第45話 心配性の母イゼルダの悩み

 能面顔の婦人は、ロザリオの母リグリス妃の侍女のひとりで、ロザリオにとっては養育係に等しい存在のようだ。とはいえ、アリアのばあや、バウス夫人のように厳しくも愛情たっぷりでもなく、スージーのように気さくでもない。


 ロザリオはあのまま宮に引き上げてしまい、今日中に帰郷するらしい。彼に同行してきたのはあの能面だけで、リグリス妃は体調不良を理由にこの日も参内していないという。


 本来の目的である、アリアと王子の顔合わせが終了したためか、アリアはお茶の一杯も飲めずに帰宅することになった。王妃にひと目会えるかと思ったのだが、それは叶いそうもない。まあ、王妃主催とはいえ、本当に彼女が茶会の場にいたかどうかは定かでないのだが。


 マルシャン伯爵だけは宮廷に用事があるとかで、後日帰宅することになり、アリアは母イゼルダに手を引かれながら王宮をあとにした。


「王宮はきらきらした場所だったわね」


 馬車の中、アリアは母にからだをあずけながら、そう感想をもらした。イゼルダは娘のすり傷ができた手とさすると、「また近いうちに行けるといいわね」とささやく。なんとなく馬車のなかは気づまりな雰囲気がただよっていた。


(たぶんママはロザリオのことをどう思ったか知りたいんだろうな)


 婚約者ロザリオ第六王子は、娘の目にどう映ったのか。彼女は気になっているようすだ。しかし話を切り出せずにいる。それはアリアも同じである。


 彼と遊んでいるところを見つかったのだから、何か感想をいってもいいのだが、まさか「王子とは思わず暴言を吐いた。鬼嫁だと思われたかもしれない」というわけにもいかない。


 それに正式に彼が婚約者だと紹介されたわけでもないので言葉に迷う。アリアは偶然王子に会い、遊んだだけというていなのだ。


 それでも気づまりを打ち消したくて、アリアは「あの男の子」と切り出した。母イゼルダの肩が待ってましたとばかりにぴくりと動く。


「かわいらしい子ね。殿下って呼ばれていたけど?」


 アリアは何もしらない無垢な顔で母を見上げる。

 イゼルダはごくりと唾液を飲み下していた。


「あの方は第六王子さまですよ。ロザリオ殿下。今日のお茶会にたまたま来ていらしたのね。仲良く遊べて?」


 たまたま、ね。アリアは口もとが笑いでゆるみかけたが、きゅっと引き上げて愛らしい笑顔を作った。


「まあ王子さまだったの。彼ね、妖精を見つけたんですって」


 ここで「妖精」を出したのは、アリアのちょっとした賭けだった。母の反応が見たかったのだ。


 ジャルディネイラ国には、なまじ魔術が存在するので、妖精がいてもおかしくないのだが、いまのところ、アリアは妖精のたぐいを絵本や童話のなかでしか見たことがない。ドラゴンや不死鳥といっしょで、この世界でも幻想生物なのか、それとも妖精は絶滅危惧種なのか、アリアには判断しかねた。


 だが、「よ、妖精?」と素っ頓狂な声をあげた母を見て、アリアは、あ、この世界にも妖精いねーな、と了解した。


「うん。妖精がいたんですって。でもアリアは見つけられなかったの」


 あくまで王子の話を信じたふりをするアリア。


 イゼルダは娘にかける言葉に迷ったが、間をおかずして「あら、残念ね」と微笑みかけた。脳内では第六王子に対する戸惑いが渦巻く。娘を嫁に送り出していいものかどうか。しかし否としたところで、王の命令なら従うしかない。


 イゼルダも第六王子を目にするのは今日が初めてだった。


 王子の母リグリスは子爵の娘なので、伯爵夫人のイゼルダより下位に属していたが、宮勤めをしていたため王に見初められ王子を身ごもった。


 大出世なのだが、彼女自身は出産後体調を崩したとかで、里に戻っている。王子もそこでずっと育っていて、王宮に顔を出したのは、この日が初めてだったとか。


 イゼルダはリグリスと宮廷で開かれたパーティーで何度か会ったことがある。控えめで口数の少ない女性だった。ただ美貌には目をみはるものがあって、国王が気に入ったのもうなずける。


