第29話 アリアとウルウル

 アリアはウルウルには何でも話して聞かせていた。突拍子のないことも黙って聞いてくれるオオカミ相手なら奇想天外な話題だってへっちゃらだ。


「わたしね、アリアになる前は日本人の丸島ありさって人だったの」


 ベッドの中央に座り、絵本を読み聞かせるように秘密のノートを広げて、ウルウルに見せる。ウルウルも興味深く聞いているみたいな横顔をするから、アリアも気分よく次々話しかけた。


「おばあちゃんと住んでたんだけどね、病気になっちゃって入院したの。それでわたし受験生でさ。おばあちゃん、お見舞いより勉強しろってうるさかったんだよね」


 まあ受験は失敗したんだけど。アリアはへへっと頭をかく。


「周りは無事合格してたから、わたしだけー、ってちょっと落ち込んでね。それで友だちと気まずくなったんだよなあ」


 喜びいっぱいの輪の中に、自分なんかがいたらいけないような気がして。自ら離れてしまった。


「おばあちゃんも死んじゃってさ。結構しんどかったんだと思う」


 あれから、もう二年以上が経過した。


「わたしって転生したのかな。いまの状況ってそういうことだと思う?」


 アリアはウルウルをのぞきこむ。

 ウルウルは澄んだシルバーブルーの瞳で見返してくる。

 アリアは優しく頭をなでた。


「死んだ瞬間は覚えてないの。気づいたらこの世界にいたから」


 目が覚めたら伯爵令嬢になっていた。アリア・マルシャンは大陸一の美女だ。恵まれた容姿と家柄、将来は王子と結婚する、そんな未来が待つ自分。でも。


「前世で苦労したから、ボーナス人生スタート、ってわけじゃないんだよなあ」


 アリア・マルシャンは物語の悪役だ。結末は処刑による死。


「あのね、わたしこの世界の未来知ってるんだよ。だって小説で読んだから。ウルウル、この世界は小説の中なの」


 アリアは自分で言ってておかしくなり「ふふっ」と笑った。


「あなた、わたしがおかしくなったと思ってる?」


 問いかけると、ウルウルはふさふさの尻尾をポスリと軽く振る。


「ん、それは否定ですか、それとも肯定?」

「バウ」

「うーん、ごめん。オオカミ語はわかんないや」


 それでも誰かに聞いて欲しかった。

 ありさという自分。

 そしてこれから立ち向かう運命を、この世界の誰かと共有したい。


「ウルウル。わたし、たまにね。ほんっとに怖くなるときがあるんだ」


 アリアは家族の愛情を一身に受けている愛らしい子どもだ。財力、地位、容姿、才能。それらすべてを手にした女の子。でも。


 アリアはノートを閉じ、ウルウルのふさふさの毛に顔をうずめた。じんわりとした温もりとウルウルの杉に似た匂いが心を落ちつかせる。


 変な夢をよく見る。アリアが小学校に通っていたり、ありさがスージーと話していたり。夢らしい、むちゃくちゃな世界。それでもたまに思う。


 目が覚めたら、すべて夢だったのではないかと。

 小説の世界にいるなんて、全部が夢。


「あたしさ。いまでもこの世界で生きている実感がないのかも」


 未来に起こる悲劇を回避しようと努力している。でも心のどこかでは、すべて嘘っぱちで、長い長い夢を見ているんじゃないかと期待している。目が覚めたら、祖母がいて「お寝坊さんだね」そういってくれるんじゃないかって。


「ダメだな。今日は落ち込んでるみたい。なんでだろうなあ」


 アリアは目をぐしぐしと拭った。それから意識してにっこり笑う。


「ごめんね、わけわかんない話ばかりして。もう寝よっか」


 ウルウルには円形の特製ベッドも用意してあるが、いつもアリアの隣で一緒に寝ていた。七歳のアリアよりウルウルのほうが大きいのだが、ベッドは広いので手足はじゅうぶんに伸ばせる。


「ウルウル、本当に好きよ。あなたの事だけはクロヴィスに感謝しなくちゃね」


 毛並みに手をはわせたり、頬をうずめたりしているうちに、アリアは眠りへと落ちていく。


 アリアが深い眠りに入ると、それを確認するようにウルウルが顔をあげ、じっと観察するような視線を向ける。


 ウルウルは鼻先をくんくんさせると、前足でアリアの肩をちょんとつつく。アリアは寝言らしきものをつぶやいたが、寝返りを打つだけで目は覚まさない。


 ウルウルは静かな動きでベッドから下りるとバルコニーのほうへ向かう。一度だけ寝ているアリアを振り返ったが、そのまま歩を進め、ガラス戸を開けることなく通り抜けた。


 そして、オオカミは忽然と姿を消してしまった。

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