第44話 ぼくがロザリオだよ

「ママだわ」


 アリアは小声でいうと、隣の少年と目を合わす。少年は硬直していて、まばたきひとつしない。金色の瞳がじっと見返してくる。アリアはゆっくり彼の口をふさいでいた手をのけた。


「いいこと? あたしが飛び出しても、あなたはここにいなさいね。もしかしたら怒られるかもしれないから。失くした物はもういいんじゃないかな? うるさくいってきたら、あたしからロザリオにガツンといってあげる。ね?」


 いったい何を探していたのか知らないが、アリアはロザリオに使用人いびりはやめるよう、きっぱりいってやるつもりだ。こんな虚弱な相手に強く出るようなヒーローがいてはならない。


 第一印象が最悪になるかもしれないが、彼女は虐げられる妻になる気はないのだ。言わねばならんことは言ってやる。じゃないと離婚後に軽んじられるからな。


 では参るか、とアリアが茂みから出ようとすると、くいっと裾を引っ張られた。少年が「あ、あの」と震え声で引きとめてきたのだ。


「なによ。大丈夫だって。あたしだってやるときはやるのよ」


 あたいは悪女なんだいっ、と開き直るアリア。しかしまた茂みから出ようとしたところで、引きとめられる。つぎは少年が両手でアリアの腰に腕を回していた。


「あのね。その、ぼくが」

「心配しないの。あたし、これでも伯爵令嬢で将来大物に」

「ぼくがロザリオだよ。ロザリオ・ジャルディネイラ。第六王子はぼくだ」


 沈黙。


「ああ、そうなのね」


 アリアは笑った。それから、ちょっと考えて、「え」と問う。


「あなたがロザリオなの? 遊び相手の少年とかじゃなく?」


 あたしにもコルファっていう遊び相手がいるけど、あなたもそういう子じゃないの? 王子について来たのよね? 疑問いっぱいにぶつけたが、少年はふるふると首を振る。


「ぼく、遊び相手はいないんだ。子どもに会うのも今日が初めて」


 はにかむ笑顔。アリアは絶句する。


 言葉の意味が脳に浸透するにしたがって、アリアの顔は蒼白になった。


「申し訳ありません、殿下。わたし、とんでもないご無礼を」


 アリアがまごつきながら謝罪すると、王子はきょとんと首をかしげている。


「どうして、あなたがあやまるの?」

「はあ。その」


 はは、と乾いた笑いで逃避するアリア。王子はじっと彼女を見つめている。


(そうか。そういや金色の瞳だわ。特徴的じゃないの。うっかりだわよ)


 赤系の瞳がマルシャン家の特徴なら、金色の瞳は王家の特徴だ。例外もいるが、金色の瞳を持つのはジャルディネイラ国では王家の血筋以外にいない。


 それにしても、この餓死寸前のチワワみたいな少年が王子とは思わなんだ、とアリアは胸を押さえる。アリアも十歳にしては小柄で、クロヴィスから、チビ呼ばわりされているが、ロザリオはさらに華奢だ。なにより醸し出す雰囲気が幼い。


 アリアはこの世界に来てはじめて悪女アリア・マルシャンに共感した。彼女が「我慢ならない態度を隠そうとしなかった」理由がわかる。ロザリオは見ているとイラっとくる。上昇志向の強いアリアならなおさらそうだったろう。


(おお、グレイス……)


 アリアは両手で顔を覆って嘆いた。グレイスの聖母さ加減がまぶしい。このような虚弱チワワを心から愛するとは。


 いや彼女に会うときには、もうちょっと力強さが出ているのかも。そうであってくれ。そもそも、この子が数年後戦地に行くかと思うと絶望しかない。ジャルディネイラの未来がいっきに不安になってきた。


 が、指のすきまからうかがうと、ロザリオは湿っぽい雰囲気だが、かなりの美形だ。自分やクロヴィスを見ているせいで美的基準がバグっているが、ありさ時代の感覚でいうなら、寂しげな影をまとう儚げな美少年である。


