第48話 妖精エティ
「妖精?」
ウルウルは肉球の下に押さえつけているそれに視線をやった。思っていたより大きい虫だ。もぞっと動きながら、きゅいきゅい鳴いている。
アスバークは、ああ、もうっ、とローブをはためかせながら駆けてくる。そのあわてように、ウルウルは嫌気がさした。なんだ、虫なんかに取り乱すなんて、器の小さい魔術師め。
「つぶしたか? なんてことだ、ここまで育つのに何年かけたと思っているんだ」
わたわたする魔術師に邪悪な喜びをかんじたウルウルだが、このままうっかり本当に踏みつぶすと手厳しく罰せられそうだ。しぶしぶ、ゆっくりと足をどける。
「捕獲しただけです。ほら」
と、「きゅひぃ。エティ、ぺったんこよ」とキンキン声が上がる。
「おおお、無事だな。よしよしよしよし、大丈夫だぞー」
アスバークは妖精を拾い上げると手の平で大事そうに保護した。
「エティ、ばっちなった。見て、ばっちなったの」
「そうだな、汚れたな。部屋に戻ったらきれいにしてあげるよー」
アスバークは妖精を鼻先まで近づけてまじまじと見る。
たしかにボロボロになっているが、よくよく観察してみても、骨折などはないらしい。ふわふわのヘアスタイルが乱れ、薄地のドレスがところどころ破れていたが、妖精自体は元気そうだ。
「本当に困った子だな。大人しくするようにといっただろう。逃げ出すなんて悪い子だぞ。猫やヘビに食べられたかもしれないのに」
めっ、と叱るアスバークに、妖精は「エティ、遊びたかったの。たくさん飛べるの。もっと飛べるの。たかいたかいなの」と身振りを交えてしゃべっている。
ウルウルは鼻に深いしわを作り、耳をぺたんと横にねかせた。
「それはあの王妃似の妖精ですか?」
顔はそっくりだ。赤毛に緑色の瞳。すこしばかりつんと上を向いた鼻が不思議と上品な印象を与える、あのあばずれ王妃のミニチュア版だ。以前は鳥かごでカタコトにしゃべっていたが、ずいぶん成長したらしい。
「そうだよ。どうだ、すごいだろう?」
アスバークの目が実験好きの少年のようにきらきらと輝く。褒めてアピールをびじばしかんじたウルウルだが、「さようでございますね」と冷淡だ。
「すごいことなんだぞ」とアスバーク。
「何度もいうが、髪の毛一本から、妖精を作り出せるのは、この世界にぼく以外に」
「いないのでしょうね、はいはい」
ウルウルはどうでもよさそうに、オオカミの足で首元を掻く。毛がぱあっと周囲に飛ぶと、妖精が「モフ、すごい。エティもモフほしい」と身を乗り出した。手の上から落ちそうになるのを、アスバークがあわてて抱え込んでいる。
「なんだ、毛が欲しいのか? でもなあ、毛むくじゃら王妃は、ちと評判がよくないんじゃないか? ファーつきのドレスを作ってやろう、な?」
でれつくアスバークに、ウルウルの鼻のしわがさらに深くなる。いい歳をした魔術師がすっかり妖精に夢中だ。見た目は少年だが、長い経験のあるアスバークのような魔術師が、妖精作りに熱中しているとは、あほらしくて見てられない。
「その虫はエティと名づけたのですか?」
ウルウルが問うと、妖精が「あたち、エティ」と手をあげる。
「うん、エティと呼んでいる。エイティアからとったんだ、いい名前だろう?」
「あなたは王妃みたいな女が好みなのですか?」
奔放だが見ようによっては因習にとらわれない主張のある快活な女性にも見える。が、アスバークはぽかんと間抜けな顔をした。
「おいおい。王妃を好んでいるのはあいつだろ? なぜぼくの好みだと思うんだい。そもそも女性に興味があるとでも?」
ないでしょうね、とウルウルは苦笑する。長年仕えているが、アスバークが異性に興味を持った姿も、同性であれ誰かひとりに固執した姿も見たことがない。彼は魔術以外に関心がないのだ。
「国王にはそれを見せたのですか?」
あいつ呼ばわりされた国王だが、アスバークも国に仕える魔術師である以上、宮廷のご機嫌とりはしている。しているといっても、まあ気まぐれ程度だが。
アスバークは「まださ。もうちょっと成長してからだな。まだ子どもだから」とエティを守るように抱く。その姿にウルウルは目を細めた。
(ははあ、これは気に入りすぎて手放す気がなくなったな)
