第19話 スヴェンとカーマイン

 午前の授業を終えたスヴェンは北校舎の三階に向かった。

 クロヴィスがまた授業をサボっていたのだ。いい加減にしないと試験の結果が良くても留年する。午後は引きずってでも参加させたい。


 最近のクロヴィスは見晴らしのいい三階の出窓から王都を見下ろすのにハマっている。くすんだ茶色の屋根や路地を忙しなく行き交う人々を見るのが楽しいらしい。


 ——絵本の挿絵にぴったりだよな。


 窓枠によりかかり景色を眺めながらクロヴィスがそう言ったことがある。ずいぶんかわいらしいことを言うもんだと感心したスヴェンだったが。


「もしも俺に魔力があって」


 と、クロヴィスは人差し指だけを招くように曲げる。


「一瞬で街を破壊できるとする。でもああやって普段通り生活している人たちは、そんなことを考えている俺が自分を見下ろしているなんて考えもしないんだろうな」


 この天使はまた何を言い出した。

 スヴェンはドン引きしたが口には出さなかった。


 常に光の中にいるような繊細で儚げな雰囲気をまとうクロヴィスだが、その見かけに反して性格は相当腹黒い。

 相手がどのレベルまでなら、自分の命令に黙って従うか試すのが趣味だ。


 そしてクロヴィスは面倒くさいことに寂しがり屋だ。長年付き合っているからわかる。絶対に本人は認めないだろうが、放置すると拗ねて殻に閉じこもる。


 だからスヴェンはクロヴィスから罵倒されても笑って許し側にいてやる。


 周囲から「物憂げな天使」のしもべ、金魚の糞、腰巾着、格上に魂を売った腰抜け野郎と言われているとしても、だ。


 なぜそこまでしてやるのか、と問われたら自分でもよく分からなくなる。


 でも他の生徒のことは「アホ」や「クズ」だのと呼ぶくせに、スヴェンのことはしっかり名前で呼んでくるから、なんとなく許してしまうのだ。親気分、あるいは兄貴気分か。


 そんな心優しいスヴェンが、生徒の群衆をかき分け進んでいると、ドスッと腹部に衝撃を受けた。走り回る下級生が激突してきたのか、それとも隠れクロヴィスファンが自分を妬み攻撃してきたのか。


 何者か見てやろうと顔を上げ、それから下を見る。


「ん?」


 かなり小柄な男の子が尻餅をついている。


 いや小柄どころではない。制服を着ていないし在校生にしては幼すぎる。どう見ても十歳以下だ。


「ぼく、どうした? おにいちゃんに会いに来たかい?」


 膝を曲げ視線を合わせようとすると、相手は脱げかけていた帽子を目深に被りなおし、大慌てで立ち上がる。立ってもスヴェンのヘソくらいまでしか身長がなかった。


 どうしてこんな幼い子が一人で校内に?

 不思議に思っていると、


「おーい、スヴェン」


 肩を叩かれ振り返る。カーマインだ。

 スヴェンと対をなすクロヴィスの腰巾着仲間。


「お前も授業サボってると思ったら」


 視線がカーマインの襟元に向かう。着崩したシャツから見える鎖骨には虫が噛んだような赤い跡がある。


「あきれた。昼間っからまた怒られるようなことしてきたな。いつか刺されるぞ」


 カーマインは褒められたというように胸を張る。


「これでも相手は選んでる。今日は人妻。でもまだ十代」

「下衆野郎。全然笑えない。あと香水くさい」


 カーマインは「そうか?」と腕の匂いを嗅いでいたが、そこで初めて気づいたらしく、オドオドしている珍客に視線を向ける。


「お嬢ちゃん、迷子? ここは男子校だぞ。ハッ、まさか俺の娘!!」

「お嬢ちゃん?」


 スヴェンはカーマインの軽口を無視して、聞き返した。


「女の子なのか、この子」

「そう、俺の娘」

「あたし、おにいちゃまにあいにきたの」


 あらー、そうなのー、と猫なで声のカーマインをかわし、珍客はスヴェンの上着を引っ張る。


「あたしね、アリア」

「嘘ッ、アリアちゃん!? さすが腹黒天使の姪。美人ちゃんだな」


 抱き寄せようとするカーマインの腕をスヴェンがぴしゃりと叩く。


「見境ない奴だな。クロヴィスに殺されるぞ」

「親愛のハグくらい良いだろ」

「ダメだ、しっしっ」


 で、とスヴェンは腰を屈めアリアと視線を合わせる。


「クロヴィスに会いに来たって、まさか一人じゃないよね。はぐれちゃった?」

「ううん。アリア、ひとりできたの。だからね、しーっよ。ね、しーっ!」


 小さな人差し指を口に当て必死にお願いしてくる。カーマインじゃなくともデレそうだ。実際カーマインは「激カワ心臓止まる。決めた。俺、マルシャン家に婿るわ」と血迷っているので、スヴェンは姿勢を戻すついでに爪先を踏んづけてやった。


「いってー。お前なあ」

「伯爵家の令嬢に無礼すぎるぞ」

「わかってるよー」


 ブスッとするカーマイン。でもすぐに表情を明るくして、


「レディ。クロヴィス叔父さんのところまで案内しましょうか?」


 エスコートの手を差し出す。アリアはちらとその手を見た。

 でも「どこにいるか知ってる?」とスヴェンに問うてくる。


「うん、わかるよ」


 ちらっとカーマインを見やる。


 彼はちょっとの間、寂しげに手を出したままだったが、ゆっくり背筋を伸ばすと、乱れているシャツのボタンを留め始めた。スヴェンはくすりと笑う。


「あっちの校舎の三階にいるはずなんだ。一緒に会いに行こうか?」


 今度はスヴェンが手を差し出すと、アリアは「うん」とすぐに握る。


 カーマインが「お前なんかクロヴィスに殴られてしまえ」と呪詛してきたが、スヴェンは最高に気分が良かった。

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