第20話 クロヴィスの婚約者?

 スヴェンの予想通り、クロヴィスは北校舎の三階で授業をサボり、窓辺でうたた寝していた。ポカポカ陽気。最高に気分が良かった。


 でもその心地良さを破る声に、かくっと膝が抜け目を覚ます。


「マルシャンくん、来客だよ」


 半眼で見やる。事務員の男だ。

 こちらは気分台無しだったのだが、向こうは媚びへつらう笑顔でいる。


「一号館の応接室に案内したからね」


 一号館の応接室は北校舎から距離がある。クロヴィスは再び目を閉じ、「会わないんで帰るよう言ってくれます?」と頼む。でも事務員は「いやぁ、それは……」と言葉を濁し立ち去る気配がない。仕方なくクロヴィスは身を起こす。


「客って誰?」

「ミス・バウスと名乗っていたよ。婚約者かい?」


 コンヤクシャの言葉がすぐには脳に浸透せず変な間が開いたが、クロヴィスはやあ遅れて「ハア?」と問い返す。


「す、すまないっ。立ち入ったことをきいてしまったね」

 焦り出した用務員は後ずさりながら付け加える。

「じゃ、じゃあ僕はこれで。伝えたからね。一号館の応接室だよ」


 そうして用務員は、噛みつこうとしたわけでもないのに転がり逃げるように立ち去っていく。


「うっざ」


 クロヴィスは陽光を含んだような金髪を無造作にかき乱す。無視したいが待たせているなら仕方ない。窓辺から下りると、だらだらした足取りで一号館に向かう。


 それにしてもミス・バウスとは誰だ?

 北校舎から出て中庭を抜けていく間も考え続け、やっと思い当たる。


「ミス・バウスってバウス夫人のことか!」


 バウスはアリアの乳母だ。

 でもあの用務員、「婚約者」と言わなかったか?

 バウス夫人は白髪交じりで、マルシャン伯爵夫人より年上のはずだ。


 貴族は政略結婚ばかりとは言え、度が過ぎている。あの用務員、何考えてんだ? それとも一つも面白くないのに冗談を飛ばしたつもりだったんだろうか。


 昼寝を邪魔されただけでも気分が悪いのに、あの用務員、あとで覚えてろよ……とか何とかプンプンするもクロヴィスは首をひねる。


 バウス夫人が来ているとして何の用だろう。


「アリアに何かあったかな」


 また高熱でも出したのか?

 つい最近も熱を出し数日寝込んだと聞いている。

 俺の姪っ子は体が弱いのかもしれない。——というか、死んだ?


 クロヴィスはぴたっと歩を止める。


 もしもアリアが死んだら爵位は自分が継ぐ可能性がぐっと高くなる。アリアは結婚十年が経過してやっと生まれた子だ。伯爵夫人は産後も随分苦労していたようだし、今後の兄夫婦が再び子を持つ可能性は低いだろう。


 だいたい自分がいるし、とクロヴィスは思う。年齢的には二人の息子でも良いくらい年齢が離れているのだから。


 バウス夫人が自分に用事があるとしたらアリア関連がしっくりくる。

 他に繋がりなどないからだ。


(何だよ、あいつ死んだのかよ)


 クロヴィスは笑おうとして頬が固くなっていることに気づいた。

 ほぐそうとして触るが、カチカチしている。


「急なことだしな。俺だってびっくりだ」


 内密に葬儀を終わらせたいから、俺をこっそり呼びに来た感じかな。

 でもそれなら他に寄こせる人材はいるだろうに……。


(まあ、行けばわかる)


 で。


「お前、誰だよ」


 全然バウス夫人じゃない。


 応接室のソファに座っていたのは、そばかすが目立つやせっぽちの若い女だった。畑のカカシのほうが粋だと思うほど野暮ったい服装をしている。貴族令嬢には見えない。平民だろう。


