37 学園に潜む影

 バーミル学園敷地内にある勇石研究所。一階は受付や講堂、二階から四階は各部署に別れた研究室、五階から八階は駐留している帝国軍の住居に、九階と最上階になる十階には研究所職員の住居となっている。

 

 時間は巨獣の襲撃が始まる少し前に戻る。

 

 「ゴクゴクゴク。ぷは~、やっぱり一日の締めはこれね」


 勇石研究所の九階にある一室。エミルたちの対応をしてくれた受付係の女性フレア・ランバルディは風呂上がりの艶やかな肢体をバスタオル一枚で隠しただけの恰好をしていた。そして部屋の隅にある魔動式冷蔵庫から取り出した酒をグラスに移し一口で飲み干す。


 「さてと~、明日の予定はっと……」


 風呂上りな事に加えて、仕事中は後ろで纏めている長く美しい赤髪を下ろした容姿は大人の色香に満ち溢れている。しかし残念ながらここにはそれを堪能できる人物はいない。一人であるという状況に気を抜いていたフレアは少し離れた位置にあるテーブルに置かれた予定が書かれたメモ帳に手を伸ばす。しかし横着しようとした結果、バスタオルが床に落ちあられもない姿になってしまった。


 「ちょっと前はこんな事無かったのに。もしかして少し太っちゃったかしら?」

 「なら少しは運動をしたらどうだ?」


 ふいに部屋の隅からくぐもった声がする。

 普通の人なら悲鳴をあげるであろう場面だろう。しかしフレアは慌てた様子もなくバスタオルを巻きなおし現れた人物に笑みを向けた。


 「あら、エフィ。随分遅い到着じゃない。ちっとも来ないから先にお風呂入っちゃたわよ」

 「外で名前を呼ぶな。何度言われたら分かる?」


 フレアが笑みを向けた相手、それはリカルドに命令をしていた仮面の人物だった。

 男なら誰もが目を奪われる魅惑的な肢体と蠱惑的な笑みを前にエフィと呼ばれた人物が気にする様子もなくフレアに怒気を露わにする。


 「相変わらずお堅いことで。そんなんだから、いつまで経っても胸が柔らかくならないのよ」

 「胸の話は関係ないだろう!」


 思わず声を荒げてしまったエフィは慌てて周囲を警戒する。


 「防音魔術は使ってるから声出しても気付かれないわよ~」


 酒を注ぎ直したグラスを手にフレアがニヤニヤと笑い椅子に座る。

 大の男を畏怖させる殺気を受けても涼しい顔で酒を楽しむフレアの姿は、昼の真面目な受付嬢とかけ離れすぎていた。もしこの場を学園関係者が見ても同一人物と認識できないに違いない。


 「しっかし相変わらず野暮ったい服装ね、それ。いかにも私は怪しいですって言ってるような物じゃない。久しぶりに会うんだから、その不細工な仮面外して綺麗な顔と可愛い声を堪能させてちょうだいよ」

 「任務中だ」

 「あらら、せっかくあなたの為に美味しいお菓子を買っておいたのに残念ね。じゃ~ん、バーミル王国の良質な乳牛から絞ったミルクを使った甘~い焼き菓子よ」

 「……少しだけだぞ」


 僅かに逡巡したエフィだったが誘惑に勝てずフレアに不細工と呼ばれた仮面を外した。中から現れたのはまだ幼さが残る顔立ちの少女だった。更に頭を覆っていたフードを外すと肩までの長さで揃えられた光沢のある銀色の髪がふわりと舞う。

 だがその髪より人の目を惹きつけ離さないのは左右で色の違う瞳だろう。右目は薄い紅色、そして左目は白に近い銀色をしていた。


 「さっきまで任務中は~とか私に起こっていた子とは思えないわね」

 「どうせ私には誰も気づかないのだから問題ない」


 そう言うとエフィは椅子に座るとフレアが手渡した濡れた布巾で手を拭いてから焼き菓子をつまんで口に運ぶ。フレアに馬鹿にされないよう表情を引き締めているつもりだろうが、幸せそうな笑みは隠し切れていない。そのエフィの表情に満足気な笑みを浮かべつつフレアは注意を促す。


 「お~お~、大した自信ね。けど気を付けなさい。ここには何人か普通じゃない人がいるからね。例えば学長先生とかね」

 「学長のレイラ・スティーク。第三世界出身者で初めて近衛将軍にまで昇りつめた女。『狂風ストームブリンガー』の二つ名で恐れられた魔術剣士。でも戦傷でかつての力はないと聞いているが?」

