第20話 クロヴィスの婚約者?

 クロヴィスは窓辺によりかかってうたた寝をしていた。


 ポカポカと心地よく、最高に気分が良かったのだが、事務員の男が、眠気をさますざらついた声で呼びかけてきたため、ひざがかくりと揺れる。


「マルシャンくん、お客さんだよ。応接室にいらっしゃるから」


 客? 思いっきり顔をしかめてみせたが、事務員の男は、今日も天使は物憂げだなあ、と得したような喜びで顔をほころばすだけだった。


 応接室は教職員の部屋がある区画にあって、ここからは面倒なほど遠い。クロヴィスは「会わないんで帰ってもらえます?」と頼んだが、事務員は「いやあ、それは」と気色悪いほど弱った態度をとるので、しかたなく窓枠から身を起こした。


「応接室って『黒の間』ですか『白の間』ですか?」

「黒のほうだよ。お客さんはミス・バウスと名乗ったが婚約者かい?」


 ぎょっとしたクロヴィスは「はあ!」と思わず大きな声が出た。事務員の男はひっくり返りそうなほど驚いている。


「あ、いや。立ち入ったことをきいてしまったね。じゃ、じゃあぼくはこれで。黒の間だからね、白じゃなくて、東階段の右にある」


 あたふたしながら事務員の男は遠ざかっていく。去りながら、ちらちらとクロヴィスをうかがう視線を送ってきたが、それも角を曲がると消えた。


 クロヴィスは「うっざ」と吐き捨て、さらさらとした髪をかき乱しながら応接室へと向かった。ミス・バウスとは誰だ? しばらく悩んだが、一階におりて中庭を抜けようとしたところで思い出した。


「なんだ、バウス夫人か」


 アリアの養育係の女だ。伯爵夫人が呼び寄せた人で、アリアの前は伯爵夫人の姉たちの娘を世話してきたらしい。「立派なレディを育て上げてきました」が自慢の、骨太なきびしい顔つきをした女だ。


 婚約者だと? あの人白髪生えている年齢だぞ。ふっざけんなよな。


 クロヴィスは、あの事務員の男は熟女好きなんだろうが、こっちは十六の伯爵家子息の美男子だぞ、と今度会ったらどう仕返ししてやろうか考える。しかし、アリアの養育係がなぜ学校に来たのだろう。思い当たる節がまったくない。


「アリアに何かあったかな」


 また熱でも出たのか。以前も死にかけていたみたいだし、からだが弱いのかもしれない。死んだ、とか?


 ぴた、とクロヴィスは足を止めた。ありうるだろうか。もし、アリアが死んだら爵位は自分が継ぐことになる。アリアは結婚十年をすぎて、やっとできた子どもだ。兄夫婦が再び子を持つ可能性は低い気がするから。


(ぜったいじゃないけど)


 でも、いくら夫婦仲が良さそうでも、たしかイゼルダは三十半ばになるし、産後もずいぶん苦労していた。体質的に出産にむいていないのだ。イゼルダが望んだとしても、あの兄のことだ、無理をさせてまで子を持つことに執着するとは思えない。


 だいたい自分がいるし、とクロヴィスは思う。後継者なら、ふさわしい存在がもういる。年齢的にも、彼はふたりの息子でもいいくらい歳が離れている。


 もしバウス夫人が自分に用事があって来るのだとしたら、アリアの死しか考えられない。他にもよこせる人はいるだろうけど、なるべく極秘にしたければ、兄は部下より身内に頼るだろうし。


 クロヴィスにとって伯爵家で働く人たちは、広い意味で身内だったので、その中ならバウス夫人が最適だろうと思った。彼女なら多少の悲劇でも動じないだろうし、シェパーデスなど執事やメイドたちは葬儀の準備で忙しいはずだ。


(なんだよ、あいつ死んだのかよ)


 クロヴィスは笑おうとして、頬が固くなっていることに気づいた。こわばっている顔をほぐすようになで、かぶりを振った。


(まあ、行けばわかる)