当初アスバークは王妃エイティア似の妖精を作り出し、国王に献上するつもりだった。国王は手当たり次第、女に手を出しているが、その実、いちばん焦がれている相手は王妃なのだ。しかし残念なことに王妃は国王を毛嫌いしている。
「あいつは大人の女が好きだからな。もっと知的な会話ができるようになったら見せてやるつもりだ」
「エティ、おとなよ。ちてきよ」
反論している妖精に、アスバークは「いや、まだ子どもだ。今日も約束を守れなかったろう」と怒った顔をする。
「いやん、パッピ、こわいの」
「いやんじゃないの。しばらくはお外禁止!」
「パッピィィー」
しくしく泣きだす妖精。アスバークは「もう寝なさい」と手をかざして呪文を唱えている。
「なんです、パッピとは?」
引き気味のウルウルに、
「ぼくのことさ」
けろりとしていってのけるアスバーク。どうやら「パピー」が「パッピ」になったらしい。
彼の手の中では、妖精エティが「ぐるぐるぴー」といびきをかきはじめた。
「かご入り娘だったんだがな、最近は飛べるようになったんで、外に出してみたんだ」
「それで逃げたんですか」」
「う、うんまあ」
はっきりしないアスバークに、ウルウルが疑いの眼差しを向ける。
「なぜ逃げたんです?」
「紐をつけとくべきだった。探した探した。お前が捕まえてくれて助かったよ」
「アスバーク?」
「なんだ、お前。さまをつけんか、さまを。ぼくはご主人さまだぞ」
「アスバークさま、なぜ、妖精は逃げたのです? ここは王妃の庭ですよね。いつもいる研究室からはずいぶん遠い場所ですが?」
もっともな問いに、アスバークはふいっと視線をそらせる。
「いいじゃないか。この庭は花がたくさん咲いているからな。それにエティは王妃の髪から生まれたんだぞ。趣味が同じはずだから喜ぶと思ったんだ」
「ほーう」
「そうだよ。……ああ、わかったっ。そんな目でずっと見てくるな。今日は第六王子が婚約者と会う日だったんでね」
「アリアとですね。で、それと妖精がどう関係するんです」
「だから場を盛り上げてやろうとしたんだ。王子は口下手だろう。話題を提供してやったのだ。しかしあいつ、エティがしゃべったことに驚いて落としやがった。で、見失った。まったく、あいつが将来皇太子になるとは、この国も終わりだね」
「今回はちがう未来になるかもしれません」
「かもな。ぜひアリアには、がんばってもらいたいね」
王子が逃がした瞬間を思い出したのか、アスバークは、けっ、とご立腹だ。
「それで」とウルウル。
「こんな時間まで探していたと?」
「そうさ。まあ本格的に探しはじめたのは夜になってからだが。日中は侍女や庭師がうろついていて邪魔だったのだ。見つかれば騒ぎになるだろうと思ったが、エティはうまく隠れていたらしい」
親ばかなのか得意げな顔をするアスバークに、ウルウルは「でも逃げたんでしょう。深夜まで遊びほうけるなんて奔放ですね。王妃に似ている」と感想をもらす。アスバークは憮然としたが、「まだ子どもなのだ」といいきった。
「それより、お前はなぜ来た?」とアスバーク。予定外の訪問の理由を問いたいのだろう。ウルウルは「得に理由はないですが」ともぞっと身じろぎして、
「調査はどこまで進んだのです? やはり『
話題をそちらにうつす。アスバークの顔つきが、きゅっと険しくなった。
「いや、ぼくのミスじゃない。どうも横やりが入ったらしい。詳しくはまだわからんがな。ヒュウに探りを入れさせているんだ、まだ連絡はない」
「ヒュウ? あいつですかぁ?」
いやそうな顔をするウルウルに、アスバークはくくっとふきだす。
「お前はあいつと相性が悪いな。使えるやつじゃないか」
「調子がいいだけです」
悪魔の世界にもいろいろあるのだ。ウルウルは同じ主人に仕える仲間とは比較的良好な関係を築くのだが、ヒュウだけは気に入らない。あいつだけは「悪魔」呼ばわりしてもいいと思っている。
「あいつは何を調べているんです?」
「魔塔に潜入させた。ぼくの邪魔をする奴らは、だいたいあそこにいるだろう」
口の端をゆがめて笑うアスバーク。その陰のある笑みに、ウルウルですら背筋がぶるりと冷たくなるのだった。
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