第8話 アリー、おじちゃまと遊びたい

「は?」


 アリアはぽかんとした。えーと、いま、誰がしゃべってるの? もしかしてこの天使さんかな。うっそー、信じたくない、シンジたくナイ!! パニックになって目をぐるぐる回すアリアに、叔父クロヴィスはたたみかける。


「おい、誰もいねーのかよ。ガキは嫌いだって前からいってるだろ。おい、シェパーデス、兄貴とケンカしてほしくなかったら、こいつを早く連れて行けよ。じゃねーと、そこの花壇にぶん投げるぞ」


 呼ばれて馳せ参じた執事シェパーデスは、自分がこの場に出くわしてよかったと安堵した。たまたま銀食器を磨きにパントリーに向かう途中、声が聞こえてきたのだ。シェパーデスは先代の伯爵の時代から仕えている屋敷の重鎮だったが、徒弟のように素早く参上する。


「おやおや、アリアお嬢さま。邸で迷われましたか」


 にこにこ顔ながら、こめかみがぴくぴくと脈打っているシェパーデス。アリアも、ここはすぐに退散すべきだと悟ったが、脳裏に、ばんっと『死刑服毒、悲惨な末路、がんばれアリア、死にたくない』の文字が浮かび、思わず、「おじちゃま!」と声をあげていた。


「アリー、おじちゃまと遊びたい。シェパーデス、アリーにもお茶を持ってきて」


 アリアは誰かが何かいう前にと、イスに飛びつくようにしてよじ登る。


「わあ、おじちゃま、何を飲んでいるの。ねえ、アリーも同じものを飲みたいわ」


 ちっ、と舌打ちが聞こえた。ここで目を合わせたら死ぬと思ったアリアは、無邪気をよそおってテーブルだけを見つめる。


「ねえ、おかしはないの? アリー、いちごのケーキが食べたい」


 がたりと音をさせて、クロヴィスが席を立つ。


「シェパーデス、兄貴は書斎か?」


 低くうなるような声に、アリアは自身にぴしりとヒビが入る思いがしたが、あほの子のように笑顔を絶やさずにいた。シェパーデスはわずかの間に威厳が削げ落ち、木枯らしに吹き飛ばされそうになっている。


「だ、旦那さまは、先ほど奥さまとごいっしょに街へ出かけておりまして」

「なぜ。おれが来ていることを知っているのに?」


 一族総出でもてなすのが当然だろうという口調に、シェパーデスは辞表の文言を考えはじめた。定年前に神経が病みそうである。シェパーデスは、自身の尽力でマルシャン邸の平和が保たれていると自負していた。しかし瓦解がちかいのを察して逃亡したくてたまらない。


 マルシャン伯爵とクロヴィスの兄弟は不仲ではなかったが、それは年齢が離れているおかげでもあった。マルシャン伯爵はクロヴィスをまだ子どもだと思い、いまだ小さい子を見るような目を向けて寛大さを示している。


 だが、クロヴィスのほうは兄を兄とは思わず、ただ金づる程度に思って、うまく自分の利になるように扱おうとしていた。


 休暇中、ほんのかたちばかり顔を見せる程度で、すぐに旅行や友人宅に出向いていくクロヴィスだったが、そのわずかの対面でも、シェパーデスはじめ、古株の使用人たちはいつも神経がぴりぴりして生きた心地がしない。


「アリアお嬢さま」


 シェパーデスは長年かけて培った愛想笑いの極意を駆使しながら、アリアの注目を集めようとした。ただでさえ神経をつかう中、アリアお嬢さまの無邪気さが追い打ちをかける。どう考えてもクロヴィスとアリアは相性が最悪だ。


「シェパーデス」

 クロヴィスがうなる。それにアリアの明るい声が重なった。

「ケーキがないなら、クッキーでもいいわ。あたし、真ん中にキャンディーが入ったやつが好きよ。おじちゃまは?」


「お嬢さま、厨房を見に行きましょう。コックが特製のお菓子を用意していますよ」


 さあ、行こうと手を差し出すシェパーデスだが、アリアはそれに目もくれず、自分の見おろしてくる叔父クロヴィスに笑いかける。


「おじちゃまはどんなおかしが好き? あたし、おじちゃまが好きなものを食べてみようと思うの。それでおじちゃまともっと仲よくなるのよ」


「……せぇな」


「なあに、おじちゃま」


 小首をかしげて見上げるアリア。シェパーデスは十字を切って神に祈る。


「おじちゃま、おじちゃま、うるせーんだよ。こっちはそんな年寄りなわけねーだろう。いくつだと思ってんだ」


「ねんれい? アリー、わかるわよ。えっとね、おじちゃまはアリ―より」


 アリアは小さな指をひとつ、ふたつと折り曲げていく。両手いっぱいに到達したところで、愛らしく「あら、わからなくなったわ」と舌を出した。


「おじちゃま、アリー、本当は計算が得意なの。いつも先生はびっくりしているわ。アリー、すごく頭がいいのよ。でもおじちゃまのほうがもっと頭がいいわよねえ。あたしね、おじちゃまにべんきょうを教えてもらおうと思うの。おじちゃまはすごくすごく頭がいいってパパがいつもほめ」


「だあああ」クロヴィスは髪をかきむしった。

「うるせー、チビだな。黙れよ。べらべらべらべら、舌を引っこ抜いてやろうか」


「こえを抜くの?」


 アリアはべー、と舌を出したまましゃべった。


「ひたを抜いたら、どおなるのかひら。アヒー、おもひろいことは好ひよ」


「おー、わかった。抜いてやるから、大人しくしとけ」


 クロヴィスがテーブル越しに手を伸ばしたところで、シェパーデスが動いた。彼はすばやくアリアを抱きかかえると、「さあ、お嬢さま。わたくしとかくれんぼしましょう」といってテラスから逃亡する。


「おいっ」

 クロヴィスが怒鳴るなか、

「おじちゃまー、バイバイ、またねー」

 アリアが叫び返す。

「あ、おにいちゃまっ! そうだ、おにいちゃまって呼ぶわ。ね、かっこいいおにちゃまああああ、好きよおおおお」


 シェパーデスに抱えられ、遠ざかっていくアリア。その声が屋敷に響く。


 クロヴィスは「ああっ」といらだちの声を荒げると、どかりとイスに座りなおした。カップに口をつけたが含んだお茶は冷め、しぶみを感じる。


「くそっ」


 クロヴィスはカップを花壇にむかって投げすてた。ちょうどレンガの縁取りにあたり派手な音を立てて割れる。その周りを白い蝶がふわふわと飛んでいく。

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