第8話 アリー、おじちゃまと遊びたい

 天使の容貌に似つかわしくない暴言に、アリアはピタと硬直した。


「おいっ、誰かいねーのかっての。ガキは嫌いだって前から言ってるだろ!!」


 どかっとテーブルの脚を蹴っている天使。

えーっと、もしかしてこの人が……クロヴィス?


 アリアはそろりそろりと後ずさりする。天使の見た目から飛び出す横暴な振る舞いの数々に戸惑うばかりだ。見ていると酔ったように気分すら悪くなる。


 しかしクロヴィスは姪の動揺など意に介さず暴言を続ける。彼は大声で執事の名を呼んだ。


「シェパーデス!!」


ハイッと徒弟のように威勢よく馳せ参じたのは白髪の老執事だ。彼は硬直しているアリアを目にし、ヒュッと心臓が縮こまった。


「アリアお嬢さまが、なぜこちらに……?」


「知るかよっ」

クロヴィスが噛みつく。

「お前、兄貴とケンカしてほしくなかったら、こいつを早く連れてけよなっ。じゃねーっとこのガキ、花壇にぶん投げるぞ」


「おやおや」シェパーデスは膝を曲げアリアに話しかける。

「お嬢さま。うっかりテラスに迷い込んでしまいましたかな?」


 穏やかな笑顔を向けてくるが、ピクピク動くこめかみが緊張を示している。


「なーにが『迷い込んでしまいました』だよ、クソジジイ。さっさとコイツを連れ出せ!」


怒鳴るクロヴィス。アリアは焦りから目がぐるぐるした。


即刻、退散すべき。脳内ではそう冷静な指令が出ている。


だが同時にババンッと『死刑服毒、末路悲惨、がんばれアリア、死にたくない』のスローガンが点滅し、気が付けば、「おじちゃま!」と叫んでいた。


「アリー、おじちゃまとあそびたいっ」


 アリアは飛びつくようにイスによじ登る。


「ねえ、おじちゃまはなにをのんでるのぅ。アリーもおなじの、のむ!」


 ちっ、と舌打ちが聞こえた。ここで目を合わせたら死ぬ、とアリアは向かいにあるティーセットを凝視する。


「あれー、おかしはないの? シェパーデス、アリー、いちごのケーキたべたい」


 盛大にがたりとテーブルが揺れる。クロヴィスが荒々しく立ち上がったのだ。


「おい、ジジイ。兄貴は書斎か?」


 低い不機嫌な声に、アリアは全身がピシリとヒビ割れた気がした。でも何もわかっていない振りをして、ひたすらニコニコし続ける。


「旦那さまは先ほど奥さまとご一緒に街へ出かけておりまして」

「出かけた?」

クロヴィスはハッと鼻で笑う。

「俺が来るのを知ってて、出かけただと?」


 一族総出でもてなすのが当然だろうと言わんばかりの口調に、シェパーデスは表面では笑顔を保ちつつ、胃はキリキリして泣き出しそうだった。


マルシャン家の平穏は自身の肩にかかっていると自負している。だがクロヴィスが来訪している時は別だ。何もかも捨てて逃げたくなる。


 伯爵とクロヴィスは不仲ではない。でもそれは年齢が離れているからであって、愛情深い関係性を築いているのとは異なる。

伯爵は弟をまだ子どもだと思って何事も寛大に許すため、弟のクロヴィスはどこまでも付け上がっている——というのが使用人一同の見解だ。


「アリアお嬢さま」


 シェパーデスは長年の経験から培った愛想笑いの極致を駆使しながら、アリアの気を引こうとした。ただでさえクロヴィスに神経を使うのに、アリアお嬢さまのワガママまで加われば地獄と化すのは目に見えている。


「シェパーデス、早くこいつを」

 クロヴィスがアリアを指差したが、

「ケーキがないなら、クッキーでもいいよ!」

アリアの明るい声が被さる。

「アリーはね、まんなかにキャンディーが入ったクッキーがすき。おじちゃまは?」


「お嬢さま」とシェパーデス。圧のある笑顔でアリアに迫る。

「一緒に厨房を覗きに行ってみましょうか? コックが特製のお菓子を用意してくれているはずですよ」


 さあ行きましょう、と手を差し出してくるシェパーデスをアリアは無視する。


「ねえねえおじちゃま」


アリアはクロヴィスを無邪気に見上げた。

ただし焦点はクロヴィスを通り越しあらぬ方向を見ているけれど。


「おじちゃまは、どんなおかしがすきー? アリーはねえ、おじちゃまがすきなものをたべてみたい。それでねー、もっとおじちゃまとなかよしさんになるの」


「……っせえな」

「なーに、おじちゃま?」


 意を決し、小首を傾げて仔犬のように愛くるしくクロヴィスを見上げるアリア。その横でシェパーデスが平和の神に祈りを捧げている。


「さっきから、おじちゃまおじちゃま、うるっせーんだよ。おれをいくつだと思ってんだ、このクソガキがっ」


「おじちゃまのおとし? アリー、わかるよ。えっとね、おじちゃまはね、アリーより」


 アリアは小さな指を一本、二本、と折り曲げていく。両手いっぱいに到達したところで、「ありゃりゃ?」とわからなくなった素振りをした。


「おじちゃま、アリー、ほんとはねー、さんすう、とくいなんだよ。いつもせんせがほめてくれるの。アリー、すっごくかしこいんだって。でもおじちゃまのほうがもっとすごいよね。いつもねー、パパがいってるの。おじちゃまは、すごくすごくあたまがよくてー」


「だあああああ!!」

 叫んだクロヴィスは頭をかき乱す。

「うるせっつってんだろ。べらべらべらべら、黙れってんだ。舌引っこ抜かれてーのか、クソがっ!」


「コエ?」

アリアは、べー、と舌を出したまま喋る。

「ひっぱるの? それたのひ?」

「おー、楽しい楽しい。引っこ抜いてやるから、大人しくしてろよ」


 クロヴィスがテーブル越しに手を伸ばしたところで、シェパーデスが動いた。


疾風のごとくアリアを抱き上げると「さあお嬢さま。わたくしと、かくれんぼしましょうね」とテラスから逃亡する。


「おいっ」

 怒鳴るクロヴィス。

「おじちゃま、バイバイ、またねー」

 身を乗り出しながらアリアが手を振り返す。

「あ、おにいちゃまっ、おにいちゃまって呼ぼっ!! ねえ、カッコいいアリーのおにいちゃまああああ、アイ・ラーブ・ユー!!」


 クロヴィスは「だあっ、くそっ」と苛立たしげに座る。カップに口をつけたが含んだお茶は冷め、渋い。


「ふざけやがって」


 クロヴィスはカップを投げた。ちょうど花壇の縁石にあたり派手に砕け散る。その周りを黒い蝶がひらひらと茶の香りをかぐように飛んでいた。

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