第7話 まるで天使のような少年は……?

 クロヴィスがマルシャン邸に到着したのは、アリアがお昼寝をしているときだった。寄宿学校から直接、邸宅に向かっていれば昼食に間に合うはずだったが、彼は領内の市場に立ち寄っていたらしい。


 アリアの『到着と同時に馬車に駆けより「おじちゃまあん♡」と抱きつくぞ、これで叔父はイチコロよ作戦』は不発に終わってしまった。しかしお昼寝をバカにしてはいけないのである。


 アリア・マルシャンは小説の中では性根の腐った女として描かれ、自ら愚かなふるまいをしつくした結果、おちぶれていったバカな女に思えたが、実は頭脳は発達していた。


 アリアの回復を確かめた両親は、さっそく彼女の教育を再開する。アリアは、ポニーを乗りこなし、ピアノを弾き、歌を歌えばカナリアのよう、絵画の才能も、語学、算術、歴史、植物学や生物学においても、五歳児とは思えない教育を受けていた。


 丸島ありさの魂を持ちつつ、アリアの知識・能力を身につけていた新生アリアも、家庭教師の要求量にたじろぐことはあれ、それらに問題なく対応できた。


 しかし優れているとはいえ、からだは五歳である。かつては受験勉強にあけくれた日々を経験したとしても、現在のアリアにはお昼寝がいる。


 アリアは、しゃっと開いたカーテンの音で、ほわほわとした眠りから目覚めた。メイドのスージーがカーテンのタッセルを止めながら、朗らかな笑顔をよこす。


「アリアお嬢さま。すぐに西窓のテラスに向かうといいですよ。クロヴィスさまがお茶を楽しんでいらっしゃいますから」


 昨日からクロヴィスの到着を待ちわびていたアリアが、

「いつ来るの?」「ぜったいにいらっしゃる?」

 としきりに聞いて回っていたのを知っているスージーは、アリアが「えっ!」とベッドで飛びあがる姿を見てくすりと笑う。


「本当にクロヴィスさまがお好きなんですね」


 スージーは若いメイドでマルシャン邸に奉公にあがって日が浅かった。そのため、前回の休暇では、アリアとクロヴィスは会話ひとつせず、あいさつ程度にしか顔を合わさなかった事実を知らない。


 他の使用人たち、特にばあやであるバウス夫人は、アリアの叔父に対するとつぜんわき起こった興味に首をかしげたものだ。


 それでも、成長の証だろうと納得していた。マルシャン邸にはアリアの遊び相手となるような子どもはおらず、領地内の子どもたちとの接点もすくない。年が離れているとはいえ、まだ十代の叔父に関心を示すのは奇妙なことではなかった。


「おじちゃま、まだ帰ったりしないわよね」


 いそいそと身なりを整えながら、アリアは心臓がばくばくするのを必死で抑えようとした。髪につけるリボンを結んでもらいながら、アリアは笑顔の練習をする。


(にこっ、にこっ。ううん、やっぱり歯を見せるべき? それとも目は細めてくちゃっと笑ったほうが無邪気かな)


 百面相するアリアに、スージーは笑いをこらえながら、リボンを整える手をてきぱきと動かす。日が当たると透き通ったように輝く琥珀色の髪は、何度ながめてもスージーを感嘆させた。フリルのついたリボンは平凡な顔立ちの少女が身に着けると浮いて見えるだろうが、アリアの場合はその愛らしさが増すばかりで見劣りは一切ない。


「さあ、お支度は完成しましたよ。午後のお茶はクロヴィスさまとお召し上がりになりますよね?」


「うん、おじちゃまがいいっていったらね?」


 明るい返事をしつつ、不安げな目をするアリアに、スージーはときめくようなしびれを覚えた。アリアお嬢さまを拒む人なんていないだろうに。クロヴィスさまは気難しい若者だと聞いているが、それでもアリアお嬢さまを邪険に扱うはずがない。


 スージーは奉公にあがったばかりの頃、「奥さまには要注意。沸点が低いから、物を投げつけられないように注意なさい。お嬢さまもいっぱしのレディぶるのがお好きだから、子ども扱いしないように」と先輩メイドからうるさいほど叩き込まれた。


 実際、伯爵夫人は怒りっぽく、気分にむらっけのある人だったし、アリアお嬢さまも小生意気な娘だった。まだ微笑ましいですむわがままも、やがては手に負えなくなるのではないか、そう使用人のあいだでは不安視されていたのだ。


 しかし熱を出し生死のはざまから回復したアリアは、気が弱くなったのか涙もろくなり、ちょっとしたことでも怯えや戸惑いを見せるようになった。


 その姿は痛々しく、幼い身に降りかかった病がどれほど彼女に影響したのかと、皆が夜ごと話題にあげ、ひたいをよせてひそひそと語りあっているのである。


 いまも、叔父の顔色をうかがう素振りを見せるアリアに、スージーは胸がぺしゃんこになる思いがした。不躾だとは思ったが、その頼りなげな小さな肩を見ているとたまらなくなり、スージーはアリアのからだを抱きよせた。


「大丈夫ですよ、お嬢さま。スージーがうけあいます。クロヴィスさまは、お嬢さまをお待ちかねです。さあ、下に行きましょう」


 ごくりと唾液を飲みたくなる衝動をこらえて、アリアはにこりと笑ってみせる。スージーには効果抜群の笑顔だが、果たして冷血叔父に通用するかどうか。


 アリアは階段を一段一段下りていくたびに処刑台が近づくような錯覚を覚えた。しかし、わたしは五歳、わたしは五歳と呪文のように唱えることで自分を奮い立たせる。


 小説ではクロヴィスの容貌について、ごく簡単にシルバーにちかい金髪、マルシャン一族を象徴する赤みを帯びた瞳、とあったが、美醜についての記述はなかった。ただ恋人の存在をほのめかすものはなく、グレイスを養女にしたときにも独身だったことから、女性受けするタイプではない、とアリアは想像する。


 彼女のイメージするクロヴィスは、冷酷で青白い顔をした細身の男だった。今後起こる戦争に、武勇誉れ高いマルシャン家門を代表して彼が参戦しているが、戦果をあげているようすもなかったため、武骨な軍人をイメージするのは難しい。


 だからだろうか。


 テラスにいる天使のような容貌の少年を見て、アリアはクロヴィスではなく、彼の友人も来ているのだと錯覚した。


 白いテーブルで優雅にお茶を楽しんでいる少年に表情はなかったが、蝶が飛び、花々が咲き乱れる花壇に向けるまなざしは、儚さと繊細さに満ちている。


「あ、あのぉ」


 アリアはそろそろと前に進み出て、他に誰かいないかと視線をめぐらせた。少年は伏し目がちにアリアへ顔を向け、かたり、と手にしていたカップを置いた。


 細い指は女性のようで、白い肌はアリアよりも輝いている。月光を封じ込めて色を溶かしたような光放つ長い前髪の下で、ルビーのようなきらめく瞳がアリアにひたと据えられる。


「お前」


 アリアはぴしりと背筋を伸ばした。


「あ、あたし、おじちゃまに会いに」


 震える声に、すぱっと声が投げつけられた。


「消えろ」

「え」


「おい、誰かこいつを捕まえとけよ。邪魔くさくてしょうがねー。おれが出て行くまで部屋に閉じ込めといてくれ」

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