第30話 アスバークと時戻しの術

 王城の片隅。その夜、アスバークは地下にある研究室で魔術の実験に興じていた。微笑を浮かべ楽しげだ。と、蝋燭の灯りがふっと揺れる。彼は背後に現れたそれに呼びかけた。


「オオカミ生活は順調かい、ウルウル」


 低く唸る声で返事がある。


「順調じゃありませんね、とお答えしたら、別の悪魔と変わって頂けるんでしょうかね、ご主人さま」


 白毛のオオカミは牙を剝き出し、ガルルと不機嫌だ。


「それは順調ってことだよね?」

「なぜそうなる。おれはオオカミよりカラスが好きなんだ」

「カラスじゃ飼えないだろう?」

「オオカミだって飼うもんじゃない」


 ガルルと唸るウルウルに、アスバークは眉を下げて笑う。


「お前が適任なんだよ。一番信頼できる悪魔に重要任務を任せてるんだ。喜べ」

「ハア……。それにしたってオオカミなんて」

「平凡なペットだと、クロヴィスが興味を持たないだろう?」


 アスバークがさも当然だといわんばかりに目を丸くして訴えてくるが、オオカミのウルウルは「へっ」と不満の笑いを漏らす。


「わざわざクロヴィスに買わせなくとも、美しい鳥にでもなって窓辺に出向けば、それで良かっただろ?」


 あの子なら愛らしく懐く仕草を見せたら、可愛がって世話したはずだ。しばらくアリアと暮らしたウルウルには、彼女の人柄や好みがだいたい把握できるようになっていた。それでもアスバークは「ちっちっ」と舌を鳴らして否定してくる。


「小鳥なんて。わかってないなあ。絶対オオカミでなくちゃ。それも白毛の珍しいやつ。卒業パーティーでクロヴィスの目に留まり、彼がアリアにプレゼントする。ここまでが僕が立てた計画なんだ。まったく悪魔って奴は情緒がないね」


「情緒なんていりましたかね、ご主人さま」

「あの子はクロヴィスに好かれたがってただろ?」

「そうですね」

「だからプレゼントだよ、プレゼント」

「?」

「お膳立て」

「??」

「わっかんないやつだなあ」


 アスバークは大げさにヤレヤレとジェスチャーする。ウルウルはフンと鼻を鳴らした。


「まあいいさ。それよりお前、ちょっとこっちを見てくれよ」


 示す作業台には鳥かごがあり、中に一匹の妖精が入っていた。ふんわりした赤毛にくるりと丸い緑色の目をしている可愛らしい妖精だ。


「かわいいだろー。もっと近づいてしっかり見ろ」


 ウルウルは渋々移動して前足を作業台にかけ、鳥かごをのぞく。すると、キンキンした甲高い声で妖精が喋り出す。


「ニク、コチコチー」

「これって王妃ですよね?」

「うん」


 アスバークは得意満面だが、ウルウルは王妃そっくりの妖精を作り続けるアスバークに呆れ顔を向ける。


「どうして今回も王妃なんです?」

「良いだろべつに。それよりこの子は言葉を話せるようになった。髪の毛一本から妖精を誕生させる僕って、なんて天才なんだろう!」


「ニク、コチコッチー」


 妖精が鳥かごの隙間から手を伸ばし、指をくいくい動かしている。


「何を言ってるんです、アレ?」

「ニク、コチコチ。コチコチよー」

「あれは『肉。こっち来い』だな」


 通訳するアスバーク。にやりと笑う。


「お前を食おうとしているのさ。いつも餌に肉を与えているからな。僕も何度も指を噛まれそうになった」


 アスバークはピンセットで生肉の切れ端を摘まみ上げ、鳥かごの隙間から投げ入れる。妖精が「ニク、ホシホシー」と叫び、キャキャッとむさぼり食うのをウルウルは唖然と見つめた。