 息子のロザリオは母親に似たのか、顔立ちは女性的な柔らかい印象を受けた。髪の色や瞳は王家の血筋だが、あとは母親の血が色濃いのだろう。好色で有名な国王に似るよりはいい、とイゼルダは不遜ながら娘を嫁に出す母親としてそう思う。


 ただ健康具合も母親に似たのかもしれない。成長度合いもアリアと同い年にしては幼く、かんばしくないように見えた。結婚後、早々に未亡人になるのはいただけない。王家に嫁いでしまうと、簡単には親とも会えなくなるのに。


 イゼルダはアリアと第六王子の結婚には最初賛成していた。娘が王家の一員になるなんて素晴らしいと、単純に喜んでいた。しかし、だんだんとその結婚が間近に迫り、国の情勢も厳しくなってくると、手放しには喜べなくなる。


 近々戦争になるかもしれないときいた。まだはっきりとはしないが、夫のマルシャン伯爵は真剣に戦時になったときを考えて準備している。現在のジャルディネイラの国力はあまり潤沢とはいえない。


 王家の権威も全盛期と比べると陰りが見えてきている。そこに戦争が起これば貴族派がクーデターを起こす可能性もある。


 そうなると王家に嫁いだアリアも被害を受けかねない。マルシャン家門は国王派に属しているが、それはただ昔から統治者側に忠誠を誓っていただけで、現国王個人に従っているわけではない。


 イゼルダにしてみれば、中立をたもっておき、情勢がどう動こうと家族だけは無事でいられるようにしていたかった。


 マルシャン家門は優秀な騎士団を有しているし、財も十分にある。外国に縁者はないがイゼルダの実家は男爵家ながら最近は貿易に手をだしているので、頼る道が全くないわけではない。


(ああ心配だわ。やっぱり王子との婚約は解消すべきなのよ)


 しかしマルシャン伯爵と現国王は幼少期からの付き合いがある。夫が国王を見捨てる判断をするとは思えなかった。あの人は温和だが根は軍人だ。複雑な駆け引きは嫌っているし、イゼルダが政治的なことを口に出すと聞き流してしまう。


 イゼルダとしては、婚約をしても結婚するまでには十分な期間をとるよう説得するしかない。そのうちに情勢も見えてくるだろうし、ロザリオの成長によってはアリアを託すに十分な要素が増えるかもしれないのだから。


(あまり期待はできないけど)


 イゼルダは今日見た第六王子の頼りなげな姿を思い出し、胃がちぎれるように痛くなった。帰ったら度数の強い果実酒をあおって早々に寝よう。


 アリアはきゅうに黙りこくり、暗い顔をしはじめた母に疑問を浮かべた。妖精なんて話をすべきじゃなかったのかもしれない。イゼルダ夫人にとっては、十歳でも妖精話はアウトだったようだ。


「ねえママ。王子さまとまた遊べるかしら?」


 アリアは陰鬱な目で景色を眺めている母の肩をゆすった。イゼルダはまばたきしたあと、自分にひたと視線をすえている娘に気づき、思わずぎゅっと抱きしめた。まだこんなに小さいのに、将来の行く末が不安でならない。


「そうね。また遊べると思うわよ。でもあまり期待はしないでね。相手は王族ですから、わたしたちと気さくに会うことはむずかしいのよ」


「そっか」


 アリアは素直にうなずくと、母の胸に顔をうずめた。王宮に出向いたからか、いつもとはちがう香水の匂いがする。華やかだが、すこし匂いがきつかった。アリアはからだをもごもごさせて距離をあけると、イゼルダの胸元にあるリボンをつまんで顔をあげた。


「ママ。今日はあたしといっしょにお風呂に入らない? それからいっしょのベッドで寝てもいい?」


 イゼルダは娘の顔をまじまじと見た。自分の不安がアリアに移ったのだろうか。だとしたら悪いことをした。おや、よく見るとひたいにまで引っかき傷がある。それに生え際には花粉までついているではないか。


 イゼルダは娘を再びぎゅうと抱きしめると、小さな耳にキスをした。


「いいわよ。ママがあなたをめいっぱいゴシゴシしてあげるわ。それから髪もといてあげましょうね」


「わあ、あたし、今日は赤ちゃんね」


 ふふっと笑うアリアに、イゼルダはちょっとだけ涙ぐんでしまった。

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