31 蠢く者
石造りの質素な家屋が並ぶバーミル王国王都『バーミル』の狭い路地を目つきの鋭い痩せぎすな男が走り回る衛士の目を避けるようして足早に歩く。
バレている訳ではないと分かっていても小心さからから衛士の眼を逃れようと人気のない路地を選びながら忌々し気に舌打ちする。
男の名はリカルド・ワゲス。
第一世界にある辺境の小国に仕える貴族だった男であり、禁術に手を出し国を追われた犯罪者であり、そして先のバーミル学園行きのバスを召喚獣を使って襲撃した男である。
あの安宿から飛び出した後、一泊野宿をしてから様子見と腹ごしらえを兼ねて王都へ戻ってきた。貴族生まれのため野宿に慣れておらず危険を承知で戻ってきたが自分の事がバレてないと確信を持つと憂さ晴らしの為に昼から酒場に入り浸り酒と食事を楽しんでいた。
夕方になるとそろそろ『生贄』を捜そうと思い立ち外に出て若い女性を物色していた。リカルドは召喚術士であったが領地を追われた時に契約していた強力な召喚獣を全て失ってしまった。その後、現在所属している組織に逃げ込んだ時に新たな召喚獣を貸してもらったのだが、それで満足するような男ではない。隙あらばかつての召喚獣との契約を取り戻そうとしており、そのために生贄が必要なのだ。
だが物色を始めてそこそこに突然大きな揺れが夕暮れ時の王都を襲い周囲は騒然となった。(リカルドは知る由もなかったが原因はバーミル学園で起こった事故である)
その揺れのせいで王都は騒然となり民を安心させるためか兵士が巡回を開始し始めて全ての予定が狂ってしまった。
(ちっ、こうなったら選り好みをしてられん。誰か適当に……)
路地にある家から聞こえてくる子供の泣き声に苛立ちながらリカルドは爪を噛む。
迂闊に顔を晒す勇気も持てず、リカルドは薄暗い路地の壁にもたれかかり都合の良いエサが来ないかと周囲に視線を走らせる。
「生贄の物色か? この任務の前に言ったはずだぞ。勝手な事をするなと」
その冷たく殺気に満ちた声に僅かに残っていた酒気がさめ額から汗が流れる。
横に向けていた顔を前に戻すと、そこに居たのはあの鳥の顔を模った仮面をつけた人物だった。
自分より頭一つ小さい子どものような身長ながら、その殺気は貴族から罪人に転落した日に出会った帝国の将よりも冷たく鋭い。
仮面には変声術が仕込まれ聞こえてくる声は常に変わり、身にまとうマントで体格も知ることが出来ず性別も年も分からない。
(こいつ、いつの間に……!)
迂闊な事をすれば即座に喉を搔き切られる。容易に想像できる未来にリカルドは声を出すことも出来ない。
「しかも随分と酒を飲んでいる様だな。お前が『あの方』から下賜された金をどう使おうが知った事ではないが、それ相応の働きはして欲しいものだな」
「わ、私が役立たずと言いたいのか!」
「駒の分際で命令に従えん奴はそう言われても仕方ないだろう? 召喚獣を失った哀れな召喚士にあの方は代わりまで下さったのだ。それほどの恩を受けながら命令無視した挙句に自分も危うく捕らえられそうになった。これでどう無能ではないと言えるのか聞きたい物だ」
殺気で冷えた頭に一気に血が昇り、リカルドが召喚術の
だが仮面の人物はそれを許すほど甘くはない。
右手が目にも止まらぬ速度で動くとリカルドの両腕と胴に一直線の切り傷がうっすらと血を滲ませた。
「殺気も消せず術の発動も遅い。そもそも私の間合いで速度勝負をしようなど状況判断も出来ないか。ここで殺しておく方が面倒が無くていいかもしれないな」
「まっ、待ってくれ! 違うんだ、ついカッとなって魔力の制御が出来なかっただけなんだ。別にお前、いやあなたに歯向かおうなどとこれぽっちも考えていない!」
おのれの立場もわきまえずに普段は傲慢に振舞い、不利と悟ればどこまでも卑屈になれる。しかも自分が魔力の制御も出来ない未熟者だと言っているのにも気づいていない目の前の男の愚鈍さに『仮面』の苛立ちは頂点に達する。
(こいつは今までに何の罪もない者たちを生贄にし強力な存在と契約を結び好き放題に生きてきたと聞いた。ならここで始末をつけるべきか)
ゆらりと目の前の存在が動くとリカルドは目に涙を溜め何の躊躇いもなく地面に這いつくばり更なる命乞いをする。もし靴を舐めろと命ずれば即座に実行に移すだろう。その姿を見て『仮面』は自らが手を下すのもバカらしくなり手を降ろす。
(これほどクズなら使い捨てにしても気に病む必要もない、と考えるべきか)
「……立て」
「わ、私を殺さないのか?」
「貴様に最後のチャンスをやる。殺されたくなければ結果を出せ」
「わ、分かった。何をやればいいんだ」
そして『仮面』はリカルドに指令を出す。
それを聞いたリカルドの顔が真っ青になり気分が悪くなったのか今にも吐きそうな顔をして哀願の眼差しを『仮面』に向けた。
「それは私に死ねって言っているような物ではないか!」
「生き残れるかどうかはお前次第だ。忘れるな。お前が選べるのは二つだけだ。今ここで死ぬか、命令に従うか。私はどちらでも構わないが」
ゆっくりと『仮面』が右手を持ち上げるとリカルドは首が千切れるのではと思うほど首を激しく横に振る。それを見て『仮面』は腕を下ろした。
「結構。夜までに酒を抜いておけ。作戦開始までは好きにしていろ。ただし殺しはするな。私はいつでもお前を見ている、それを忘れるな」
そう言い残すと『仮面』の姿がリカルドの目の前で忽然と消え失せた。
今度は目を離していなかったのに何が起きたのか分からずさっきまで『仮面』がいた場所にリカルドは這いつくばったまま近寄るが、何の魔力の残滓も感じられず消えた理由に見当さえつけられない。その不可解さを目の当たりにしてリカルドは体を震えさせ、やがて耐え切れず哄笑し始めた。
「ふっははははは! 今に見ていろ。その神秘の力、必ず私の物にしてみせるぞ!」
(誰だ、アイツ? 頭おかしいんじゃないのか)
(怪しい奴。誰か兵士さん呼んできて!)
建物から聞こえる声に我に返ったリカルドは有象無象の下民に嘲笑された屈辱で顔を赤くしたままコソコソとその場を後にする。
(くそ、この私がこんな辺境の愚民どもに馬鹿にされるとは! 私が力を取り戻した時にはこの街全て破壊しつくしてくれる!)
気が付けば王都の喧騒は大分収まっていた。
リカルドはやや覚束ない足取りのまま王都の雑踏の中に消えていった。
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