38 レイラ・スティーク

 「何がどうなっている!」


 学園の敷地から北に少し行った草地に這いつくばっていたリカルドが地面を叩き叫んだ。彼がエフィに命じられた事は二つだ。


 『守備についている帝国軍を出来るだけ学園から釣り出す事』

 『中の施設には手を出させない事』


 だからリカルドは召喚獣に指示が出せるギリギリの場所に潜み、服を泥だらけにしながら身を伏せていた。以前に使った鳥を利用した召喚獣の遠隔操作は夜目が利かない鳥では無理と判断しての行動だったが、それが裏目に出た。召喚獣が最後の一匹になったら逃げ出す予定だったのに短時間で全て倒されてしまったのである。


 「こんな短時間に三匹全てがやられただと? そんな馬鹿な事が……」


 召喚獣に適切な命令を下すには視覚を共有する必要がある、その際に魔力を使うため帝国軍にリカルドの居場所が探知される可能性がある。だからリカルドは慎重に短時間だけ視覚を共有し状況を確認していた。

 

 最初の異変は西の空に雷鳴が轟いたことだ。それと共に西に配備した巨鳥から反応がなくなった。

 次いで北東に出した召喚獣もあれよあれよという間に学園の制服を着た少女に追い詰められ反応がなくなった。

 そして南側の召喚獣もリカルドが呆然としている間に反応が消えてしまった。


 「全……滅? 十分も経っていないのにか!?」


 リカルドがある人物に召喚獣を譲渡された時には一つの都市を簡単に滅ぼせるほどの力を持つと聞いていた。そして実際にリカルドも手に入れた召喚獣にはそれだけの力があると感じていた。それがこの有様である。


 (なんだ? あそこには何があるっていうんだ?)


 学園についての詳しい話を聞いていないリカルドは状況が呑み込めず、ただ地面に伏せ学園から放たれるサーチライトの灯を見ているしか出来なかった。

 この時、もはや彼に出来る事は何もなかった。元々エフィとの間に信頼関係などないのだから早く逃げるべきだったのだ。

 その唯一逃げられたかもしれない時間を無駄に浪費した彼の頭に固いものが押し付けられた。


 「あなたが召喚獣をけしかけた犯人か?」

 

 その幼さが残る中性的な声を聞いたリカルドは――。



―――

 同時刻。

 

 学長室で戦闘が終了したという報告を受けてレイラは大きくため息を吐く。


 「ご苦労だった。だが分かっているとは思うが、まだ仕掛けてくる可能性がある。警戒は厳に頼む」


 意向は伝える事が出来るが命令権がない自分の微妙な立ち位置にレイラは苛立ちを募らせながら通信を切った。

 幸い警備を担当している軍の指揮官はレイラに好意的で意見の対立は今の所ないし指揮に関して大きな不満があるわけでもない。

 それでも不満に思う理由があるとすればレイラ自身の未練だろう。


―――

 レイラの出身地は学園のあるバーミル王国である。小さな領地を持つ貴族の家に生まれ、幼い頃から活発で野心的な少女が長閑のどかなだけしか魅力のない国より外へ目を向けるのは自然の成り行きだった。

 十六歳の時に家族の反対を押し切って第三世界にある帝国直轄地へ向かい士官学校に入学。成績首位で卒業後、そのまま帝国軍に入り各世界を転戦することになる。

 レイラ自身は一兵士として前線で戦い続ける事を望んでいたが、皮肉な事に彼女の優秀さがそれを許さなかった。指揮官としても非凡の才を見せた彼女は次第に後方で指揮を執る事が多くなっていった。

 そして十年前、功績が認められ第一世界出身者で爵位を持たない者にはなれないと言われていた皇家ヲ守る近衛隊大隊長に抜擢された。だが軍人にとって最高の名誉と言われる役職はレイラにとって何とも退屈な日々の始まりであった。近衛大隊長が城を離れる事は許されず、来るはずもない襲撃者に備え訓練に励むだけの日々にレイラは飽きていた。