 「傷だけじゃなく年齢的にもかつての力はないでしょう。それでも油断できる相手じゃないわ。私も何度か顔を合わせたけど、その度に正体がばれやしないかって冷や汗が止まらないわよ。それにもう一人、もしかしたら学長より気を付けなければならない相手がいるかもしれないわ」

 「あの召喚獣を追い払った兵士の話か?」

 「兵士?」

 「ん?」


 同じ人物について話しているはずなのだが微妙に食い違っている事に二人は同時に首を傾げる。


 「限定召喚を使っていたなら視覚も繋がっていたはずよね。部下に誰にやられたか聞いていないの?」

 「私は当然軍の兵士にしてやられたと思っていた。部下も訂正しなかったからそうだと思い込んでいたが違うのか?」

 「話の前に聞きたいんだけど、その部下って誰よ? 私の知ってる人?」

 「お前がここに来たすぐ後に入った奴だ。どこかの貴族崩れらしいが興味がないからそれ以上は知らない」

 「あんたはもう少し周囲に気を配りなさいな。一人が上手くやっても他が足を引っ張れば任務は失敗するのよ」

 「説教はいらない。それより誰なんだ。その油断ならない人物とは?」

 「名前はエミル・イクス。あのバスに乗っていた新入生よ」

 

 フレアが自分が集めたエミルに関する情報を伝えるがエフィはどうにも半信半疑の表情を浮かべたままだ。


 「何よ、信じてないの?」

 「お前は私生活ではどうしようもなくだらしない奴だが任務には真面目に取り組むし無用な嘘を吐く奴でもない。だから本当の事を言っているとは思う。だがあの召喚獣はかなり改造を施していた個体で魔術防御もかなり高く調整されていると聞いている。それを子どもが簡単に送還できるはずはないと思うが」


 (あんたも子どもでしょうが)とツッコミたい気持ちをフレアは何とか抑え込む。目の前のオッドアイの少女は子ども扱いされることを何より嫌うのだ。

 平時なら他愛ないじゃれ合いを楽しむのもアリだが今は互いに隠密活動中の身だ。無駄に激昂させて暴れた挙句防音術が破壊されては敵わない。


 「今私の事を馬鹿にしただろう?」

 「してないわよ? 可哀そうに、すっかり被害妄想に憑りつかれて……」

 「誰のせいだ!」

 「ところであんたのんびりしてていいの? 私は一向に構わないけども」

 「そうだった。例の物は?」

 「ここに。これ手に入れるのにホント苦労したんだから感謝しなさい。これでそっちの任務は終わり?」


 フレアはブレスレットが入った透明なケースをテーブルに置いてエフィの方へ押し出した。


 「いや、報告では一人人物が見つかったと聞いたが?」

 「ああ、反省室の子ね。……ってまさか連れて帰る気? さすがに無茶よ、それは。あんたの能力は知っているけど人を連れて出られるほどココは甘くないわよ!」

 「問題ない。その為に陽動を仕掛けるつもりだ」

 「陽動って何? まさか改造召喚獣使ってここを襲撃するってんじゃないでしょうね!?」


 激昂したフレアがテーブルを叩くとグラスが倒れ中に入った酒が床に垂れる。衝撃で宙を舞った焼き菓子が入った容器とブレスレットが入った箱は不思議そうな顔をしたエフィが空中でキャッチしてテーブルに戻した。


 「何を怒っているんだ?」

 「さっき言ったばかりでしょうが! どうしてあんたは仲間に何も知らせず勝手な行動をするの!?」

 「だから今話しただろう?」

 「そういう問題じゃない!」

 

 あまりに一方的な通達に苛立ちを抑えきれずにフレアは自慢の赤髪を搔きむしる。だが怒りを向けられているエフィは平然とした態度を崩しておらず、それがさらにフレアの苛立ちを加速させる。

 エフィという少女は確かに腕は立つが感情の機微には恐ろしく鈍い。フレアが彼女をからかうような言動をするのも人間的な感情、感覚を身に付けて欲しいという思いからなのだが、残念ながらその効果はまだ見られないようだ。


 「エフィ、確認させて。『ガーデン』は帝国と戦うつもりなの?」

 「そんな指令は受けていない」

 「ならどうして!?」

 「だがターゲットの確保のためなら手段を選ぶ必要はないとも言われた。そして今帝国軍の配置は偏りを見せている。これを利用しない手はないと判断した。何か問題があるか?」

