第52話 アリアを助けて!

 アリアが気を失ったことで大広間は静まり返った。


 悲鳴を押しとどめようと口を押えている伯爵夫人イゼルダの手は震えている。アリアはアスバークの腕のなかで目を閉じ、ぴくりともしない。


 クロヴィスがアリアを起こそうと思ったのか、身をかがめて手を伸ばす。が、すぐにアスバークが、「大丈夫だ」と鋭くいい、それを制した。


 アスバークはアリアの顔の上で、手のひらをゆっくりと回すように動かした。彼の肩では、妖精エティがその様子を凝視している。ウルウルがのそのそと歩いてきて、アリアの爪先につんと鼻を押しつけた。クロヴィスがウルウルの頭に手をやり、押しとどめる。


「娘は」


 不安げなイゼルダに、アスバークは「以前、ご息女が呪いを受けたことはありませんか?」とたずねた。


 呪いの言葉に、ざわりとまた周囲がどよめく。伯爵がごほんと大きく咳払いし、「すみませんが、パーティーはここで終了したいと思います」と宣言した。執事シェパーデスが迅速に取り仕切り、客たちは従僕たちの案内で広間を出ていく。


 去り際、伯爵や夫人にいたわりの声をかけていく者もいたが、数分後には、広間にはマルシャン伯爵と夫人、クロヴィスらをのぞいて誰もいなくなった。


 コルファはしぶったが騒ぎを聞きつけて裏から飛び出してきたスージーに引っ張り出されてしまっていた。そのスージーは立場をわきまえて退いたのだが、はやくも顔中を涙に濡らして肩を震わせていた。


 クロヴィスはアスバークからアリアを受け取ると、抱きあげ、奥の間にあるソファまで運んだ。


 ゆっくり寝かせ、かたわらで片膝をつくと、アリアの髪をなでてやったが、姪は人形のように動かない。鼻に手をかざしたが、呼吸をしているようにはかんじられなかった。


 クロヴィスは顔をしかめ、アスバークをにらみつける。魔術師は兄夫婦と話しこんでいた。微笑をうかべるその表情に腹が立ち、つめよろうと立ち上がったところで、連れ出したはずのウルウルが、クロヴィスの足に頭突きしてきた。


「おい、なんだよ」


 邪魔くさいと追い払うが、オオカミは「ふすっ」と鼻を鳴らすと、アリアが横たわるソファに近づき、あごを座面にのせた。そこから、てこでも動こうとしない。


 仕方なくクロヴィスはため息をつくと、ウルウルの隣にあぐらをかき、白毛の背や頭をなでた。「お前、アリアになついてんだな」と声をかけると、オオカミはじろっと目だけ動かしてクロヴィスを見て、また「ふすっ」と鼻を鳴らす。


「お前はおれのペットなんだぞ。わかってんのか?」


 主人ぶろうとするクロヴィスに、ウルウルはふいと視線をそらせて、「ふすん」とため息らしき音を立てて返した。


 壁際では、伯爵夫妻が、アリアは五歳の誕生日のあとしばらく病にふせったこと、そのとき医師に「病気ではなく、呪いをかけられた可能性がある」と伝えられたことを、アスバークに話していた。


「診断したのは、どの医者です?」


 アスバークの問いに伯爵が、


「宮廷医のアベルです」

「ああ。彼の見立てならまちがいないでしょう」


 アスバークはしばらく口をつぐむと、「今回のように突然気を失ったことは?」とたずねた。伯爵夫人がうわずった声で、「はじめてですわ」と前のめりになる。


「あの。娘は、アリアは」

「大丈夫ですよ」


 アスバークは朗らかに笑み、


「もしも、呪いや魔術にかかっていようと、ぼくの力の前ではどんな術も敵いませんからね」


 おっとりと余裕のある口ぶりに、夫妻は互いの目を見かわした。大魔術師の力は信じている。だが目の前にいるのは白髪の少年だ。尊大な口をきく十三歳くらいの子になだめられても、不安はなかなか拭えない。


「あの、本当に娘は」


 伯爵が夫人の肩に手をやりながら問いかけると、アスバークは「しばらくご息女とふたりにしていただけますか?」といった。


「もう少し詳しく状態をみたいのですが、それには集中力がいるのです。なに、数分程でアリア嬢は目覚めますよ」


「そう、ですか」


 不安の残るまま、伯爵は夫人イゼルダをドアにうながす。そうしてソファ横の絨毯に座っている弟を見やると、彼にも声をかけた。


「クロヴィス。退室しよう。魔術師さまがアリアを診てくれるそうだ」


 クロヴィスは不満げな視線をアスバークに向けた。


「ここにいちゃダメなのか?」

「クロヴィス」部屋を出かけていたイゼルダが声高にとがめる。

「いいからわたしのそばに来てちょうだい。目まいがするわ」


「わかったよ」


 大きなため息をつくと、クロヴィスは腰をあげた。最後にちらりとアリアを見やり、そっと肩にふれる。いつも騒がしい姪はぴくりともせず、ただ目を閉じていた。


「おい。お前も出るぞ」


 ソファにあごを乗せたままのウルウルに声をかけるが、オオカミは動かない。するとアスバークが、「そのオオカミはいてもかまいませんよ」と笑った。


「でも」とクロヴィスはあきらかに不審そうな目をした。

「オオカミなんかいて集中できるのか? 獣くさいだろ」


「ふすっ」


 鼻を盛大にならすウルウルに、「あはは」とアスバークが笑い声をたてる。


「いやいや。そのオオカミはアリア嬢に忠誠を誓っているようすなので、邪魔にはなりません。むしろ、ぼくに力をかしてくれるでしょう」


「どういう理屈で」反抗しようとするクロヴィスに、イゼルダが「クロヴィス・マルシャン。いいかげんにして。時間が惜しいの」と叱った。クロヴィスは天を仰いだが「わかってる」と吐き出して、髪をくしゃくしゃしながらドアに向かう。


