39 誤算
(くそ、どうしてこうなった)
エフィの立てた計画は単純な物だった。
フレアと会った後に防御施設に忍び込み邪魔になる砲台を一時的に無力化。その後あらかじめ命令した時間にリカルドが召喚獣で学園を三方向から強襲。
学園を守る帝国兵の意識が外へ向いている間にエフィが目的を果たすという算段だった。
(最初から無茶な作戦とは分かっていた。だが――)
かつて
相手は剣一本、エフィは両手足に忍ばせた四つの刃。
高さも広さも十分にある廊下で立体的な攻撃を繰り出すエフィの攻撃をレイラは涼しい顔をして受け流し反撃してくる。
相手がどうやって自分の隠形術を見破ったのか分からない間は姿を消しても無意味と判断してエフィは術を中断。かわりに身体強化の魔術を使用して応戦するが、それでも互角で状況は膠着していた。
(自分の力を過信しすぎたというのか)
実際、エフィはリカルドの力など当てにしてはいなかった。せいぜい有象無象の兵士の注意を引く程度の事しかできないと考え、計画の詳しい内容を教えていない。フレアに対しても喧嘩別れして計画の内容を話せていない。つまりエフィは今、孤立無援になっていた
(レイラ・スティークの居場所を調べなかった私の怠慢が招いた結果だというのか。だが……!)
エフィの両手に持つ短刀がレイラの上着を切り裂き彼女の二の腕に傷をつける。しかし同時にエフィのマントが胸部分を大きく切り裂かれ皮膚にうっすらと血が滲み出る。
「さすがは一人で潜入を試みるだけはある。だがそんな動きにくい恰好のままで私と戦えると思われているのは業腹だ。いい加減本気を見せたらどうだ」
「無駄に血を流したくない、など言える相手ではないな。覚悟!」
そう言うやエフィは着ていたマントを前へ投げつけレイラの視覚を封じ、流れるような動作で両手の小刀を投げた。狙いはレイラの剣を持つ右腕と左の太もも。戦闘力を奪う事を目的とした不意打ちだったが――。
「私の二つ名を知っているのに迂闊な攻撃だな」
マントの向こうから聞こえてきた声に背筋が寒くなったエフィは横っ飛びでその場を離れる。
その彼女の髪を突然起こった突風が激しく揺らす。放たれたのはレイラの斬撃。だがそれはただの斬撃ではない。
宙を舞っていたマントを切り裂き、エフィのナイフを風圧で弾き飛ばし、更には壁に大きな亀裂を作った。レイラの風を纏った斬撃にエフィの顔から冷や汗が流れる。当たっていれば確実に胴体が二つに別れていただろう。
「随分背の低い工作員と思ったが子どもだったか」
マントを脱ぎ棄て体のラインが出る黒のボディスーツに黒い手甲と脛当て、そしてブーツを身に付けた姿を晒したエフィはすぐにレイラに向き直る。
「さして驚いてはいないようだな」
「戦場でお前より幼い兵士を見たこともある。才能さえあれば兵士に採用するのに年齢は気にしないという国は結構あるものだ。そしてそういう子どもと戦い斬り捨てた事もある。あまり気持ちのいい戦いではなかったがな」
言葉が終わると同時にレイラは右に左に縦横無尽に斬撃を繰り出す。
エフィは両手の手甲を使い防ぐがその度に特殊な製法で作られた手甲が悲鳴のように甲高い音を立てる。少しでも気を抜けば腕が切り落とされる。そんな危機感をどこか心地よく感じながらエフィも果敢に反撃を繰り出す。しかしその攻撃をレイラは全て僅かな動きで回避し鋭い反撃に繋げてくる。
(ここまで力の差があるのか!)