(すくすく育てばヒーローらしくなるのかしら。まあ、この顔も)


 そうだった。小説ではロザリオは戦争で怪我をして顔にも火傷を負うのだ。そう思うと、急激に惜しくなる。人類の損失だ、この顔が傷つくなんて。


 グレイスが彼の容姿ではなく、その優しさと勇気に胸打たれたのとはちがい、アリアは単純に容姿で彼を見極めている自分に気づき、うぐっと恥じる。


 結局自分も悪女になりつつあるのだろうか。でも仕方ないじゃない、アリアのからだに入っているんだもの。多少なりとも持ち主の影響は受ける、断じて丸島ありさの気質ではない、と思う。


 誰に向けるでもない言い訳めいた気持ちを持て余したアリアは、ぱんっと頬を叩くと気を引きしめた。


「と、とにかく皆が探しているので、ここから出ましょうか」


 声は遠ざかっていたが、人の気配が増えている気がする。アリアと王子を探して騒ぎになっていたら困る。アリアは王子の手をつかみかけたが、無礼かと思い、慌てて引っ込めると、「さきにどうぞ」とうながす。


「ううん。ぼくまだ見つけてないし」

「でも」皆が騒ぎ出したら、といいかけて、アリアは首を傾げた。

「あの。何を探しているんです?」


 王子は口ごもったが、視線をそらせていった。


「あなたに見せるよういわれた妖精」

「よ、妖精?」


 まさかの返答に、アリアは敬語を忘れた。


「妖精って絵本で見るような妖精のことですか?」


 いいなおして問うと、王子はこくんとうなずく。


「うん。ここで蝶の観察をしていたら、黒いローブを羽織った人が来て、ぼくの指に妖精を止まらせたんだ。きれいな妖精だったよ。女の子だった。ピンクのドレスを着ていて、かわいい声でしゃべったよ」


 子猫を見つけたノリでそう語るので、アリアは「へー」と間抜けな返事をしてしまった。この世界では妖精がうじゃうじゃいるのだろうか。そんな話はいまはじめて聞いたのだが。


「でも逃げちゃって」


 しょぼんと肩を落とすロザリオ。アリアは「それで探していたんですね」と答えたが、なんとなく気まずくなる。


(十歳で妖精話するって普通? 本当にいたの? 妄想??)


 からだは十歳だが、中身はちがうので、アリアは悩んでしまった。十歳の正しいリアクションを模索するが、考えれば考えるほど迷宮入りだ。


 すると、そこで救いの手が伸びてくる。がさりと茂みをかきわけて、侍女が顔をのぞかせたのだ。


「あら。ここで遊んでいたんですね」


 必死に探していたのか、ひたいにうすく汗をかいている。侍女は振り向き、「こちらにいらっしゃいますよ」と他の人たちを呼び寄せる。


「まあ、アリアったら、髪にまで葉っぱが」


 マルシャン伯爵夫人がアリアの前髪についていた葉をつまみ、軽く乱れを整えるように娘の髪をなでつける。アリアが照れたように身じろぎしていると、


「殿下」


 ずんとくる重圧のある声が落ちてきた。能面顔の婦人がロザリオに冷たい視線を向けている。


「こちらへ」

「うん。いくよ」


 ロザリオは返事をすると、うつむきながら茂みから抜け出る。王子が前を通ると、マルシャン伯爵夫人はアリアを腕で囲みながら、ゆっくり頭を下げた。アリアも遅れて頭を下げる。


 能面婦人はじろりと周囲に視線をやり、「本日はこれで」と抑揚なくいうと、まだロザリオが服についた汚れを払っているのに、さきを歩きはじめた。王子が慌てて後を追うのを、誰もが何ともいえない気持ちで見送る。


 ロザリオは庭園を抜ける直前で振り返り、アリアに向かって小さく手を振った。アリアは暖かい母親の腕にくるまれながら、にっこりと笑い、同じように手を小さく振り返した。

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