9 襲撃

 空港のある小高い丘を下りバスは朝日を受けて朝露が輝く農場に囲まれた道をゆっくりと走る。時々放牧されている動物たちが道を横切る度に速度を落とたり止まったりを繰り替えしバスは進んでいく。


 バーミル王国の主産業は農業である。比較的標高の低い南側を除き三方の山から流れ込む雪解け水や雨水により川や湖が多く、その水を張り巡らして田畑を潤しているのだ。

 しかし、一方で数少ない山からの恵みが国を危機に陥れることも少なくない。

 ある雨量が多かった年では標高の低い国土の北半分が洪水で沈んだという話も伝わっている。確かにバーミル王国は建国からほとんど外部の影響を受ける事は少なかったが、その分大自然を相手に戦いを続けてきたのだ。

 そして自然と共生してきた国民性はとても大らかだ。時折、すれ違う馬車や道端で休んでいる農夫たちがバスを見かけると手を振ってくる。

 立派なバスに乗っているならどこかの貴族が来たと思っているのかもしれない。だが残念ながら、これから向かう全寮制の学園は基本的に園外への外出はかなり制限される。食料品や日用品の仕入れは地元に頼むことになるだろうが、観光方面での収益は望めないだろう。

 そんな事を考えているうちにエミルはいつの間にかウトウトしていた。時折、あちこちの席から歓声が聞こえるが、それも段々聞こえなくなり――。


 ガタンという大きな振動と車内のどよめきでエミルは目が覚めた。慌てて周囲を見るといつの間にか、人の手が入っていない草原の中にある砂利道をバスは走っていた。どうやら振動の原因は大きな石をタイヤが踏んだせいらしい。よくあることのようで心配そうな顔をしている新入生を引率の男性は笑いながら宥めている。

 車内前方、運転席の仕切りに掛けられた時計を見ると、どうやら三十分ほど眠っていたらしい。

 バーミル学園は王都から少し離れた場所にある。

 元々は三代前のバーミル国王が建てた豪奢な別邸だったが、贅沢を嫌った先代と現国王は最低限の管理以外はほとんどしていなかった建物と土地を帝国が期限つきで借り上げたのだ。

 空港から北上し王都を経由し西へ向かう。そこから更に北、つまり王都の北西にバーミル学園はある。時間にしてバスで四十分ほどの道のりである。


 (しまった、王都を見れなかった……)


 趣のある古都と聞いて楽しみにしていたのでエミルはがっかりした。

 学園からは近いので何かの用事で来れるといいなと思い、眠っているのか目を瞑っている隣の少女越しに窓の外を見る。車内もいつの間にか弛緩した空気に支配されており、このまま何事も無く学園へ到着する――はずであった。


 ガキンと再びタイヤが何かを踏みつけ物が砕ける音がした瞬間、エミルとシルヴィナを含めて何人かの子どもが日常生活ではまず感じる事のない強い魔力を感じて周囲に視線を向ける。

 間を置かずにバスの後方、何かを踏みつけた地点から緑色の光が円状に広がっていく。その中からバスに匹敵する巨体を持つ頭部が大きい赤毛の猪のような獣が現れバスを猛追し始めた。

 口にはどんなものでもかみ砕けような牙が、そして何より特徴的なのは脳を守る額当てのよう瘤が出っ張っている。その見た目から突進が最大の武器であることは間違いない。


 「なんだよ、あれ!」「こっちに来るぞ!」「きゃああああ!」


 突然の出来事に車内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。貴族も平民もなくパニックに陥る子どもたちに先頭に乗っていた男性が「落ち着いてください!」と宥めようとするが真っ青な顔で震える声では効果が無かった。

 そんなパニックの中でも運転手は額に汗をにじませながらも冷静に獣から逃げ切るために砂利にタイヤを取られないように全神経をハンドル操作に集中させ速度を上げていく。


 「こんな獣が何だ! 僕が思い知らせてやる!」


 仕立ての良い服を着た少年が窓際にいた少女の襟首をつかんで廊下へ引きずり倒し、開いていた窓から短いスティックを獣の方へ向けた。


 「やめろっ!」

 「火球ファイアーボール!」


 エミルの制止も間に合わずスティックから放たれた野球ボールサイズの火球が獣の分厚い頭皮に当たってパンと小さく弾ける。

 だが熟練の魔術師ならともかく子どもの放つ火球などで巨獣をどうにか出来る訳もなくかえって怒らせるだけの結果に終わった。


 『GUOOOOOOO!!』


 攻撃を受けた獣は頭を下げ角のような瘤を前にして速度をあげバスとの距離を詰める。

 襲われたのが舗装された道路、あるいは長い直線が続いていたのなら逃げきれる可能性はあったかもしれない。

 だが道幅が細く緩くカーブしている砂利道では十分な速度も出せず、車体後部に獣の頭突きが当たり車体を激しく揺さぶる。

 追突された衝撃で車体が右に流れるが運転手がハンドルを反対に切るがバスはそのまま道を外れ全く舗装されていない草原に入ってしまう。


 (まずい!)


 バスを捉え損ねた獣の方はブレーキをかけきれず直進を続けていたが、大きく弧を描くようにして再びバスの横っ腹を突く衝突コースに乗る。先ほどよりも速度の乗った一撃を受ければ大惨事は免れない。

 席から立ったエミルが後ろを見ると青ざめた顔のシルヴィナと目が合った。彼女の隣の窓際の席にいた女の子は別の席に移っていたため空席になっていた。


 「ちょっとごめん!」

 「え? エミル君!?」


 シルヴィナの前を通りエミルは窓に近づくと限界まで開ける。外のむせるほど濃い草木の匂いが車内に入り込むが気にせずエミルは窓枠に足をかけて器用にバスの屋根に上がる。


 「ちょっと、何してんのよ!?」


 引きずり倒され頭を打った少女の介抱をしていたモナカが幼馴染みの声に気づいて顔を上げると丁度エミルが窓から外へ出るところだった。


 「ごめん、この子お願いね!」


 近くにいた恐怖で青い顔をした男子に代わりを頼むとモナカも手近な窓から体を出す。ほぼ同時に、シルヴィナもエミルが出ていった窓から身を乗り出し屋根に顔を出した。

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