「ニク、ウマウマ。モト、クレクレ」

「今日はおしまい。肥満王妃になったらいけないからね」

「ケチ。ニク、クレクレ」

「だーめ」


 アスバークは鳥かごに布を被せ、「眠れ、眠れ。夢の世界へ」と唱える。すると鳥かごからは「すぴー、すぴー」と寝息が聞こえ始めた。


「すごいだろ。会話も可能だ。それにお利口!」


 褒めろ、と期待の眼差しを向けるアスバークに、ウルウルは冷めた目を返す。


「で。今日は報告に来たつもりだったんですが妖精自慢で終わりですかね?」


 アスバークは「ちぇっ」と文句ありげだったが、移った話題に興味を向ける。


「新情報は? あの子がお前の名前を言い当てた理由はわかったかい?」

「いいえ。偶然のようですね。彼女に魔術の心得があるようには見えません」

「本当に?」

「間違いなく。あれはただの人間です」


 うーん、と腕を組むアスバーク。


 召喚した悪魔にウルウルと名付けたのはアスバークだ。初めて人間界に召喚された悪魔には名前がないため、彼が「ウルウル」と決めたのだ。


「ネーミングセンスが僕と似ているのかねえ」

「さあ」

「何者なんだね、あの子」

「マルシマ・アリサだそうです」

「誰だ、それ」


 胡散臭げに鼻に皺を寄せるアスバーク。

 ウルウルは「ニホンジンだそうです」と答える。


「見知らぬ文字が記されたノートを持っていました。ですが、最近は読み解くのに時間がかかるようになったため、新しく書き直そうとしてます」


「何を?」

「未来のことを」

「何だって!?」


 驚くアスバークだが、目はらんらんと輝いていた。


「あの子は『時戻し』のエラーと関係あるようだな。おい、一体誰なんだ、何者だよ」

「ですから、マルシマ・アリサですって」

「誰だよ、マルシマ・アリサなんて、前回の世で存在したか?」

「祖母と暮らすニホンジンの受験生だったそうで」

「ニホンジンって国、大陸にないよな。都市の名前か?」

「この世界に存在しない国です。読み解く文字を見るに、あの子は異世界の住人だったのでしょう」

「そりゃすごいっ!!」


 アスバークは興奮で頬を上気させている。

 その様子に、ウルウルは「また面白がっている」とため息が出る。


「あの子は、あの子なりに苦労しているようです。今は七歳の子どもですが、魂はもう少し年齢を重ねているらしいですね」


「ほおーっ、君にはそんなことまで話してるのか」


「相手はオオカミですから。まさか魔術師の悪巧みに関わっているなんて想像してないでしょう」


「何が悪巧みだよ。僕はね、『時戻し』の術がどう周囲に影響を与えるのか、探ってるだけだろ。アリア・マルシャンの魂が消え、別人がその体に憑依している。しかも未来を知り、異世界から来た可能性まである!」


 うはっ。興奮で心臓が痛いっ、と胸を押さえるアスバーク。ウルウルは「さようでございますか」と冷たい。


 アリアは処刑に追いやった奴らに復讐を誓い、その願いに手を貸したのがアスバークだ。以前から興味のあった『時戻し』の術を使用し、時間を遡れるか試した。


 術は成功する。時は戻った。


「しかしアリアの魂は消えていた。これだけでも興味深い。アリアの魂はどこへ行ったのか。僕と同じようにアリアは記憶を維持したまま過去に戻るよう術を編んだはずだ。でも彼女はいなくなり、アリサという異世界人がその体に憑依した」


 歩き回りながら話すアスバーク。


「そして異世界人にも関わらず、この世界に起こる未来を把握してるだと!? なぜこんなことに。僕はどこでミスしたんだ?」


 立ち止まり、ウルウルを見るアスバーク。


「それをお調べになっているんでしょう、ご主人さま」


 ウルウルは面倒くさそうに答えたが、アスバークは「その通り!」と威勢がいい。


「また直接会って見なくてはな。寄宿学校で会った時はものすごく小さかった」


 膝辺りを手で示すアスバークに、ウルウルは「今も小さいですね」と切り返す。


「とにかく、あの子をよく見張っておけ。新情報を得たら、すぐに知らせるんだぞ」

「承知いたしました」


 ウルウルは頭を下げ、すっと姿を消した。


「そうだ、お前ワインを飲むか? オオカミのままじゃ酒は飲ませてもらえないって、もう帰ったのかよ。ったく、これだから悪魔は!」


 ワインボトル片手に盛り上がっていたアスバーク。彼の声が地下室に虚しく響く。

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悪女が生き残る方法~伯爵令嬢に転生したけど処刑されるなんてお断りです~ 竹神チエ @chokorabonbon

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