 だが五年前にある事件が宮中を揺るがした。


 『黒針スティンガー』と呼ばれた伝説的な凄腕暗殺者が皇宮に侵入し皇帝一家に襲い掛かったのだ。

 そして現皇帝アルフォンスを庇いレイラは左腕に大きな傷を負ったが死闘の末にスティンガーを倒した。だが暗殺者の侵入を許した責を問う声が多くレイラはその責任をとり部下たちに惜しまれがら近衛隊を退いた。

 レイラはそのまま軍を退くつもりだったが先帝の強い慰留を受け帝都にある士官学校で教鞭を執ることになった。

 当初は慣れない教職に戸惑いがあったが次第に後進の育成にやりがいを覚え始めていた。

 そして二年前、エルゼスト帝国を揺るがす大事件が起こる。


 未知の異世界から現れた竜たちの侵攻。

 後に『覇龍戦争』と呼ばれる戦争の勃発である。


 彼女は前線に出る事を望んだがそれは叶わず、夫であるリチャードは飛行戦艦の艦長として戦地である第四世界へ出立するのを見送った。

 そして五日後。帝国中に信じがたい情報がもたらされた。

 

 『連合軍、被害甚大! 死傷者多数!』


 覇龍と呼ばれた竜たちの戦闘力に新皇帝アルフォンスは帝国にとってライバルといえる異世界間調停機関『ユグドラシル』に救援を求めた。いくつもの世界国家の軍で連合軍を作り暴虐の限りを尽くす竜たちに対し万全の備えを敷いた、はずであった。


 その報を受けてもレイラは夫の無事を信じていた。

 若い頃に自分と幾度も死線を潜り抜けてきたリチャードが死ぬはずがないと心から信じていた。


 しかし、彼は帰っては来なかった。


 帝都中に多くの悲嘆の声が溢れる中、レイラは最後まで教師として生徒を指導し、そして教え子が卒業を迎えると彼女も軍を退き教官の職も辞した。

 レイラ夫妻と同じ軍人の道を選んだ息子と娘、そして幼い頃に引き取った養女から「今までが働きすぎだったのだから少し休めばいい」と言われ家を飛び出して以来の穏やかな日々を過ごしていた。


 そして九か月前のある日。

 自宅で自身の経験を書き記していたレイラの元に驚くべき人物が現れた。

 アルフォンス・エル・ゼスト。

 行方不明になった先帝の後を継いだ若き皇帝が供も連れずにふらりと彼女の自宅に現れたのだ。


 「私はあなたに命を救われた事を忘れたことは無い」


 そう切り出したアルフォンス帝の依頼にレイラは目を剥いた。

 既に捨てた故郷に出来る軍事学校の学長になって欲しいという無茶な依頼にレイラは「大変名誉な話ですが……」と断った。彼女にはそれよりも為さねばならないことがあったからだ。

 

 「夫君の事は聞き及んでいます。そしてあなたが軍を退いたのは敵討ちを果たすためでしょう? ですがそれは決して叶いません。あなたが覇龍と戦う事は絶対に出来ないのです」

 「どういう事です!?」

 「奴らは絶滅しました。ある恐るべき存在になすすべもなく虐殺されたのです」


 信じられない話だった。

 帝国を含む大国の連合軍を壊滅させた竜の軍団を誰が滅ぼしたのか?


