11 屈辱

 「う、うあああああああああ!!」


 体中に走る激痛に耐えかねて、痩せぎすの男が椅子から崩れ落ちて絶叫する。その声に驚いた女性がドアを激しくノックする。


 「お客様、どうなさいました!? 大丈夫ですか!?」

 「だ、大丈夫だ……! ちょっと体の筋を痛めただけだ……」

 「あの、お医者様をお呼びしましょうか?」

 「結構だ。本当に大丈夫だから気にしないでくれ」

 「は、はぁ。それでは失礼します。何かあればすぐにお呼びくださいね」

 「ああ、騒がせてすまない……」



 まだ朝にも関わらずズボンにシャツ姿の男の全身は汗でびっしょり濡れていた。

男の年齢は二十代後半といったところだろうか。元は高価で仕立てが良かっただろうくたびれた衣服に瘦せこけた体と無精ひげと『落ちぶれた感』を感じさせる。

 しかしそんな姿にも関わらず目だけは病的にギラギラと不気味な光を湛えている。それは内に抱える野心と屈辱を表しているようだ。

 息も絶え絶えといった男は、近くのベッドに手を置き体をどうにか持ち上げたが、足に力が入らないのかベッドに座り込んでしまった。粗末なベッドがギイと耳障りな悲鳴をあげるが今度は誰も来なかった。


 ここはバーミル王国の王都、その外れにある安宿の一室である。

 元々は王都で納税を済ませた農民向けの安宿として、酒場を経営している主人が二階を宿泊所として使っている。元々住居スペースだったため部屋は狭く家具も小さなテーブルとベッドのみ。だが粗末ではあるが室内は清潔に保たれており居心地は悪くない。

 帝国に臣従して以来、多少は観光客が増えたため、国外の旅行者が旅費を抑えるためこういう宿をとる事も少なくなくなってきた。

 そして今泊っている男も「観光に来た」と告げ三日前から滞在していた。



 「大都市の安宿なら面倒を起こすなと放り出されていただろうな。田舎は嫌だが人の良い馬鹿が多くて助かる」

 「それも時間の問題だがな。このままでは貴様は兵士に掴まるぞ」

 「!」


 ベッドのヘッドボードにかけておいたタオルで顔を拭いていた男がぎょっとした顔をした。

 いつの間にか窓が開いており壁に寄りかかる様にしてフードを目深に被った小柄な人物が男の前にいた。

 体は装飾のない黒いマントに包まれ声も顔に付けた鳥を模った仮面のせいでくぐもっていて性別も分からない。

 その姿を見て男の顔色から更に血の気が引き体が震えだす。

 身震いしたのは目の前の人物の不気味さだけではない。その全身から不機嫌や怒りといった感情が滲みだし、男に無言のプレッシャーを与え続ける。


 「誰がお前に襲撃の指示を出した? 私はそんな事を命じた覚えはないぞ」

 「あ、あれは私が判断した事だ。せっかくのチャンスをみすみす逃す必要が……」

 「私が命じたのは監視のみだ。お前の考えなぞ誰も聞いていないし求めてもいない。大した術も使えない半人前が勝手な真似をするな」

 「半人前だと!? この私に対して……!」

 「襲撃に失敗した挙句に無様に床を転がっていた奴が偉そうな事を言うな、滑稽だぞ?」


 仮面の人物の言葉に男は何も言い返すことが出来ず拳を握りしめることしか出来ない。怒りから痛いほどに手を握りしめ、手のひらから僅かに血が滴り床に落ち染みを作った。


 「しかし、ただの送迎に強制送還という高等魔術を使える護衛を乗せていたのか? 予めこういった事態を想定していたという事か。予想していたとはいえ一筋縄ではいかぬ施設だな」


 仮面の人物はもはや男など眼中にないように独り言を呟く。だが、その発言の中に明らかな間違いがあったのだが、男はそれを指摘しなかった、いや、出来なかった。


 (言えるか! この私があんなに敗れたなどと!)

 「おい、いつまでのんびり座っているつもりだ?」

 「は?」

 「は? ではない。もう王都の兵士が行動を起こしている。未熟な術の反動でのたうち回っているであろう間抜けを捜してな。もうすぐここにも聞き込みに来るだろう。そうなれば、どうなるかは愚鈍な貴様にも分かるだろう?」

 「くっ」

 「ここの後始末は私がやる。貴様はさっさとここから離れて王都を出ろ。念のために宿は取らず野宿でもしていろ。野垂れ死にしていなければ連絡を取る」

 「この私に野宿をしろと言うのか!?」

 「自分で蒔いた種だ。それともここで私が始末をつけてやった方がいいか? 二度と勝手な事をするな。お前が何処にいて何をしているか私には全て分かっている。それを忘れるなよ?」

 「わ、分かった……!」


 それまでの怒気と違う恐ろしいまでの鋭利な殺気に男はただ頷き、散らかった荷物を乱雑に鞄に詰め逃げるように部屋を飛び出した。


 「あれ、お客さん!?」


 下にいた店主の驚いた声に仮面の人物は大きくため息を吐いた。


 (あのバカは怪しまれないよう出ていくという事も出来ないのか。人員を集めるのはいいが、あのような下劣な魔術師崩れが増えるのは困る。この件が終わったら一度兄さんに話をしなくてはならないな)


 音もなく階段を降りると、そっと店主の背後に近寄り背中を手で触れる。その感触に驚いた店主が振り返ろうとするが、急に目が虚ろになりボーっとした顔をして身動きしなくなる。

 魔術であの男に関する記憶を別の記憶にすり替えると同じことを別の部屋にいた妻と娘にも同じことを行う。

 全て終わると再びフードを深く被り外へ出ようとして足が止まった。


 (……あのバカはキチンと宿代を払ったのか?)


 しばし悩んだあと、マントに手を突っ込み三日分の宿賃に少し金額を足した金を取り出す。その金をまだ呆けている店主がいるカウンターに置くと今度こそ宿屋を後にした。



 「……ん、あれ、俺は何してたんだ?」


 戸が閉まる音と同時に宿にいた親子が正気に戻り、普段の生活に戻っていく。

 そして少し後に訪れた兵士に怪しい客はいないかと聞かれたが、「今は誰も泊ってないよ」と答えると兵士は疲れた顔を隠そうともせずに別の宿へ向かった。


 「朝っぱらから何なんだろうな?」

 「あれ、パパ~? 今朝早く出たお客さんの部屋、まだ片付けてないよ~」

 「おっ、そうだったか? そういや二階の客はいつ出てったっけ? あれ、この金は宿賃か? でも先払いで貰った気がするんだが……。まぁ、いいか。次の客が来る前に掃除しとかんとな」


 ふっと湧いた疑問は仕事の予定に押し流され完全に忘れられ王都の朝は過ぎていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る