第7章(10歳)
第42話 王宮に招かれて
ついにこの日がやってきた。
初夏の風が心地よい季節。アリアは両親とともに王宮で開かれるお茶会に参加することになった。お茶会の主催者は王妃エイティアだ。
「あなたが王宮に行くのは初めてね。緊張しなくてもいいけど、いつものようにお利口にしているのですよ」
王城に向かう馬車の中、アリアの母イゼルダは穏やかにそう娘に声をかけたが、自身がかなり緊張しているのがわかっていた。夫の伯爵も緊張しているのか肩が張って一点ばかり見つめている。
王宮は王城の中心部ではなく、奥まった位置に存在した。周囲を木々が覆い、その外には堀がめぐらしてある。
王宮内もまた複数の区画にわかれていて、王妃が住む宮や他の妃が住む宮、皇太子や王子・王女たちの宮など、複数存在する。だが、どれもが私的な空間であって、王族同士でも頻繁に行き来することはあまりなかった。
その王宮で開かれるお茶会。出席を許されるのは、お気に入りの魔術師や貴族、特別に招待された神官や外国の要人くらいで、特に王妃のお茶会となると、選りすぐりの人物たちしか招かれることはない。
そこに出席するとなると、有力貴族のマルシャン伯爵夫妻も緊張する、のだが。今回はそれだけが理由ではない。アリアが同行している、その意味が重要だった。
アリアは知らないことになっているが、そこは新生アリア、小説で起こった重要場面はちゃんと覚えている。
今日はアリアと第六王子ロゼリオが初対面する日なのだ。王妃主催となっているが、茶会をセッティングしたのは国王であり、伯爵夫妻もそれを承知している。
アリアと第六王子の婚約は、まだ限られた人しか知らず、王族でも国王と王妃、それから皇太子と第六王子の母であるリグリス妃だけである。
彼らは皆、国王派であり、マルシャン家門も代々国王派の貴族だ。アリアと第六王子の婚約は政治的な意味合いが強く、枢密院の勧めで結んだものであって、貴族派の重鎮たちは誰も知らない。
小説によると、アリアと第六王子の婚約を正式に発表するのは、ふたりが十五のときである。結婚はその二年後、十七のときで、翌年には第六王子ロザリオは出征するため、ふたりがともに過ごした結婚期間は一年にも満たないのだった。
そんなふたりの初顔合わせが今日で、だから伯爵夫妻は緊張ピークの状態。アリアも「王妃さまにお会いできるの?」と緊張顔ながら、心は「ロザリオに会うんだああ」とひーっと心臓バクバクである。
顔を合わせたふたりの相性が最悪だったとしても、この婚約が流れることはないのだが、それでも伯爵夫妻の要望もあって、この日が実現した。
伯爵夫妻はひとり娘のアリアがやっぱりかわいいわけで、未来の夫と良い関係が築けるのならそれにこしたことはない。子供のうちに一度は会わせておきたいと思うのは、彼らなりの親心である。
王宮の入り口に到着すると、そこから馬車を乗り換え、しばらく進んだ。そうして入り組んだ路を行き、ひとつふたつ大きな建物を見送った後、「ここからは徒歩で願います」とのことで、アリアたちは下車して案内の侍従について門をくぐる。
「広いのね」
伯爵と夫人のあいだで手を引かれながら歩くアリアが感想を漏らすと、侍従が振り向き、「わたしもまだ入ったことのない区画がたくさんありますよ」と朗らかに笑った。お仕着せの制服がきらびやかで、彼が王子だといわれても納得してしまう。
王宮はどこもかしこも贅沢で、金色と複雑な柄模様が目立つ内装だ。飾られている壺や絵画もやけに派手、窓枠まで金色に輝いている。
それでも、徐々に簡素な、だが品の良い装飾に変化していき、白い石の回廊を抜けると庭園が見えてきた。
ここからが王妃の宮になるらしい。どうやら派手な景観は国王の趣味で、王妃はシンプルでさっぱりした色合いが好きなようだ。白や青、エメラルドグリーンの色彩が溢れ、庭の花々もそれらの色が基調となっている。
侍従がさがると、ブラウスにロングスカートというこれまたシンプルな格好の侍女が歩み寄ってきて、伯爵夫妻に、王妃さまはこちらです、と勧める。
お茶会は外ではなく室内で行うようだ。アリアもついて行こうとすると、侍女が伯爵夫人に耳打ちする。すると、
「アリアはお庭で遊んでらっしゃい」
そう夫人にいわれてしまった。
侍女が「庭園には蝶がたくさん飛んでいますよ」と手で示す。その方向に目をやると、あずまやの白い屋根が葉の茂る植栽の上にのぞいていた。
ここで、「ううん。アリアも王妃さまに会うの。お茶を飲むの」とだだをこねれば、わがまま娘だろう。が、アリアは空気を読める。
この先にロザリオがいるのだ。緊張でお茶の一杯も恵んでほしかったが、アリアはにこりと笑って、
「わかったわ。遊んでくる」と明るくいうと弾む足取りであずまやを目指した。
あずまやは丸い葉が茂る背丈ほどの生垣の奥にあった。その手前でアリアがそっと振り返ると、伯爵夫妻はまだこちらを見ていて、顔をこわばらせている。
(やあね。こっちまで緊張してくるじゃないの)
ただでさえ心臓が痛いのに、上乗せでお腹まで痛くなってきた。生垣の向こうにいるのは王子のはずなのに、まるで人食いのバケモノでも待ちかまえている気分だ。
(まあ生贄みたいなもんですけどね。政略結婚だし)
伯爵たちの顔には、アリアが王子を気に入るといいのだけど、と気をもんでいるようすが現れている。ふたりにしてみれば、「こんなやつと結婚したくない!」と抵抗されるのが、なにより困るだろう。
アリアはまたにこりと笑って、両親に向かって手をひらひらと振った。ふたりは面白いくらい同時に、ぶんぶんと手を振り返してくる。
(実際のところ、アリアはロザリオを気に入らないのよ)
小説で王子ロザリオは、「彼女は最初からわたしのことを嫌っていた」とのちにグレイスに話している。彼女とはアリアのことで、王子とアリアの対面は、王子がグレイスに話して聞かせるかたちで描かれていた。
彼女はわたしを見るなり顔をしかめ、我慢ならないという態度を隠そうともしなかった、そう話したロザリオだが、この場面では、ロザリオはもうグレイスに気持ちが向いている。わざと妻とのなれそめを下げて話した可能性もあるが、アリアだって、ロザリオを気に入っていた節はないので、たぶん本当のことだったのだろう。
ということは、伯爵夫妻はアリアが不満を示した結婚を推し進めたことになる。これはやはりいくら娘想いの伯爵夫妻でも、主君である国王の希望に歯向かうわけにはいかなかったということだろうか。
そんなことを考えながら、アリアは、いざ参る! と自分にかつを入れて生垣を抜けていく。生垣は思いのほか長くつづいて、すぐ右向こうにあるあずまやには、ぐるっと回らないと入れないようだった。この長さが緊張感をあおってくる。
(とりあえず出会いがしらに顔をしかめるのはよそう)
未来を変える第一歩である。たとえどんな風貌の人物に出くわしても、アリアは笑顔を向ける準備をした。対クロヴィス攻略で培った愛すべき美少女の笑顔を顔に張り付けたアリアは、そのまま、てくてくとあずまやを目指す。
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