この力の差は純粋に潜ってきた修羅場の数の違いだ。過去にエフィと似た戦い方をする相手と戦った事があるレイラは僅かな時間でエフィの攻撃を見切り始めていた。一方のエフィは攻撃を防ぐのに必死で未だにレイラの剣を見切るのに至っていない。
エフィはフレアの部屋でこの恐るべき戦士を過去の人物扱いをしていた自分を殴ってやりたくなった。
悔しいが認めざるを得なかった。
このまま戦えばいずれ負けると。
技術と経験。この二つの圧倒的な差にエフィは少しずつ追い詰められていく。
(このままではまた無様に負けてしまう)
そのエフィの焦りを次第に余裕が無くなってきた戦い方から察したのか、レイラは玄関がある方向を背にして攻撃を止めた。
「そろそろ負けを認める頃合いではないか? 投降するならば命まではとりはしない。もっとも知っている事を洗いざらい吐いてもらうが」
「舐めるな!」
エフィの返答を予想していたレイラは即座に横薙ぎの一撃を放つ。
その攻撃をエフィはしゃがんで避けると床を力いっぱい蹴り天井に飛ぶ。そこから更に天井を蹴りレイラの頭へ踵落としを見舞うがレイラは剣の腹で踵を受け止めた。
「そんな攻撃が通用すると思うか?」
「しないだろうな。だが!」
受け止められた踵から霧のようなに目潰しが噴射されレイラの顔にかかる。
「目くらましか!」
「貰った!」
特別な材料で作った薬粉は目に入ればしばらくの間視力を奪う。
その隙にエフィは受け止められた右足を支点に体を百八十度回転させながら逆立ちをするように上半身が先に下へ落とす。その間に手甲の仕込み刃を出しレイラの両足を狙って腕を前に突き出した。
完全に相手の虚を突いた必中の一撃。しかしレイラが寸前で後ろに下がったことで僅かな傷を作るだけに終わった。
「馬鹿な。どうして私の動きが分かる!?」
「さてな。敵にペラペラと情報を漏らすほど私はお調子者ではない」
片手を支えに地面に着地したエフィにレイラは冷たく言い放つ。
(どういうことだ? なぜ奴は私の攻撃を先読みできる? いや、そもそも私の隠形術をどう見破った……)
その時エフィの頭にレイラの二つ名がふと浮かんだ。
その瞬間、全ての疑問が解けた気がした。
「風、いや、空気の動きか。お前はそれを感じ取って私の動きを読んだのだな」
完璧に生命探知や魔力探知から逃れようとも、そこに存在し動けば空気は動く。目の前の女傑はその僅かな空気の動きを感じ取りエフィの存在と見つけ出したのだ。
「攻撃をするときの僅かな準備動作、それによって動く空気から攻撃を先読みし備える。それがお前の戦い方か」
考えてみれば圧倒的に手数の多いエフィの攻撃を一本の剣で捌ききったのは異常だ。だが攻撃が何処から繰り出されるかが判れば腕のいい戦士ならば対応は出来る。そして、それだけの技量をレイラ・スティークは持っているのはエフィは嫌というほど知っていた。
「答え合わせに付き合うつもりはない。合っているかどうかはこれからの戦いで確かめてみろ……くっ!」
ゆっくりと剣を振り上げたレイラが左腕を抑え後ずさった。
罠か、それともチャンスか。
僅かな逡巡を経てエフィはレイラに近づき右腕を振りかぶる。
今までなら、この時点でレイラは何がしかの防御か反撃をしてくるのにそれもない。
(勝った!)
