第2部 前編

第1章(11歳)

第55話 魔術師は危険?

 アリアの誕生日パーティーから二週間後のこと。

 

「スージーと一緒に行ったのに」

 馬車のなか。

 向かい合う相手を気づかうアリアに、

「おれだと嫌なのかよ」

 無愛想な反応をよこす叔父クロヴィス。


 快晴の真昼。ふたりは馬車で王城に向かっていた。


 魔術師アスバークがアリアを私邸に招いたのだ。私邸といっても、呼ばれたのは王城内にある彼の研究室と呼ばれている場所だったが、そこに人を招くなど滅多にないことなので、とても名誉なことである。


 招いた名目は、パーティーで失神したアリアの体調回復を診るため、とのことだった。五歳のとき、一度呪いを受けたことがあるアリア。彼女のからだをさらに詳しく診て、後遺症がないかなど、大魔術師自らがケアしてくれるというので、アリアの両親であるマルシャン伯爵夫妻は、是が非でもと喜んだ。


 が、伯爵の弟クロヴィスは、この提案を怪しむ。


 あの日、別れ際にアスバークが見せた魔術に、クロヴィスは警戒心を持った。ジャルディネイラ国の建国主は魔術師であり、王族にはその血が受け継がれていることは理解している。しかし、魔力を持つ者が激減した現在、術を身近にかんじることなく育ったクロヴィスにとって、魔術師も魔術も、不気味な存在でしかない。


 いちおうクロヴィスは、兄夫婦に、アリアをアスバークに会わせるのは止めたほうがいいと反対したのだが、伯爵夫妻は彼の疑念を理解しなかった。アリアの意識を回復させたアスバークを、ふたりはすっかり信頼している。


 だから、パーティーのあとすぐ警備任務のため国境に戻ったものの、訪問日がわかると、アリアが登城するのに合わせて帰郷した。アスバークが何か怪しいことを企んでいるのなら、阻止してやるつもりだ。


 そんな心配性の叔父クロヴィスを、アリアは不思議にながめやるばかりだ。彼女には、なぜクロヴィスが帰郷し、付き添いまでしてくるのか、全く見当がつかない。


 パーティーのあと、夜のうちにコルファと騎士団から数名の騎士を引き連れて国境に戻ったクロヴィス。とかく仕事が忙しいようだったのだが、いきなり、ひとりだけで帰郷したかと思えば、アリアと共にアスバークに会う気満々でいる。


 魔術に関心があるようには見えないが、やはりあの偉大なアスバークの研究室となると、クロヴィスでさえ興味を持つのか、そう思ったものの、仏頂面の彼と馬車のなかふたりだけでいるのは、かなり居心地が悪い。


「ねー、コルファは」


 国境に連れて行ったはずのコルファのようすを問おうとしたアリア。だが、クロヴィスのぎろりとした鋭い視線に、口をぱくんと閉じる。


「あいつが気になるのかよ」


「え、いやー。ちゃんとやってるのかなって。おにいさまひとりだけしか帰ってこなかったし」


「悪かったな、おれだけで」

「そ、そういうわけじゃ」


 アリアはため息が出そうになるのを飲み込む。


 この世界を描いた小説『孤児グレイスの幸福な結婚』。そのなかで最期までアリアに忠実で、彼女の死後、死に追いやったクロヴィスに復讐しようとしたところを、斬首されたコルファ。


 それが現在、クロヴィスはコルファを小姓にしてかわいがり、勤務地まで連れて行くだけでなく、アリアと会わそうともしない。


 コルファはアリアの遊び相手で、ゆくゆくは護衛騎士、アリアの危機には、その身をていして守る人間盾に育つ予定がこのありさまだ。完全にルートが蛇行していると思われるのだが、彼女には抵抗しようがなかった。


(わたしの未来、お先真っ暗では?)


 小説では処刑が待つ未来を、なんとか変更せんと奮闘してきて早六年。


 冷血叔父を溺愛叔父に激変させるどころか、忠臣を奪われているこの状況。同じく忠臣のスージー(小説ではアリアの死後に自害)だけはまだ死守しているが、叔父の色香で彼女も陥落しかねないのだ。


 あのメイドは結構な面食いだ。自分を敬愛しているのも、その愛くるしさによるものが大きいことをアリアはじゅうぶん理解している。


 ここ数年、田舎からお見合いの話がきているらしいが、それを突っぱねて、生涯をアリアに捧げると誓った、愛すべきメイド、スージー。


 その心意気に感謝するものの、彼女がこっそりロマンス小説を読んでいるのを、アリアは知っている。しかも貴族とメイドが身分差の恋を成就させる系のやつだ、アリアの疑念が騒ぐのも当然であろう。


