまずは平穏に暮らしたいかな」

 レブラスはいつも悩んで、それでも戦うために剣を取ってきた。レブラスが守りたいものや譲れないもの、それはルペシュールの活動に関わらず、変わらないのだろう。

「ルイは?」

 サフィアに水を向けられる。

「オレは、ルペシュールが続くかどうかは、どっちでもいい。オレを見つけてくれたみんなと一緒にいることが大事だから」

 路地裏にいた自分を助けてくれた、居場所をくれたみんな。

ルイの望みは、みんなと一緒にいることだ。

「僕もだ。全会一致だな」

 ミシェルが頷く。

「当面、ルペシュールの活動は休止とする。何かあったときは、全員で決めて事を起こす。その場合も法に触れる行いは控える。〈黒猫〉には素性が割れている。再び法を犯せば奴は今度こそ容赦しないだろう。みんなの言う通り、ひとまずは平穏に暮らせそうな町探しだな」

 みんなで新しい新天地探し。どうなるかわからないけれど、新しい暮らしが始まると思うと、少しわくわくする。

「行き先は、そうだな……」

 ミシェルはどこで手に入れたのか、地図を出してきた。

 テーブルの上にそれを広げる。

 モノクロの、色々な図や線や名前が書き込まれた絵だ。

「これが国内版の地図。フロッセはここだ」

 ミシェルが指差したのは、北の方にある小さな点だった。

 ルイが出ることができない路地裏より大きなフロッセの町が、地図の中では端っこのごく小さな点でしかなかった。

 ルイが生きてきた世界は、目に収められない場所のもっとずっと先まで広がっている。

 ルイが知っている世界は、本当にごく僅かだったのだ。

 両腕に鳥肌が立った。

「ねえ、王都ってどこ?」

 ルイが尋ねると、ミシェルはフロッセからは遠い、下寄りの真ん中らへんの地点を指差した。

「ここだな」

 ロビンがいたところ。そして、レブラスやミシェルが生まれた、国で一番大きな町。こんな遠いところから、三人は長い旅をしてやってきたのか。

 ミシェルは差した指を滑らせ、三つの地点を指した。

「行き先の候補としては、三つ。王都より南方のこの港町。外国からの船も来る賑やかな町だ。あとは、この東方との交易地にもなっている町。この先は山だ。東の果てだが隊商が通って東の国と交易をしている。それから西にあるこの町。少し王都に近いのが気にかかるが。大きな町で、他の町から学者や芸術家が集まって活動しているような華やかな町だ」

 とにかく、北と中央がダメなので、東か西か南を選ぶということだ。

「いいなあ。あたし、海見てみたい!」

 サフィアは完全に好奇心で決めている。

 アシルは少し冷静だった。

「西以外。学者とかのインテリ層が多い都市だと子供の集団は悪目立ちする。東と南なら交易地点で色んな奴が集まるからいい目くらましになる。いざってときは国外にも脱出しやすい」

「オレもアシルと同じかな」

 レブラスもそう言いながら、東と南の町を順に指差した。

 ルイはみんなが選んだ場所ならどこでもいいと思っていた。どこだって、みんなさえいれば何とかなる。

 ミシェルはもう一度南の町を指差した。

「多数決だと南だな。この辺は冬でも暖かいぞ」

「決まりだな」

 全員が頷く。

 海。いっぱい塩辛い水がある町。冬でも暖かい地方。

 一体どんなところだろう。

 考えるだけでわくわくする。

 出発の日も決まった。今から一週間後。そのために、できるかぎりのお金を稼いで旅の資金にする。

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