第11話 ありさの人生
今のアリアと同じ五歳の時、ありさの両親は事故死した。
その後、母方の祖母に引き取られて育った自分を憐れんではいない。
楽しいことも悲しいことも当然ながらあったからだ。
でもある日、両親の顔が思い出せなくなり慌ててアルバムを開いたとき、ひりつく孤独を感じた。両親が映る家族写真を飾ってみるも虚しくなりやめた。クラスメイトの両親を見て疎外感を覚え距離を取りたくなった。
楽しいはずの人生の中で、ほんの一瞬、ぽかり、と穴が開く。
その穴を埋めようと努力した。でも自分はいつも期待とは違う結果を出す。
それは周りからの期待でもそうだし、自分自身が望んだ期待もそうだった。
丸島ありさはとかく本番に弱い。
練習で出来たことを本番で失敗する。気を抜くつもりはないのに肝心なところで怯んでしまう。あとひとふんばりだったのに、と祖母によく言われた。そのひとふんばりが、ありさには難しかった。
がむしゃらになろうとして空回りしたり、好かれようと思ってした配慮で他人を傷つけたり。とどめに思い出されるのは、大学受験に失敗したことだ。
地元の大学で彼女の成績なら合格はそう難しいものではなかった。うまくいけば奨学金がもらえ、大学にかかる費用がほとんど無料になるはずだった。
そして祖母が体調を崩し入院すると、ありさは大学に合格し祖母を元気づけようと、さらに受験勉強に励んだ。
その結果失敗した。祖母も亡くなった。
またぽっかり、心に穴が開いた。
その穴は今までより大きかった。
ありさはどうしようもなく孤独を感じた。
でも一番ショックだったのは、「そういう人生」を甘んじて受け入れている自分だった。わたしの人生ってこういうものよね。そんなあきらめに慣れてしまっていた。
祖母が亡くなったことで疎遠だった叔母が顔を見せるようになった。家を売り払い、ありさはアパートで独り暮らしでもはじめたらどうか、と提案してくると腹が立った。でも冷静になれば悪い話じゃない。
ありさが一人で暮らし続けるには広すぎる家だ。それに古い。
固執するより、身軽になって新しい生活をスタートさえたほうが良い。
それに家と土地を売れば、まとまった貯金もできる。
叔母は葬儀や諸々の手続きもやってくれたし、ありさを騙して財産をごっそり奪っていこうとしたわけでもない。良い人なのだと思う。慈愛は献身に満ちているわけではないが、悪人ではない。ただ淡泊で合理的なだけだ。
自分の人生ってこんな風に進んでいく。流されるままの受け身の人生。
それでもやっぱり、心にぽっかり開いた穴を埋めるものが欲しくなった。
叔母の合理性では、それは埋まらない。
何かが必要だ。その何かがわかれば、わたしの人生も……。
家を売るなら片づける必要があり、捨てるもの、持っていくもの、お金になりそうなもの、と整理する必要がある。いる、いらない、いる、いらない。その繰り返しの中、本棚でたまたま一冊の小説を手に取り読み始めた。
『孤児グレイスの幸福な結婚』
孤児の文字が自分と重なった。
でも主人公グレイスは、苦境に立たされても笑顔で耐えるような人物で共感できそうになかった。前向きさが少し鼻につく。でも本を閉じるほどでもないから、次々とページをめくる。
グレイスが看護助手の職につくシーンを見て思った。もしかしたら祖母は自分に看護師になってもらいたかったのだろうか、と。
そして相手役の王子ロザリオを見て、祖母はこういう男性が好きなのかな、そういえば祖母と恋愛話はしたことがなかったな、と名残惜しくなった。
ロザリオは逆境にも屈しない強い男性として描かれていた。
彼は王子だが継承順位は低く、政略結婚した妻は手に負えない悪女。
そんな不遇の中、自分の務めを果たそうと努力し続け、その結果、皇太子の地位を得る。愛した相手には忠実でいようとするし、約束は必ず守る。
そういったヒーローは、出来過ぎている気もした。彼の努力はありさと違い、必ず結果に結びつく。でも純粋で明るく、誰からも好かれるヒロイン像のグレイスにはお似合いの相手だ。
単純に面白かったんだと思う。
祖母に思いを馳せながらページをめくり、気に入ったシーンは繰り返し読んだ。
現実と異なるファンタジー世界での紆余曲折が楽しかった。善人はどこまでも善人、悪人はどこまでも悪で、最後はきっちり断罪される。そして、そして……。
ありさは死んでしまったのだろう。
その瞬間の記憶はない。
なぜ自分がこの世界にいるのか、なぜ主人公のグレイスではなく、悪役のアリア・マルシャンになっているのか。何が起こったのか理解できないまま新しい人生が始まった。それに対応しようとした。
悪女なら悪女でなくなればいい。
危害を加えようとする人がわかっているなら、その人に取り入ればいい。
やってやろうじゃないか。
今度こそ、うまくいく。
この人生でなら、うまくやれる。
ありさの時から引きずっている、ぽっかり開いた穴。
それをアリアでなら埋められるかもしれない。
だって未来を知っているから。予習はばっちりだから。
でも。
がくり、と肩を落とす。
わたしはいつだって失敗する。気合十分でも失敗する。
アリアは二十五歳くらいで亡くなる未来があった。
でも自分がヘマしたせいで寿命を縮めたかもしれない。
アリアごめんなさい。クロヴィスに好かれるどころか嫌われました。あなたの浴びた悪女の汚名を晴らせそうもありません。全力で詫びます。どうかどうか……。
——と、ある疑問が浮かぶ。
本物のアリアはどこ?
この体はアリアのもの。でも中身は丸島ありさだ。
ありさが、これからはアリアとして生きよう、そう思っただけ。
もしかしたらアリアとありさ、魂が入れ替わった?
五歳のアリアが十八歳浪人生の丸島ありさの体に入る。
育ててくれた祖母を亡くし、家を売り払いアパートに転居しようとしている、あまり恵まれているとはいえない状況にいるありさの体の中に、悪女に育つ予定のアリアが入っている、なんてことある?
この際何でもあり得そうだが、何かのきっかけで魂が入れかわったとして、また何かのきっかけで元に戻ることがあったとすると。
ありさに戻ったら、どこかの精神病棟か刑務所に入っていた、なんてことになりそうでぞくりとする。
それに、もしも五歳で別世界の家族のいない十八歳の女の体に入ったアリアの状況を考えると悲惨すぎる。それに比べたら、今のありさの状況なんてラッキーだ。
泣き崩れていた自分が恥ずかしくなってくる。
バカみたい。
何を悲観してたんだ。
処刑が待っているとして、それはまだ何年も先。
それだってこれからどうにか改善できる可能性がある。
ちょっと失敗したくらいでくよくよしていたら、本来のアリアに申し訳ない。
気を取り直し、涙を拭ったところでノックの音がした。
部屋に入ってきたのは、アリアの母、マルシャン伯爵夫人だ。
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