第22話 筋書きは変更できるのか

 夜、アリアが寝支度をしていると、スージーが蜂に刺されたような顔をして入室してきた。あれからますます泣き腫らした目はパンパンにむくんできたらしい。すっかり整形に失敗した女である。


「今日は大冒険でしたわね」


 スージーと入れ違いに、アリアの支度を手伝っていたメイドが退室すると、スージーは、あふーっと大きな息を吐いた。


「クロヴィスさまがどうでるかわかりませんが。このまま黙っていてくださるといいのですけど」


「大丈夫じゃないかしら。万が一、告げ口しても、スージーに迷惑はかけないわ。ぜったいよ。だから安心してちょうだい」


「まあっ」とスージー。

「わたしのことはどうだっていいんですよ、お嬢さま」


 彼女は熱っぽく、

「いざとなったら、このスージーがお嬢さまを騙くらかして、あちこち連れ回したとでもいってくださいまし」と訴える。


「でも今回の作戦は失敗だったんでしょうか。もうクロヴィスさまにお手紙を出すのはおやめにしますか?」


「あら、出すわよ」アリアはにっこりする。


「あたしはおにいちゃまのことが好きだもの。でも秘密で会いに行くのはやめようかな。あ、でもお友だちのふたりはいい人だったね。おにいちゃまもいっしょに、次は街にお出かけしたいな」


 楽しそうに語るアリアに、スージーはゆっくりと肩を落とした。


 クロヴィスさまはやっかいなお方だ。冷血でもある。アリアお嬢さまがなぜここまで懇意になさるのかわからない。でも聡明なお嬢さまのことだ、きっと凡人にはわからない愛の深さがあるのだろう。


 その凡人にはわからない理由とは、なにより死刑回避、毒殺撤回、長寿万歳なわけだが、そのためにもアリアはもう引くわけにはいかない状況なのだ。


 クロヴィスがいくら疎ましそうにするからといって、いまさらアリアが拒絶の態度をとることや、控えめに距離を置くことはできない。


 そんなことをすれば、いままでが気まぐれだったと、よけい悪印象を強めるだけだ。押せ押せで押し倒すしかない。


 周りから攻めていく手も有効な気がしていた。アリアは今日会ったスヴェンとカーマインに手ごたえを感じていたのだ。


 あのふたりには、アリアの魅力がじゅうぶん機能していた。クロヴィスも友人ふたりには、ある程度の譲歩を見せていた。ふたりがクロヴィスをからかっても、彼はむっつり押し黙るだけで、こてんぱんにやりこめようとはしてなかったのだから。


「それはそうと」アリアは話題をかえた。

「スージーはどうやって学校に入ったの? おにいちゃまといっしょにいるところを見て、あたし、びっくりしたわよ」


「ああ、それですか」


 スージーは照れたように舌先をぺろりと出す。


「おばさんの名前を使いました。邸から火急の用件でまいりました、って。そうしたら守衛もすぐに入れてくれましたし、あとはトントン拍子でしたわ」


「おばさん?」


 アリアが不思議がると、スージーは「伯母には秘密ですよ」と笑う。


「バウス夫人ってやっぱり名が知られているんですねえ。本人が大げさに吹聴しているのかと思いました。昔、女王陛下にも謁見したことがあるって自慢していましたけど、あれも本当だったのかしら」


「ちょっ、ちょっと待って。スージー、ばあやと関係があるの?」


 びっくりしているアリアを見て、スージーまで目を丸くする。


「あら、ご存知ないですか? バウス夫人は母の姉なんですよ。だから、わたしも田舎を出てすぐに、伯爵家にご奉公にあがれたんです。伯母のつてを頼ったおかげで、こうしてアリアさまにお会いできましたわ」


 バウス夫人はアリアの養育係だ。まさかスージーと縁繋ぎとは気づかなかった。


「あまり親しげじゃないのね?」


 アリアが問うと、スージーはまゆを下げて笑う。


「厳しい人ですから。はやくに奉公に出て、それからずっと屋敷勤めをしているんです。わたしも、邸に参るまで、ほとんど会ったことなかったですよ。誕生日や聖誕祭にお祝いカードが届くくらいで」


