32 夜空の下で

 エミルとシルヴィナが研究所を出た時には既に陽は落ちすっかり夜になっていた。

 時刻は十九時を少し過ぎていた。設置された魔術灯が道を照らし射撃訓練場以外の訓練施設にはまだ明かりが灯っている。各施設は二十時まで解放されており今も誰かが訓練に励んでいるのだろう。

 空は雲が多く上空は風が強いのか半分欠けた月が顔を出したり隠したりをくりかえしている。雪を頂く山から吹き下ろす夜風が身を切る様に冷たいが、エミルたちは外気の影響を和らげる魔術を使い寒さを凌いでいた。


 「それでマットさんがね――」

 「そう、なんだ……」


 研究所を出てから何度もエミルから話かけているのだがシルヴィナはその全てを上の空で返事もおざなりだ。

 普段の彼女なら聞いてなかった事を詫びしっかり会話に参加してくれるのだが、今の様子はあまりにもおかしい。


 (やっぱりショックが大きすぎたんだろうな)


 エミルは会話が途切れた瞬間にシルヴィナが吹き飛ばした地点に目をやる。現場では今も兵士が穴を埋める作業を続けており忙しく走り回る人の姿が見えた。

 穴を塞がなければ塀とフェンスの修復も出来ない。勇石ブレイブハートという機密の塊を守る防壁の修復は何を差し置いても急がなければならない。恐らく兵士たちは夜通しの作業と警備を強いられることになるだろう。


 「シルヴィナさん、お腹は空いていない?」

 「大丈夫……です」


 研究所での聞き取り調査を続けている間に夕食は出されたのだが、研究員は何を考えてか軍の携帯食を渡されたのみだった。栄養はあるが腹が膨れる物ではないためエミルは念のため聞いてみたのだがシルヴィナはやはり下を向いたままだ。彼女の長い橙色の前髪が目を隠してしまって何を考えているのか伺い知る事も出来ない。

 校則では運動中は邪魔にならないようにすれば髪の長さに関して注意されることはない。だが前にシルヴィナの目を見たエミルは少し残念な気持ちがあった。


 (もったいないな。シルヴィナさんの赤みがかった茶色の瞳、すごくきれいなのに)

 

 時折、顔をあげた際に見える瞳をエミルは思い出した。髪型を少し変えるだけで周囲からの評価も大きく変わると思うのだが、例えそれを言った所で彼女は困ったような顔をして笑うだけだろうというのは想像がついた。


 (自分を変えられるのは自分だけ。昔の僕も仲間からこう思われてたのかな)


―――

 四年前、父の死をきっかけにしてエミルは笑わなくなった。

 父を含む多くの人の犠牲で助かった自分の命に価値を見いだせない苦悶の日々。ただ無為に生きているだけの日々が終わりを告げたのは、一つの出会いがきっかけだった。


 『お父さんが死んで辛いんでしょ? なら泣けばいいじゃないか』


 そう言った相手は自分と同い年の少年だった。

 無神経な事を言う少年にエミルは激昂し相手を罵り、そして泣いた。

 エミルが泣いたのは自分の境遇を悲しんでではない。その少年も、ある日突然戦いに巻き込まれ生きるか死ぬかの日々を送っていた。

 エミル自身も少年に何度も命を救われた。彼の事情も知っていた。その恩人を自分の弱さを棚に上げて罵った事に後悔の涙を流した。

 そして一度溢れ出した感情は、決して良好とは言えなかった父や犠牲になった人の記憶を思い出させ涙は止まらなかった。


 (強くなりたい)


 泣いてあらゆる事を押し流したエミルの心の底に残ったのは、その想いだけだった。

 その日からエミルは生まれ変わった。変わる努力を続けてきた。

 そしてエミルには多くの友と仲間が出来た。自分を変えてくれた少年とは親友と言えるほどの関係を築けた。

 今は遠く離れているが、それでも繋がりは消えていない。その繋がりがいつもエミルを後押しして強くしてくれると信じている。


―――

 (でも僕がシルヴィナさんに何が出来るだろう?)


 初めて出会った日。ほんの僅かだが彼女が抱えている物の重さを見た。

 知り合って間もない自分がそんな彼女の内面に踏み込むような真似をするのが正しいのか? 彼女の親友であるモナカに任せた方がいいのではないか?

 だがエミルは小さく首を振って生来の弱気を振り払った。


 (嘘だ。僕はまた建前で本音を隠している。本当はただ関わりたくないだけなんだろう? 早くたちの所に戻りたいから面倒事は避けようとしている卑怯者だ。こんな時に彼ならどうする?)


 研究所から北回りで寮へ帰る道は工事で使えなくなっている。それに訓練場も使用中なので中央を突っ切って寮へ戻る事も出来ない。仕方なく二人は校舎方面へ向かう南回りで寮へ向かっていた。その途中で花が咲き乱れる庭園がエミルの目に入った。それを見て足を止めたエミルは後ろを歩いていたシルヴィナに振り返った。下を向いていたシルヴィナはエミルが足を止めた事に気づかずエミルの胸におでこをぶつけて足を止めた。


 「きゃ! ど、どうしたんですか、エミル君?」

 「シルヴィナさん、ちょっと話をしていかない?」

 「え? え? エミル君!?」


 頭をぶつけてしまった事、手を握られた事、そしてエミルの言っている事の何一つ整理がつかないままシルヴィナは強引に庭園に連れていかれてしまった。

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