 「その存在は様々な世界に伝えられています。|無尽の憎悪黒き亡者ヴァルガルス死を呼ぶ風ビュルン、そしてあなたの故郷バーミル王国にはこう伝わっているそうですね。冥王ジラーと」


 皇帝が挙げた名は帝国が治める七つの世界に伝わるおとぎ話に登場する怪物だ。


 「あらゆる命を貪り喰らい世界を破滅に導く怪物。ある異世界ではもっとも端的に特徴を現した名前で呼ばれています。『喰らうモノ』と。そしてその恐るべき敵は既に帝国に侵略を始めているのです。近く私はこの事を国民に発表し戦いに備える宣言をします。あなたにはその戦いで生き残れる戦士を育成して欲しいのです」


 余りにも突拍子のない話だった。

 しかし世間では冷徹と言われる皇帝がただの噂程度でなりふり構わず動くはずはない。

 その時は少し考えさせてほしいと返事を保留しレイラは末の娘に心配されるほどに考えに耽った。

 そして次の日、皇帝の密使を名乗る若い女性に承諾の意を伝えた。

 決意のきっかけになったのは夫の最後の言葉だった。


 (子どもたちを頼む)


 戦災孤児だったリチャードは帝国に生きる子どもを守る為に戦った。

 ならば自分もその意思を継ごうと決めたのだ。

 やがて来る逃れられぬ戦いに身を投じなければならない子どもが一人でも生き残れるように。

 しかし同時にこう思ってしまうのだ。


 「自分もその戦いに加われば」と。


 結局自分は指揮官や教師になど向いていないのだとレイラは襲撃の報告を受けている間にも剣を手に外へ出ていきたい衝動を必死に堪えていた。


―――

 (敵は全滅した、か。あとは召喚士を捕まえて背後関係を吐かせれば解決だが)


 召喚獣の注意を惹かないために明かりが消えて暗い学長室の窓からレイラは外を見る。北側の窓しかない学長室からは野外訓練場で何人かの兵士が警邏を続けているのが見える。彼らにも既に戦いが終わった事は知らされているだろうが気を抜いた様子は一切見られない。


 (練度の高い良い部隊だ)


 学園の守りとは言い換えれば生徒のお守りだ。兵士の中には退屈な任務と思っている者も多かっただろうが、続けざまの襲撃は彼らの緊張感と燻っていた闘争心を刺激する結果となったようだ。


 (あとは彼らに任せておけばいいだろう。私は……)


 窓を見ていたレイラは腰に佩いていた剣の柄に手をかけた。学長になって触る機会も全くなかったにも関わらず多くの戦場を共に駆け抜けた相棒は驚くほど手に馴染んだ。

 そのまま何気ない様子で廊下に出たレイラは玄関とは逆方向に歩き出した。

 一歩、二歩、三歩、四歩……。五歩目が床を踏むと同時に、まるでポケットから物を取り出すような自然な動作でレイラは右手で剣を抜き放ち左から右へ大きく振るう。


 ガキィンと金属同士がぶつかる音が暗い廊下に鳴り響いた。


 「貴様が本命か」

 「凶風ストームブリンガー。怪我で一線を退いたと聞いていたが嘘だったようだな」

 「怪我をしていなければ今の攻撃でお前を真っ二つにしてやれたのだがな」


 レイラの剣が右手側の壁の近くで透明な何かにぶつかって動きを止めていた。

 

 「よく私に感づいたものだ」

 「そちらこそ、よく誰にも気付かれずにここまで潜入できたものだ。防御砲台を使えなくしたのはお前の仕業か。やってくれたな」


 剣の先にいた、くぐもった声をした者の姿が徐々に露わになる。

 体を隠すフード付きのマント、そして特徴的な鳥を模った面にレイラは眉を顰める。


 「今時、珍しいくらいの古風な魔術師スタイルだな」


 そう言いながらレイラの頭の片隅で何かが引っかかった。昔、これと似た物をどこかで見た気がしたのだ。

 だが、その記憶を漁る余裕はない。

 相手の体が僅かに沈んだのを見てレイラは後ろへ跳ぶと同時に潜入者の蹴りの鋭い風圧が顔にあたる。

 

 「ご丁寧に靴に刃を仕込んでの蹴りか。投降するつもりはないということか」


 そう呟くと同時にレイラは目にも止まらぬ速さで距離を詰め剣を振り下ろした。

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