 しかし、行けばわかったことは、クロヴィスの想像とはまったく異なりすぎて、彼は頭痛で吐きそうになった。


「お前、誰だよ」


 応接室のソファに座っていたのは、そばかすが目立つやせっぽちの若い女だった。めいっぱいオシャレをしているようだが、流行おくれで、ちぐはぐ。畑のかかしのほうが粋なくらいだ。


「クロヴィスさま、あの、わたし」


 ハンカチをにぎりしめ、べそをかき、鼻先が赤い。なれなれしく話しかけてくる姿に、クロヴィスは気味がわるくなった。


「な、なんだよ。ストーカーか。おい、誰かこいつを」


 ドアから顔を出して人を呼ぼうとすると、女は「アリアさまがあああ」と叫び、泣き崩れてしまった。


「いなくなっちまったんですうう。どうしましょう、きっと誘拐されたんですわ。あああああ、わたしのせいだわ。爪をはがされようと舌を引っこ抜かれようとかまいませんが、アリアさまがお戻りにならないのなら、何の意味もありませえええん」


「おい、なんだよ気持ちわりぃな」


 おうおう泣く女に、クロヴィスは鳥肌を立てつつ、肩を叩いてやる。


「とにかく泣くなって、うるさいだろ。あとアリアがどうしたって?」

「あ、アリ、アリアさまがああ」


 えぐうぐ、しゃくりあげるので要領を得なかったが、次第に事情がのみこめてきた。つまり、アリアを学校に連れてきたはいいが、見失ったのだという。


「ず、ずみまぜん。わたじ、アリアざまの願いを叶えでざじあげだくで」


「わかったから、鼻水を垂らすな」


 ちーんっとハンカチで鼻をかむ女に、クロヴィスは蕁麻疹が出そうになったが、自分のハンカチも出して渡してやった。


「もうそれびしょびしょじゃねーか。汚ねえやつだな。うちのメイドなんだろ。もうちょっとしっかりしてくれよ。使用人のしつけができてないと思われるだろ」


「あい、ずみまぜん。ありがどうございまず」


 クロヴィスのイニシャル入り絹のハンカチも、ちーんっと鼻水に濡れる。


「それ、捨てとけよ。後生大事に持ってたらクビにするからな」

「あい、わがりましだ。でもわたしに未来なんでないんでず。アリアさまがああ」


 はあ、とクロヴィス。


「学校に入ったんならどっかにいるだろ。周りが騒ぐ前に見つけ出してうちに戻れよ。どうせ兄貴には秘密にしてるんだろ?」


「ぞうでず。秘密の任務だったんでず。題して『おにいちゃま♡会いにきちゃった作戦』でず」


 くだらないことをやっているから罰が当たったんだと思ったが、どうもアリア発案でことを運んだらしい。アリアがクロヴィスに関わろうとするのは、裏に伯爵夫人の影響があると思ったが、あの人がこんな計画を立てるとも思えなかった。


「あいつ、アリアは何を考えてんだよ」


 弱った声を出すと、女は、ぐずっと鼻を鳴らし、泣きはらした顔ながらも、きっぱりといった。


「アリアさまはクロヴィスさまが、お好きなんでず。本当にお好きなんでず。いつもあなたさまのことをお話しになりまず。どうやったら好きになっでもらえるか、そればっかり考えてらじて、お手紙もいづも一生懸命に書いてるんでず」


「あれは嫌がらせじゃ」


「まざか!」


 女はクロヴィスにつかみかからんばかりに身を乗り出した。


「ちがいまず。本当に本当にお好きなんでず。五歳の子が、そんな腹黒いことを企むとお思いでずか。あの方は天使なんでず。女神なんでず。神さまなんでず!」


 女はハンカチで盛大に「ちーんっ」と鼻をかむと、クロヴィスにしがみつく。


「お願いでず、クロヴィスざま。お嬢ざまをいっじょに探してぐださい」


「わあかったよ。気安くさわんな」


 手を振りはらい着崩れを正すと、クロヴィスはドア口に向かった。


「ほら、行くぞ。お前……ああ、と。名前は?」


 ぐずっと鼻を鳴らすと、女はしゃんと背筋を伸ばした。


「スージーです。アリアさま付きメイドのスザンナ・バウスと申じまず」

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