しかしここでも彼女の経験の浅さが出てしまっていた。
エフィにとって本当の勝利はこの場から無事に逃げ切る事。
予想外の強敵との戦いで高揚した精神はエフィの冷静な判断力を奪っていたのだ。
キィィンという
「見に来て正解だったな。学長、ご無事ですか?」
「ああ、助かった。しかしセドア教官、何故君が武装してここにいる?」
「何かあった時の為にです」
職員には待機命令が出ている。当然、教官であるセドアもその命令に従う義務がある。それを無視した事を平然と誤魔化すセドアは油断なくエフィに銃口を向け、その脇を抜けマリーがレイラを庇うように立ち塞がる。
「男の子……いや、女の子か。随分と好き勝手やってくれたけどそれも終わりだよ。もう召喚獣は倒された。後はアンタ一人ってわけだ」
マリーが話している間にセドアが外に連絡を入れレイラの横に立つ。
「ここにもすぐに兵士が押し寄せてくるぞ。終わりだ。武装を解除して投降しろ」
拳銃型の魔動銃を構えセドアがエフィに最後の警告を出す。
マリーも
万事休すかとエフィが諦めかけた時だった。
「全員、伏せろ!」
レイラの声にエフィも含めた全員が身を伏せた。
一瞬遅れて校舎を南北に貫くように炎が吹き抜け煙が廊下を覆いつくす。
「まだ敵がいただと!? マリー、奴は!?」
「ゲホッ、ゴホッ。駄目です、開いた穴から逃げたようです!」
「だが周囲には兵士がいる。逃げ切れるものか」
セドアは口元を袖で隠し窓を開けて兵士に注意を促す。だがエフィの隠遁術を知るレイラは無駄だと分かっていた。
(あれほど完璧に姿と気配を消せる奴だ。普通の兵士に見つけられるわけがない。それに屋外では私の魔術で位置を探る事も出来ん)
レイラの空気の流れを探る魔術は空気の流れが悪い狭い空間でなければ効果は期待できない。屋外に出られればもう見つけることは出来ないだろう。
それに以前に王宮を襲った暗殺者に負わされた呪いのせいでこれ以上魔術を使う事は出来ないとなればお手上げだろう。
「レイラ学長、体は大丈夫ですか?」
「問題ない。目潰しも失明させるほどの物ではないようだ。君は……確かマリーと言ったか?」
「はっ、マリー・ハイネナイト二級騎士官であります!」
「ここはセドアに任せる。お前は私について来い」
「まず怪我の治療をされてからの方がよろしいのでは?」
「そんなに手間はかからん。奴はこちらから来た。何をしていたのかを調べなければならん」
レイラが指さしたのは玄関とは反対側、校舎の突きあたりだ。
「この先は何か重要な物がありましたか?」
「普段はない。だが今日は一つ大切なモノがあったのだ」
少しふらつきながらも急ぎ足で進むレイラにマリーも周囲を警戒しながら後に続く。敵の工作員なら爆発物や時間差で発動する魔術を仕掛けていてもおかしくない。
そして一つの分厚い扉の前に立ったレイラがドアノブに手をやると鍵はかかっておらずドアが開いた。
「……やってくれたな!」
怒気を露わに壁を殴りつけるレイラを見てマリーは思い出した。
今日は学校生活で問題を起こした生徒を閉じ込める隔離室、通称『反省室』。ここに一人の生徒がいた事を。
だが部屋の中は乱れたベッドがあるだけでここにいたはずのジェフ・ブルックスの姿は煙の如く消え失せていた。
―――
(フレアに借りを作ってしまったな)
あの炎の一撃はフレアが放ったもので間違いない。彼女が作ってくれた穴から外へ出て窮地を脱したエフィは隠形術で姿を消した。
突然爆発した校舎に慌てて近づく兵士たちの脇を通りエフィは北を目指して走る。
(全て私の判断ミスだ。相手の戦力を軽んじた結果がこれだ! だが、せめて本部にこれを届けるまでは……!)
腰に吊るした金属製の缶を撫でエフィは塀とフェンスを飛び越え学園の外に出る。
個人的にはどうでもいいと思っているリカルドだが、それでも組織の構成員を見捨てる訳にはいかない。
(奴に身を潜めるように指示し私はこの国を離れよう)
だが予定外の事態に焦っていたエフィはもう一つフレアが教えてくれた事をすっかり失念していた。
『この学園にはレイラ・スティークより警戒すべきかもしれない人物がいる』
目指す先でエフィはフレアの言っていた事を身をもって知ることになる……。
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