33 王の庭園

 バーミル国王の別荘地に作られたその庭園は見事な物だった。

 王国の短い春を謳歌するように咲き乱れる花々。その花を照らす、時代を感じさせる魔術灯。設えられた池は水上の花を映し、もし晴れていたのなら月や星も水面みなもに取り込み見る者を魅了するに違いない。

 エミルは花には詳しくないが、そんな彼が見てもため息が出るほどの綺麗な庭園だった。しかし、今夜はその美しさを堪能する人はエミルとシルヴィナしかいない。寮や訓練場の喧騒も遠く学校の中とは思えない別世界に来たようだった。


 そんな庭園には小さな四阿あずまやがありエミルとシルヴィナはそこに腰を落ち着けた。

 庭園に入った時にもエミルはシルヴィナに話しかけたのだが、シルヴィナは顔を下に向けて、聞き取れないほどの小声で「うん」とか「そうですね」とおざなりな返事をするだけだけで目も合わせてくれない。一方通行な会話も途切れ気まずい沈黙が続く。

 その沈黙を破ったのは(このままじゃ駄目だ)と己を叱咤し奮い立たせたエミルだった。


 「ごめん、シルヴィナさん!」

 「え? えっ!?」


 突然立ち上がり自分に頭を下げるエミルにシルヴィナは戸惑い目を白黒させている。

 夜の暗さでエミルは気づいていなかったが、いきなり手を掴まれロマンチックな庭園に連れて来られたシルヴィナの顔は真っ赤だった。もしエミルに余裕と経験があれば、ここに来るまでの対応と庭園でのシルヴィナの対応、その性質の違いに気づけただろう。


 「あの、なんでエミル君が謝るんですか?」


 なにか甘酸っぱい出来事が起こるかもと思っていたら謝罪され困惑しつつもシルヴィナはようやくまともな返事をしてくれた。

 

 「安易に能力の試すことを勧めた事だよ。何が起こるか分からない能力ならもっと慎重になるべきだったんだ。なのに軽い気持ちで、しかも何の備えもなく能力を使わせて君に責任を負わせてしまった。だから、ごめん!」

 「それは違います! 全ては私が未熟だったから! エミル君の責任じゃありません。そもそも私が『先生』の言いつけを破ったからなんです!」

 

 そう言うとシルヴィナは自分の顔を手で覆って泣き始めた。

 同性、あるいは恋人なら抱きしめて慰めるという事も出来たかもしれない。しかしまだ出会って間もない唯のクラスメイトがそんな大胆な事を出来る訳もない。

 だからエミルはただ隣に腰をおろしてシルヴィナが泣き止むのを待った。

 かつて親友がそうしてくれたように……。


 少しして落ち着いてきたシルヴィナがぽつぽつと先ほど口にした『先生』、つまり魔術の師の事をエミルに語りだした。


 「私の先生は第五世界で高名な魔術師だったんです」

 「五大術士ってレイラ学長は言っていたね」

 「はい。六十年前に私たちの世界に現れたドミクラク帝に師事し魔術を修めた五人の高弟を五大術士と言い。私の師はその最後の一人だったのです」


 プラティア王家に求められたのは、代々奉る聖剣に認められるための武でした。

 でも私には剣の才は無く、長年敵対してきた魔族の技である魔術の方が得意でした。

 そのせいでお父様は正統な後継者を求める臣下に責められていました。ですがお父様は私の才能を褒めてくださいました。そして高名な術士を家庭教師として呼んでくださったのです。


 最初はとても楽しかった。魔術が上達するほどに父も、今まで私をよく思っていなかった周りの者も私を褒めてくれました。これで私もお父様に苦労をかけないで済むと幼心に思っていました。

 でもある日を境に私の魔術は暴走を繰り返すようになってしまいました。


 「暴走姫ぼうそうき」「役立たず」「魔族の取り換え子」


 私が悪し様に言われるのは我慢が出来ました。

 けれどお父様まで非難されるのを見て(なんとかしないと)と心は焦り、それが失敗を招くという悪循環に陥っていきました。

 逃げるように最初の家庭教師が辞め、次に呼ばれた教師もすぐに諦めて去っていきました。三人目の先生には暴走に巻き込んで怪我をさせてしまい私は自暴自棄になりました。

 そんな私の元に四人目の先生として五大術士と呼ばれるユアン・ラーク先生が来てくださったのです。


 「では君の魔術を見せてもらおうかの?」


 白いひげを揺らし微笑むユアン先生の前で私は当時習っていた最高位魔術を見せようとしました。

 でもそれはすぐに先生に止められました。


 「無理をして難しい魔術を使おうとしなくてもよい。もっと簡単な魔術で構わん」


 さっきより少し怖い顔をしている先生を見て私は自信を失いました。


 (やっぱり私には才能なんてない役立たずなんだ)