「頼みます」伯爵が暗い声でいうと、アスバークは「心配いりませんよ」と明るい。クロヴィスはまた何か文句をいいかけたが、イゼルダが強く腕をつかんで引いたので、部屋から出されてしまった。


 ドアが閉じる直前、アスバークがソファに寝るアリアをのぞきこんでいるのが見えた。が、すぐにドアは閉じてしまい、それ以上何が行われるのか、クロヴィスにはわからなかった。


 落ちつかず、何かに当たり散らしたい気持ちになったが、イゼルダが嗚咽混じりで泣きはじめたので、ささくれた気分も勢いをそがれる。


「大丈夫だ。あのアスバークがアリアを診てくれているんだよ。何も心配いらない」


 伯爵が妻を抱き寄せ、頭や肩をさする。


「でも。こんなこと今まで。あの子、突然」


 娘が倒れ込む瞬間を見たイゼルダは強いショックを受けていた。楽しいパーティーのさなかだったことも衝撃を強めたのかもしれない。さらには以前も誕生日のあとアリアは高熱を出し、しばらく目覚めなかったのだ。


「心配いらないよ」


 伯爵はあやすように辛抱づよく声をかけたが、イゼルダはますますからだを震わせて、夫の腕のなかで小さくなっていく。クロヴィスは指先から力が抜けていくような無力さをかんじた。


 以前、アリアが寝込んだときは、さほど驚きもしなかった。子どもはよく熱を出すときいていたし、イゼルダが過剰に反応しているだけだと思ったから。


 でもいまは目の前で様々なことが起こり、何もできないでいる自分がいた。それに、もしかしたら……もやがかっていた思考が晴れはじめたとき、伯爵がいった。


「お前がアスバークを連れて来てくれてよかった。じゃなければ途方にくれていたところだ」


 ちがう、とクロヴィスは思った。自分が彼を招いたからアリアが、いや、でも。心が乱れる。思考がちりぢりになって断片的に何か思い出したが、つぎの瞬間にはかき消えてしまった。


「あいつ」


 アスバークのことをさしてそう口にしたとき、


「終わりましたよ」


 ドアが開いた。アスバークが笑顔を見せる。横に垂らして編んでいた白髪がほどけ流れるままになっていた。


「もう?」


 不審がったクロヴィスだが、イゼルダが押しのけて部屋に入る。ぐらついたクロヴィスに、アスバークがくすくすと笑った。


「きみはユニークだね」

「は?」


 警戒を見せたクロヴィスに、アスバークはますます笑みを広げた。


「いやあ、顔かたちはそのままでも、心が変化すると別人のようになるのだね。顔つきが穏やかだ。驚いたよ。あの子はよくやっているようだ」


「何です?」


「なんでもないよ。老いぼれのたわごとさ」


 幼い少年のくちから飛び出た言葉に唖然としていると、アスバークはクロヴィスの目の前でパチンと音を立てて消えてしまった。一瞬だった。


「うそだろ」


 これほどまでの魔術を見たことがなかったクロヴィスは、よろめいて壁に手をつく。気味が悪かった。人ひとりがこうもあっさり消えるとは。普段、魔術にふれる機会がほとんどなかったクロヴィスは、魔術に対して急速に嫌悪をおぼえたが、それも、明るい声にかき消される。


「おにいさま!」


 アリアがドアから飛び出してきて、クロヴィスに抱きついた。


「えへへ。心配した?」


 しがみつき自分を見上げてくるピンクアイ。アリアは何事もなかったように回復したらしい。まだ顔色は悪いが、いつものようにきらきらした目で笑っている。


「あのね。アリア、急に」


 何か説明しようとする彼女の目を、クロヴィスは片手でふさいだ。


「やぁ、なにぃ?」


 手をのけようとするアリアだが、クロヴィスはさらに反対の手をアリアの後頭部にあてると、くるりと彼女を反転させる。


「うるせーよ」と、かすれ声でいった。

「ママのとこいっとけ」


 そして、彼はアリアの背をひざで軽くついた。


 アリアは「もう」と文句をいい、小さな手でクロヴィスの手を引き離そうと指をつかむ。だがびくともしない。ママのところに行け、というわりには、さっきから背中をこづいてくるばかりで、解放しようとしないのだ。


 蹴りは軽く、つついている程度なので痛くはないが、目隠しもされているし、何をやりたいのか、何いじめがはじまったのか、わけのわからない状況に、アリアは苛立ってくる。


「んもー、見えない」


 それでもクロヴィスはしばらく手を離せなかった。なぜなら、彼の目がうっすらにじんでいたから。乾くまで、もうちょっと待って。五秒、四秒、三秒……


「うわっ」


 クロヴィスに突き飛ばされたアリアは転びそうになった。イゼルダが「クロヴィス!」と怒鳴ったが、彼はすたすた歩いていき、イゼルダの背に隠れる。自分の背にひたいをつけてきた義弟にイゼルダは目を丸くした。


「あら。この子、どうしたのよ」

「まあ、しばらく甘えさせておやりよ」


 伯爵は笑って弟のさらさらした髪をくしゃくしゃとなで回す。イゼルダは「ドレスを汚さないでちょうだいよ」とこぼし、持っていたハンカチを後ろ手に渡そうとしたが、クロヴィスは微動だにしない。


 その光景に、アリアはぽかんとして、まばたきを忘れてしまった。

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