「そうなの」


 アリアは納得の顔をしてみせたが、内心は動揺していた。バウス夫人は有能なばあやというだけではない。小説『孤児グレイスの幸福な結婚』にも名前が出てくる登場人物だ。


 バウスは悪女アリア・マルシャンに最後まで忠実に付き従った人物として描かれていた。悪女アリアがその恩に報いることは一度もなかったが、傲慢さゆえに、どの使用人も長続きしなかった中で、バウスだけは「わたしのお嬢さま」とアリアを敬愛しつづけた。その姿はひどく健気で、アリアの悪女ぶりを強調させる描写のひとつになっていた。


 だから、そのバウスは、とうぜん、あの養育係のバウス夫人だと、アリアは思い込んでいたのだが、もしかしたら……


「あなたなの?」


「はい?」


 ベッドを整えていたスージーがきょとんと振り返る。


「スージー、あなたの苗字もバウス?」


「そうですよ。スザンナ・バウスがわたしのフルネームですから。伯母は独身ですけど、慣例で『夫人』と呼ばれますものね?」


「そ、うね」


 アリアはにこりとして、ちがう話題を振って話しつづけたが、頭のなかは混乱していた。


 スージーと親しくなったのは、自分の意志だと思っていた。言葉は悪いが、アリアの魅力がスージーに通用しているのを見て、意識的に彼女を手なづけたのは事実である。もちろんスージーのことは好きだ。あれこれ策略をめぐらす以前に、心から親しくなりたいと思う相手だ。


 でも、もしあのバウスが。小説に登場したバウスという使用人が、バウス夫人ではなく、スージーのことだったなら。


(わたしがスージーと仲良くなるのは、筋書きどおりだったというわけ?)


 アリアはざわつく心を鎮めるのに苦労した。おやすみなさい、とスージーが部屋を出て行ったあとも、目を閉じる気にもなれず、寝返りを何度も打った。


(それとも、小説のバウスはやっぱりバウス夫人のことだったとしたら……)


 アリアは自分の意志で物語の筋書きを変更したことになる。本来バウス夫人だった忠臣を、姪のスージーに変更した、もし、その可能性があるのなら。


(わたしは運命を変えられるってことよね?)


 アリアのあらがいたい運命は、その死に際の状況だ。悲惨な死を迎えないために、アリアは日々計画を練っている。


 自分を服毒に追いやるクロヴィスと確執を作らないように、かわいい姪と思ってもらえるように。アリアは幼女パワーが通用するうちに、じゃんじゃんアピールするつもりだ。それにクロヴィス攻略の他にも、やらなければならないことはたくさんある。


(たしか、八歳のときだった)


 必死に思い出そうとするのは、小説の内容だ。アリア・マルシャンが八歳のとき、第六王子との婚約が決まる。


(王子に嫌われないようにしないと)


 この世界が『孤児グレイスの幸福な結婚』であるなら、主人公はアリアではなく、グレイスだ。グレイスの結婚を描いた物語である以上、アリアは王子とグレイスの恋を邪魔する気は一切ない。


 狙うのは円満離婚であり、その後の生活の保障だ。


 小説でも、悪女アリア・マルシャンは離婚してマルシャン邸に戻ったあとも、その生活を保障してもらっていたはずである。彼女は皇太子妃の地位を欲したばかりに、転落の末路を辿ったのだ。つまり、大人しくしてさえいれば、円満離婚とその後の安定は、難しい希望ではない。


(クロヴィスの動向が気になるけどさ)


 アリア・マルシャンの悪行を出世の踏み台にすることで、宰相まで登りつめたクロヴィス・マルシャン。彼が突き進む運命とアリアが望む運命が交錯しないことを願うばかりだ。そのためにも。


(おにいちゃま大好き作戦はやめられないわね)


 媚びよう。アリアはぎゅっと目を閉じた。


 とにかく媚びて媚びて、好き好きオーラで押し倒そう。アリアが盲目的にクロヴィスを好いていることが周りにもわかれば、いくら疎ましく思っていようと、そうそう無下にはできないはずだ。彼だって周りの評価は気にする、たぶん。


 アリアは、次は何をして媚びつくそうかと思いをめぐらしながら、やっと眠りへと落ちていった。

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