 涙を堪えて一番最初に習った明かりの魔術を使ってみせると先生は今度こそ怒り出しました。でもその怒りは私に対してではありませんでした。


 「基礎もしっかり出来ておらん子に何を教えておるんじゃ、あの馬鹿者どもが! すまんの、シルヴィナ姫。以前あなたに魔術を教えた連中はワシの弟子なのじゃ。どうかワシにあなたの指導をさせていただけませぬか?」

 「でも私には才能なんて……」

 「もしあなたに才能がないと言うのならワシや他の五大術士の才など無いに等しい。ワシが断言しましょう。あなたの才能はわが師シルヴィ・エル・ゼストに匹敵します。どうかあなたの師となる栄誉をワシにお与えくださいませぬか?」


 その日から私はユアン先生の指導を受けることになりました。

 それまでの見栄えする派手な高位魔術ではなく、来る日も来る日も初歩的な魔術を繰り返し練習し魔力をコントロールする術を学んでいきました。


 「姫、あなたが普通の天才であったなら魔術が暴走する事など無かったでしょう。ですがあなたが体内に持つ魔力量、周囲のマナに働きかけ操る能力は天才という枠に納まる物ではありません。まずあなたに必要なのは使う魔術に応じて適切な量の魔力を取り出す事なのです」


 周囲から見ればとても地味で面白味ない修行だったかもしれません。

 でも私にとってはとても楽しく、かけがえのない時間でした。

 休憩の時間にはユアン先生からドミクラク帝の話や既に亡くなっている他の五大術士の冒険譚を聞いては心躍らせました。

 そして私がようやく中級魔術を暴走させずに扱えるようになった頃、そんな楽しい日々が終わりを迎えました。


 病をおして私を指導をしてくださったユアン先生の命が遂に終わりの時を迎えようとしていたのです。


 「すみませぬな、姫。ようやく基礎が終わりこれからという時に……。代わりにこれを渡しておきましょう」

 「この本は先生がずっと書いておられた物では?」

 「ワシが師から学び、仲間と共に磨き上げた魔術の全てを記した世界で一冊だけの魔導書です。死ぬ前になんとか仕上がりました」

 「そんな大事な物、受け取れません。これは先生のご家族に……!」

 「息子たちには既に別の魔導書を渡してあります。これはワシの、いえ、五大術士の後継者たるあなた様の為だけの魔導書なのです。この書にはこれからのあなたに必要となる事が全て記してあります。出来れば他にあなたの師となれる者が現れてくれればよいのですがな……」

 「私は……、私は……!」

 「こんな事を言うと国王様はお怒りになるかもしれませんが、あなたは国の外へ出るべき人です。多くの人と出会いなさい。多くの友達を得なさい。それらがきっとあなたの強さになり道を切り拓く力となります。ワシが師や仲間と出会い切磋琢磨したように」

 「先生……」

 「恐れず……自分の……道を……お行きなさい」


 それが先生の最期の言葉でした。


―――

 「いい先生だったんだね」

 「はい、教えを受けたのは二年足らずでしたが本当に多くの事を教えていただきました。先生が亡くなってからは譲り受けた魔導書を見ながら一人で勉強を続けました。でも私は先生の言いつけを破ってしまったんです」

 

 エミルは言葉を急かすことはせず、ただシルヴィナが続きを話してくれるのを待った。

 

 「……魔導書の最後には、全ての修行を終えた時に見るようにと書かれ封印されていたページがありました。でも私は我慢できずに封を破って見てしまったんです」


 師が自分に何を残してくれたのか? それを知りたいと思うのは自然な事だろう。けれど、そこに書いてあったのはシルヴィナの予想を超えた物だった。


 「そこにあの『ディムズオン』の式や魔術陣サークルが記してあったんだね」

 「はい……。目に入った時にすぐにそれが危険な術だと分かりました。でも私はその式と魔術陣から目が離せなかったんです」

 「うん、分かるよ。あの禁術の式や陣は綺麗だった。まるで芸術品の様に」


 高位の魔術になればなるほど式や魔術陣は複雑になる。

 いくつもの図形、文字、記号が入り混じり大抵はただ乱雑になるのだが、たまに芸術的な美しさを持つ魔術が生まれることがある。


 「はい、私もそう思いました。危険な魔術とは思えない程に綺麗で幻想的で来る日も来る日も眺めていました。もちろん使うつもりなんてありませんでした。それがあんな事につながるなんて……」


 シルヴィナが生み出した光球は彼女の記憶の中から最も強力な魔術を選び対象を攻撃したのだろう。

 師の残した魔導書の封印を解いてしまった。それがこんな結果を招くなど誰にも予測できるわけがなかった。

 

 だが、ここでエミルが「仕方なかった」「気にするな」などおざなりな気休めを言ってどうなるというのだろう? 

