第3章(5歳)
第14話 ミッション2:手紙を出そう!
失策を早々に取り戻したかったアリア。
でもクロヴィスは結局、到着当日に邸宅を去ってしまった。
休暇中、彼がどこに滞在しているかわからない。
打つ手なしで悶々とした日々が続く。
そして休暇が終わり、寄宿学校が再開した頃だ。
クロヴィスから伯爵宛に一通の手紙が届く。
『兄さんへ。あとはよろしく』
短い文言と同封してあったのは請求書の束である。
クロヴィスは休暇中、学友たちと豪遊して回ったらしい。
マルシャン伯爵は怒りもせずに朗らかに言った。
「仲間と楽しくやったらしい。去年のように治安隊の世話にならなくて安心したよ。あいつも成長したな」
「あらそうですか」
伯爵夫人が盛大に鼻を鳴らし、この話は終わった。
◇
アリアは、新たな作戦に着手しようとしていた。
クロヴィスが邸宅に来る日を、のんきに待ってなどいられない。
手紙だ。手紙を寄宿学校に送りつけてやろう!
おにいちゃまへ。
アリーはアップルパイがスキです。おにいちゃまのスキなおやつはなんですか?
いっしょにおやつたべたいです。またうちにきてね。やくそくだよ。
さらに仲良く遊ぶアリアとおにいちゃまの絵も添えてハートマークのスタンプをいっぱい押すとさあ完成。アリアはクロヴィスに手紙を出すよう伯爵に頼んだ。
そしてアリアは返事を待たずせっせと手紙を書く。
毎回絵も同封した。もちろんハートマークいっぱいだ。
しかしアリアが嬉々として五通目を出したところで事件が起こった。
◇
執務室。
机の上に、未開封の手紙が五通並んでいる。
伯爵と執事、そして伯爵夫人が集まり、深刻な表情でそれを見下ろしていた。
「ありえませんわ」
アリアが手紙を書くことにも難色をしめしていた伯爵夫人は怒りに声を震わせる。
未開封の手紙はすべてアリアが書いたものだ。
クロヴィスはその場で捨てず、そっくりそのまま手紙を送り返してきたのである。
「姪っ子が心を込めて書いた手紙を読みもしないなんて。あなた、またあの子がお小遣いをせびってきても絶対にあげてはいけませんよ。この前の請求書だって、無視したらよかったんです」
「うーん……」
弟に甘い伯爵も、今回ばかりは心を痛めていた。
アリアがつたないながら一生懸命に文字を書き、クレヨンを使ってぐりぐりと画用紙に絵を描く様子を、伯爵はそばで見ていたからだ。
『おにいちゃま、よろこんでくれるかしら』
無邪気に自分を見上げ、そうたずねてくる娘に、彼は「もちろん大喜びだ」と請け合った。
それなのにクロヴィスときたら……。
「うむ。あいつにお灸をすえてやろう」
伯爵の言葉に伯爵夫人、そして同席していた執事シェパーデスも安堵する。
が、伯爵がしたことはアリアには何も伝えず、弟の金の無心には多少の減額で対抗しただけだった。
そのささやかな怒りの表明に、クロヴィスは少しも動じなかった。彼はアリアからの手紙は未開封で送り返し、伯爵には請求書を送り、小遣いをせびった。
一方、アリアはクロヴィスから返事が来ていないのを知っていた。
「おにいちゃまから、おへんじあった?」と執事にたずねるたび、彼が悲壮感たっぷりに返事に窮するのを見て「まだか」と納得していたからだ。
でもまさか未開封で送り返されているとは思っていなかった。
だから、がむしゃらに絵を描き、ネタ切れしつつも文字を連ねて手紙を送る。
何通も何通も。
そしてそのすべてが戻って来る。
執務室の机の上には、未開封の手紙がどっさり。
たまりかねた伯爵は、「だしておいてね」とアリアから頼まれた手紙を懐にしまい、寄宿学校には送らず、弟のつもりになって読んでみることにした。
クロヴィスおにいちゃまへ。
アリアは きょうも おにいちゃまのことを すごくすごく かんがえていました。ダイスキとおもいました。
アリアは ゆめのなかで おにいちゃまと ピクニックしました
パパとママもいました。 たのしかったです。またね。
♡♡アリア♡♡
泣ける。伯爵は目元を押さえた。
同封してあった『ピクニックでサンドイッチを食べるおにいちゃまとアリア』の絵を目にした瞬間、思わず備え付けのベルを鳴らして執事シェパーデスを呼んでいた。
