第17話 怪しげな少年

「こんにちは、アリア・マルシャン」


 穏やかな声である。危険はなさそうだし、不審者をとがめているふうでもない。だが、自分の名前を口にしたことで、アリアの警戒心はぴりりと緊張した。


 アリアが振り返らずにいると、背後にいたその人はパチリと指を鳴らした。アリアはくるりと自分のからだが反転したのをかんじた。え、と驚く。目の前には白髪の少年が立っていた。


「元気そうだね、アリア・マルシャン。まさかこんなところにいるとはね。それとも今学期から、ここは男女共学になったのかい?」


 クロヴィスより年下の十三か四くらいの少年だ。黒いローブを羽織っているが、ここの生徒だろうか。白色の長い髪を横にたらし、毛先を赤いリボンで結んでいる。きれいな顔だ。ただ抜け目なさそうな目をしている。にやりと笑いながらアリアを見ている表情は、あまりかんじ良いとはいえない。


「あの、あたし」


 アリアは戸惑いながら言葉を口にした。あたりに人影はなく、しんとしている。授業中かな。だとしたら、彼はなぜここに? サボっている? 不良か? アリアはいつでも逃げ出せるようにしつつも、相手を観察した。向こうのほうでも、アリアを興味深げにながめ、「ふーん」といいながらあごに手をやっている。


「あたし、おにいちゃまに会おうと思って」

「おにいちゃま? アリア・マルシャンはひとり娘のはずだが?」


 少年は眉間にしわをよせると、アリアのほうへぐいと身を乗り出した。


「きみは」と、じっと目をのぞきこんだあと、

「なるほど、あいつのいうとおりだ。想定外だったな。どこでミスしたかなあ?」

 と何やらわけのわからないことをつぶやく。


「あの、あのね、あたし、クロヴィスおにいちゃまに会いに来たの。白い髪のおにちゃまは、その、あたしのおにいちゃまのこと知ってる?」


「ああ、クロヴィスか」


 少年は乗り出していた体をまっすぐに伸ばすと、「彼が好きなのかい」と片方のくちびるをくいとあげて笑う。


「す、好きよ。あのね、今日はパパと王城まで来たからね。そうだ、おにいちゃまに会いに行こうって、あたし、とつぜん思いついて」


 しどろもどろに話すアリアに、すっと少年は手をあげて制止する。


「やめたまえ、純情ぶるのは。アリア・マルシャンはもっと傲慢で高飛車な女だったぞ。やるなら、らしく振舞わねば怪しまれる。なあ、そうだろう?」


「は? え、えーと?」


 もしかして頭のおかしい少年なのかも。じりじりとアリアは相手との距離をとる。言動がちょっと浮いている気がする。


 まだ社交界に出ていないアリアのことを知っている者は多くないはずだ。すくなくともパッと見て誰かわかるなんてことはありえない。


 最初呼びかけられたときは、クロヴィスの友人の誰かだろうかと思った。彼の友人で、アリアが何度も手紙を出した相手はふたりいる。


 ひとりは男爵家の長男スヴェン、もうひとりは伯爵家の次男カーマインである。どちらもマルシャン家より劣る家門であり、クロヴィスがリーダーぶれる相手だ。年齢はクロヴィスと同い年のはずだが、容姿などの細かいことをアリアは知らない。


 もしかしたら、手紙を送ったふたりのどちらかで、学内で見かけた子どもを、もしかしたらアリアではないのかと感づき、呼び止めてきたのか、とそう考えてみたのだが。


 相手の言動を見ていると、ただのへんなやつのような気もしてくる。しかし、それでは、なぜアリアの名前を知っているのか……?


「あの、それでは」


 こっそり場を離れようとするアリア。少年は形のいいまゆを驚いたようにぴくりと上げる。


「おや、もう帰るのかい。クロヴィスに会いたいんだろう。じきにベルが鳴る。その渡り廊下を右に進みたまえ。まずスヴェンにぶつかるから、そいつを捕まえてクロヴィスがいるところに案内してもらうんだ。まあ、クロヴィスはきみを見て喜びはしないだろうがね。しかしまた、なぜここへ来たんだい? まさか本当にあいつが好きで追いかけて来たとでも?」


「そうよ。あたし、おにいちゃまが好きなの」


 はは、と苦しまぎれの笑いを貼りつけて、アリアは後ずさりする。顔はきれいだが、人間味のない表情をする少年だ。無表情とも冷酷ともちがう、笑顔なのだが、どこかぞくりとさせる。


「その、ありがとう。右に行くのね」


 バイバイとアリアは手を振り、渡り廊下へ向けて駆け出した。背に相手の視線をかんじる。キツネに追われるウサギのような気分だった。


 アリアが廊下を右に行き、校内へ姿を消すと、白髪の少年は宙に人差し指を伸ばした。ばさりと羽音がして、カラスがその指先に止まる。彼は指に止まったカラスを肩に移動させると、腕を組んで「うーん」とうなった。


「興味深いね。彼女、何か企んでいるようだ」


「そのようですね、ご主人さま」


 ウルウルは答えると、カラスの目であたりを見回した。


「あと数秒でベルが鳴ります」


「うん。じゃあ誰かに会う前に移動しようか」


 アスバークは胸前に垂らしている白髪の毛先をいじりながら、不服そうに顔をしかめた。


「それにしても、なぜべつの魂が宿ったんだ。本来のアリア・マルシャンの魂は消えてしまったのか」


「それをお調べなのでしょう、ご主人さま」


 ウルウルの相づちはそっけない。彼は命令には従うが、その内容には頓着しないのである。


「もっと興味を持ってくれよ、ウルウル。つまらないじゃないか」


 アスバークは、ふわりと弧を描くように手を動かす。すると彼の輪郭がぼやけ、空間に溶けてうすれていく。


「それは無理というものです、ご主人さま」


 ウルウルの返事に、現世最強の魔術師と呼ばれるアスバークは、やれやれと息を吐き出すのだった。

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