 俯いているシルヴィナに前を向いてもらうにはどうすればいいのか。エミルが出した答えは――。


 「……後悔するのはいい。だが歩みは止めるな!」

 「ふぇっ!?」

 「って、僕が大失敗した時に師匠が言ってくれたんだ。傍若無人な人に、そんな事言われても、ってその時は思ったけどね。でも悔やんでも時間は巻き戻せない。だから失敗を胸に刻んで前に進んで行くしかないんだって僕も思う」


 半分はシルヴィナに、もう半分は自分に言い聞かせるようにエミルは語った。その言葉をシルヴィナがどう受け取ったかは俯いた表情からは分からない。


 「えっと、ごめん。謝ったり偉そうな事言ったりして。でもシルヴィナさんの魔術の才能は本物だって僕も思う。勇石の扱いだってきっと上手くできる。だから……うん、前を見て欲しいんだ。シルヴィナさんのお師匠様が言った自分の道を見つける為にも、ね」

 「……ありがとうございます」


 エミルの顔を見て微笑むシルヴィナの顔を見てエミルはドキッとした。


 (あれ、前にどこかで似たような事があった気が……)


 何かが頭をよぎるが、それを辿る間もなく庭園の隅に設置されたスピーカーから短いチャイムが訓練場が閉まる時刻が迫っている事を伝える。二十時以降、生徒たちは寮と入浴施設がある別荘までの範囲しか移動しか出来なくなる。許可もなく違うエリアに行けば問答無用で巡回している警備に取り押さえられしまうのだ。


 「ごめん! ちょっと話過ぎたね。急いで送るよ」

 「ううん、私の方こそ喋り過ぎてしまいました。……あの、また話をさせてくださいませんか? 今度は魔術について色々お伺いしたいです」

 「僕で良ければ喜んで」


 先ほど頭によぎった物は一旦横に置きエミルはシルヴィナを連れて庭園を出て寮へ向かう。その途中で帰りが遅い事を心配していたモナカに会い二人と別れたエミルは自室である元倉庫に帰ってきた。

 

 「シルヴィナさんは先生がいないのか……」


 椅子に座って天井を見ながらエミルは呟く。

 バーミル学園には魔技術マギテックに関する授業はあるが魔術に関する授業はない。例えあったとしてもシルヴィナを指導できるほどの人物がいるとは思えない。


 (学園にいる三年間は新しい先生を探すのも無理だろう。その間は魔導書を頼りに一人で学ばなければならないのか)


 彼女の才能ならそれでも相当なレベルに達するだろう。

 けれど、適切な指導が出来る人が付けばもっと大きく成長できるはず。そう思うとエミルは居ても立っても居られなくなった。

 

 (お節介かもしれないけど、それでも……!)


 机の引き出しにかけていた施錠の魔術を解除してエミルは一枚のタブレット型の機械を手に取る。それは地球で普及している『スマートフォン』によく似ていた。


 「……ご無沙汰しています。少しいいですか、師匠?」

 『随分久しぶりじゃな。たまにはこちらに顔を出せ。ココネも会いたがっておるぞ?』


 手エミルが慣れた手つきでボタンを操作するとタブレットから年よりのような話し方をする若い女性の声が聞こえてきた。


 「休みと外出許可が下りたら顔を出しますよ。それより会ってもらいたい子がいるんです」

 『ワシにか? なんぞ面白い奴なのか?』

 「とても魔術の才能がある子なんです。ただ、少し前に師事していた方を亡くしてしまったんです」

 『で、ワシに新しい師になれと言うのか? ふむ、お前の目から見てどの程度の才能じゃ?』

 「ココネちゃんに匹敵します」

 『千年に一人の天才だと?……俄かには信じがたいがお主が嘘を言うとも思えんな。良かろう、ワシが直々に会ってみようではないか。ただこっちも仕事が立て込んでおっての。都合がついたら連絡しよう』

 「ありがとうございます!」

 『うむ、ついでにお前の事もしっかり見るからの。精進を怠るでないぞ』


 最近、魔術の修行をサボり気味だったエミルは(しまった)と思ったが、既に通話は切れてしまった。


 (ふう、また無理難題言われると困るからなぁ。寝る前に久しぶりに転印術の練習をしとこう)


 シルヴィナの前で怒られて恥をかかないようにしなくてはとエミルが決意しているとドアをノックする音が聞こえてきた。


 「お~い、エミル。帰ってるか~? 風呂行こうぜ~」

 「うん、今準備するよ」


 色々な事があった一日の締めくくりにエミルはザカットたちと風呂へ行くことにした。


 だが彼の波乱に満ちた一日はまだ終わってはいなかったのである。

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