 もういっそ適当に夫をこさえて、夫婦で自分に仕えてくれたほうが安心するのだが、スージーにその気はまったくなく、「結婚はむいてませんわ」が最近よく聞くセリフである。


 そんな現状で、アリアは不安のるつぼにはまっている、……かというと、実はそうでもない。


 アスバークは『時戻し』の術を使い、過去に戻ったという。


 とすると、アリア・マルシャンが処刑される前の平穏な少女期を、いまのアリアは生きているわけだ。


 つまり、この世界は、小説に描かれていたものの、それは『時戻し』の術が行われる前の出来事であって、現在アリアが進もうとしている未来は、誰にも予想できないのではないか。


 アスバークは、誰かの邪魔のせいで、自分の実験が失敗したようなことを話していた。そのせいで、アリアのからだに、丸島ありさの魂が宿った可能性があるのだと。邪魔者が誰なのか、何が目的なのかはわからないが、いまのところ、同じ被害者であるアスバークは、アリア(ありさ)の味方だという。


(でも、魔術かあ)


 この世界に魔術が存在すること、ジャルディネイラ国が、偉大な魔術師が建国した国であることを、アリアは勉強して知っている。そう、この世界に来て学んだ知識なのだ。小説には魔術師は登場しなかった、ただのひとりも。


 小説『孤児グレイスの幸福な結婚』はグレイスが主人公のロマンス小説である。王子ロザリオと出会い結婚するまでを描いた物語だが、そこに魔術が介入してくることはなかった。


 唯一、グレイスとロザリオの息子を暗殺しようとした悪女アリア・マルシャンが、悪魔と契約して、その美貌と引き換えに力を得たと話す場面が出てきたが、そのくだりも、詳しいことは謎のまま、物語は結婚に向けて展開していく。


 だから、ジャルディネイラ王家が魔術師の血を引く一族であることを、アリアはこの世界に来て知った。


 しかし現在のジャルディネイラ国では魔術師たちの数は少なく、その力を目にする機会もあまりない。あらゆる魔道具の影響で生活の質が向上しているようだが、それらは電気やガスと等しいものであって、生活になじみすぎているため、あらためてその存在を意識する場面はないのである。


 アリアが受けた教育でも、魔術に関する知識は歴史書や王家の系譜に関することのみ。世の中には魔力をもって生まれる人間がいるようだが、魔術師になるためにはどうするのか、そもそも魔術とはどういった仕組みなのか、そういったことは秘匿になっていて、貴族であろうとも容易に知ることはできない。


 魔術師が建国した国なのに、魔術は一部の人たちが持つ専売特許。ちまたで手に入る知識など、オカルトまがいの怪しいものばかりだ。


(わたしは魔術に対する抵抗力が少ないみたいだけど)


 アリアは景色をながめながら、髪にゆってある赤いリボンにふれた。アスバークからもらったもので、身につけておくと護符の役割をしてくれるらしい。


 いままで身に危険をかんじた経験はないが(クロヴィスに目力で殺されそうになるのはしょっちゅうだが)、万が一のこともあると聞くと、心配になってくる。


 あの日以来、アリアはずっとリボンを身に着けて過ごしている。眠っているときも、アスバークのように横にたらして編みあげた毛先にリボンを結ぶ。


 周りもアスバークからもらったリボンだと承知しているので、アリアが気に入っているのなら、と何もいわないが、それでも常に身に着けているため、スージーなどは不思議がっていた。


 お守りなの、と伝えているが、同じリボンに執着している姿には心配になるようだ。アリアお嬢さまは赤も似合いますけど、他の色だってお似合いですよ、とリボンのカラーリングを楽しめなくなったのも、彼女は不満なのかもしれないけれど。


 アスバークの言葉を信じ、頼ってみようと思うアリアだが、反面、やはり警戒心は持ちつづけている。


 自分の素性を知る唯一の人物で、この世界でひとりぼっちだった丸島ありさの魂にとっては、よき理解者ではあるものの、それは暗闇で見つけた火のような存在だ。むやみに近づきすぎたら、ひどい目にあうかもしれない。


 わからないことがたくさんある。でも、わかりそうなこともたくさんあって、アスバークは、この世界を描いた小説についても、何か知っているようだった。それらのことが、今日、たくさん聞ける、そう楽しみにしていたのだが。


 アリアは窓からクロヴィスへと視線を移した。クロヴィスは車内で食べるようにと渡されたバスケットを開け、中身を確認している。


 まさか、クロヴィスが付き添いで来るとは思わなかった。これではアスバークと詳しい話ができないかもしれない。彼がうまくクロヴィスを追い出してくれるといいが。どうも、ひと悶着ありそうで不安である。

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