 「問題しかないわよ……」


 これ以上怒ってみせても無意味と悟ったフレアは大きくため息をついて改めて椅子に座った。そして望み薄と知りながらも最大の問題点を指摘する。

 

 「以前の襲撃でナーバスになっている所に続けて襲撃を受ければ帝国は本気で調査に乗り出してくるわよ。帝国も馬鹿じゃないわ。襲撃に関して徹底的に調べ上げるだろうし、その過程で学園にいる全ての者を調べなおすでしょう。そうなると私が危うくなる可能性もあるのよ?」

 「自分は絶対バレないって自慢していただろう?」


 しかし、フレアの指摘にエフィはちょこんと首を傾げてオッドアイをフレアに向けるとほんの少しだけ困惑しつつ逆に過去のフレアの発言を引き合いに出す。


 「私はあなたの世間知らずで素直な所は好きだけど言葉を額面通りに受け止めるのは止めなさい。世の中に絶対何て物はないの。どんなに完璧と思える作戦を立ててもイレギュラーの発生で失敗する事はあるのよ。まあいつも完璧なあんたには分からないかもしれないけどね」

 

 若干の嫌味を込めたがエフィが優秀な事は間違いない。特に隠密能力を求められる任務では百パーセントに近いの達成率を誇っている。普段の彼女ならば嫌味を気にすることはないのだが今回は違った。


 「私は完璧じゃない。だからこそ今回の任務は絶対に成功させなければならない」


 いつもの淡々とした口調ではなく熱と焦り、そして若干の弱気を感じたフレアがエフィの顔を覗き込む。こんなエフィを見たのは初めてだった。


 「『導師グランドマスター』に何か言われたの?」


 導師という人物はエフィにとっては全てと言っていい存在だ。

 もし彼がエフィに「死ね」と命じれば彼女は喜んでその命を捧げるに違いない。

 だからフレアはエフィにしては強引過ぎる方法をとろうとしているのをこの人物のせいではないかと思ったのだ。


 「以前の任務で失敗した。だからこそ今度の任務は成功させる。それだけだ」

 

 フレアが学園に入ったのが約半年前。その時にはエフィの任務失敗の話は聞いていない。自分が潜入任務に就いた後に何があったのか。それを聞き出そうとする前にエフィは立ち上がり受け取ったブレスレットを懐にしまい、再びフードを被り仮面をつける。


 「ちょっと、まだ話は……!」

 「終わりだ。お前の正体が発覚しそうになったら任務を中断して逃げろ。任務失敗の責は私が負う」

 「結構よ。後輩に尻拭いしてもらおうなんて考えてないわ。……どうしてもやるのね?」

 「ああ」

 「分かった。ただし約束して。人死には出さないって」

 「……情でも移ったのか?」

 「あんたは勘違いしているけどガーデンは反帝国組織じゃない。敵対する必要がない相手に喧嘩を吹っかける必要はないでしょ。ましてや、ここには無関係な子どもも沢山いるのよ」

 「導師の命令は絶対だ。例え誰に恨まれることになったとしてもだ」

 「そんなに導師様の可愛いお人形でいたいの、あんたは?」


 二人の間の空気が一気に変化しただならぬ緊張感が部屋に張り詰める。

 睨み合うこと数秒、先に目を逸らしたのはエフィだった。背を向け外に出るドアに向けて音もなく歩き出す。


 「あくまで召喚獣は兵士を外へ釣り出すための囮だ。中への破壊行動はするなと命じている」

 「一回命令無視した奴が従うかしら?」

 「従わないなら始末する」

 「そいつが死んだところで殺された人が生き返る訳じゃないわよ。もし陽動で使う召喚獣が妙な行動をとったら私が止める。それでいいわね?」

 「……好きにしろ」


 ギリギリの妥協点を互いに示すとエフィはドアを開けず体を透過させて出ていった。


 「奪った命は何をどうしたって戻ってくることは無い。それがどれほど取り返しのつかない事か、あんたは本当に理解しているの、エフィ?」


 何度目かのため息を吐きフレアは急いで下着を身に付け動きやすい服を選んで着替えてが来るのを待つ。


 その五分後。

 学園中にサイレンが鳴り響き激しい銃撃音が聞こえてきた。


 しかし彼女たちは知らなかった。

 切り札的な存在だった召喚獣があっさり倒された事により計画は大きく狂っていくことになる事を。



 

 

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