「クロヴィスさま、あのっ、そのっ、あのっ!」


 ハンカチを握りしめる泣き顔は鼻先が赤い。


「お前なんて知らねーよ」


 応接間には一歩も入らず、クロヴィスはすぐさまドアを閉じようとしたが。


「お嬢さまがっ、アリアお嬢さまがあああああ!!!」


 顔を伏せつつ絶叫するので、ぎょっとしてドアを閉め損ねた。


「どこにもいないんですぅぅぅ!!! どうしましょう、きっと誘拐されたんです、ああああああ、わたしのせいです、バカバカバカ!!!」


 自分の頭をポカポカ殴り出す。


「な、なんだよ気持ち悪ぃな」


 鳥肌が立っていたが、こんなところで騒がれても自分が恥ずかしくなる。

 クロヴィスは中に入ると泣き喚く女の肩を嫌々ながら指先で叩いた。


「泣くな。アリアがどうしたって?」

「ア、アリ、アリアさまがぁぁ、いなくてぇ、待っててっていったのにぃ、どこにもいなくてーえ」


 えぐえぐとしゃくりあげながら話すので要領を得なかったが、辛抱して耳を傾ける。


「つまりお前はうちのメイドで、アリアを学校に連れてきたはいいが見失ったと?」

「ず、ずみばぜん。わだじ、アリアざまの願いを叶えでざじあげだぐでぇ」

「わかったから鼻水を飛ばすなよ、汚ねぇなあ」


 ちーんっとハンカチで鼻をかむ女に、クロヴィスは自分のハンカチも渡す。


「おい、こっちも使え。それもうビショビショじゃねえか」

「ばい、ずみばぜん」

「あのなあ。うちのメイドならもうちっとしっかりしてくれよ。使用人のしつけができてないと思われるだろ」


「あい、ぞうじまず」


 クロヴィスのイニシャル入り絹のハンカチも、ちーんっと鼻水で濡れていく。


「それ捨てとけよ。絹だからって後生大事に持ってたらクビにするからな」

「わがりまじだ。でもばたじに未来なんでないんでず。アリアさまがっ、ひっく、アリアお嬢ざまがっ、い、いなく、いなくなってーぇぇぇ、うおーーーんっ」


 ハア、とクロヴィス。


「泣き叫ぶなっての。学校に入ったんならどっかにいるだろ。周りが騒ぐ前に見つけ出して早く戻れ。どうせ兄貴には秘密にして来たんだろ?」


「ぞうでず。秘密の任務だったんでず。題して『おにいちゃま♡会いに来ちゃった作戦』でず」


「バカやってるから罰が当たったんだ」

「バカじゃないでず、アリアお嬢ざまのご提案でぇ」

「五歳児の提案に乗るなよ、お前、やっぱバカだろ」


 それにしてもアリアが自分に関わってこようとするのは伯爵夫人の指示があると思っていたのだが、娘を溺愛するあの人がこんな計画を立てるとも思えなかった。


「お前ら、何考えてんだよ」


 脱力して聞くと、メイドの女は泣き腫らした顔をしながらもきっぱりと言う。


「お嬢さまはクロヴィスさまがお好きなんです、本当に本当にお好きなんです。いつもクロヴィスさまのことをお話になるんですよ。どうやったら好きになってもらえるか、おにいちゃまは何をお喜びになるか、って。それにあのお手紙だって毎回一生懸命に書いてるんです」


「あれは嫌がらせじゃ」

「違いますよっ」


 食ってかかってくるメイドに、クロヴィスは仰け反る。


「嫌がらせとは何ですか! 五歳の子がそんな腹黒いことを企むわけないでしょっ。おたくとは違うんですっ。いいですか、あの方は天使なんです、女神なんです、この世の頂点でありわたしのすべてです!!」


 と、女はハンカチで盛大に「ちーんっ」と鼻を噛むと、一転してメソメソとクロヴィスにしがみつく。


「お願いでず、クロヴィスざま。お嬢ざまをいっじょに探してぐだざい」

「わぁかったっての。というか離れろ、気安く触るな」


 メイドの手を振り払いジャケットの乱れを直したクロヴィスは戸口に向かう。


「おい、行くぞ。お前……ああっとミス・バウス?」


 ぐずっと鼻を鳴らしたが、メイドは背筋をシャキっとさせる。


「アリアお嬢さま付きメイドのスザンナ・バウスと申じまずっ。どうぞスージーとお呼びください!」

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