「見ろ」
「……なんとまあ」
「このままではいかんと思う」
「さようでごさいますね」
シェパーデスは表面上、誰の味方でもなく個人的な意見など有しておりません、といった平静をつくろっていたが心は伯爵と同じである。彼もむせび泣いていた。
「アリアは返事を待っている」
「その様子でございますね。わたくしにも何度も『お返事はまだ?』と」
「聞くか?」
「聞きます」
「ふむ……シェパーデスよ」
「はい」
「考えてみたんだが」
伯爵は肘をつくと手に顎を乗せ、重々しく言う。
「わたしが代わりに返事を書くのはどうだろう?」
「捏造ですか?」
「代筆だ」
「……さようで」
執事が迷いを見せると、伯爵も不安になってくる。
だから強めに言ってみる。
「代筆だ。クロヴィスの心はよくわかっている。ちょちょっと、な?」
「閣下の弟君ですものね」
「そうだ。だから、ちょちょっと代筆する。問題なかろう」
「ないでしょう……ね?」
執事もゴーサインを出した。
そうして伯爵によるクロヴィス成り代わり計画は決行された。されたのだが即バレした。アリアは五歳だが精神年齢は十八歳。企みは見抜く。
「アリア。ごらん、やっとクロヴィスが返事をよこしたぞ」
伯爵がやけに意気揚々と声をかけてきた時点で怪しいと思った。伯爵の顔には緊張による奇妙な笑みが浮かんでいた。アリアが手紙を開封している時も横に張り付き、ゴクリと生唾を飲んでいる。極めつけは文字だ。
「パパの字だわ」
ドキッ。伯爵の動揺は傍目にも明らかだった。戸口に立っていた執事シェパーデスが心の中で「しっかりなさいませ、旦那さま!」とエールを送るも効果はなかった。
「そ、そそそ、そうかね。兄弟だからな。字は似てくるんだろう。知らなかったよ。そ、そうかあ、文字が似てるかあ、はっはっはっ!!」
乾いた笑い声が虚しい。幼い娘が、「はあああああ」と長い溜息をつくと、伯爵は耐えかねて白状した。すまん。
「あいつは勉強が忙しいんだよ。けっしてアリアを無視してるんじゃないよ?」
「わかってる。ツンデレなのね」
アリアは小声でつぶやく。
それから、「いいの。またおてがみかくだけだから。そうだっ、パパにもかいてあげましょうか?」と愛らしい目をぴかぴかさせた。
伯爵はホロリときて目頭を押さえた。戸口ではシェパーデスもハンカチーフを引っ張り出して顔を背けている。
というわけで、アリアは手紙を三通書いた。
一通目はクロヴィス、二通目は父親のマルシャン伯爵へ。
そして三通目は執事シェパーデスだ。
『シェパデス いつもありがと』
誤字を含んだ短い手紙だったが、シェパーデスのキリリとしたイラストも添えてあった。
「感無量です」
シェパーデスは手紙を家宝にして代々聖遺物として扱うよう遺言をしたためると宣言し、アリアは困惑したが、メイドのスージーは嫉妬で泣き出してしまった。
さて。
アリアはクロヴィスに手紙を出し続けるのをやめなかったが、それだけでは効果がないとわかったので、新たな作戦を追加した。
アリアは伯爵から寄宿学校に勤める教師たちを教えてもらうと、彼らにも手紙を書くことにした。
再び懐に入れられては困るので、手紙はメイドのスージーを買収し(ほっぺにキス)確実に寄宿学校に届くよう手配してもらった。マルシャン家は有力貴族であるだけに、教師陣は無視せず返事を寄こした。中には贈り物をそえてくる相手も。
特にクロヴィスのクラスを担当している教師は熱心で、その熱量に中身は十八歳のアリアは「ロリコン?」と警戒心を抱くも、我が身の安全は伯爵家により保証されていると信じて、その熱量を利用して文通を開始する。
他愛のないやりとりをしただけだが、巧みにクロヴィスの交友関係を探り出す。
そして友人らにも手紙を送り始めた。
そこまでして、やっとクロヴィスが動いた。
どうやら彼の友人がアリアの書いた手紙を見せたのだろう。友人らに送った手紙、そしてアリアが懇意にした教師への手紙もすべてまとめて箱に入って送り返される。だが走り書きのメモも一枚入っていた。
チビへ
これ以上バカな真似をするなら、こちらも真剣に対応を考える。
自分は可愛がられていると思っているのなら、それは大間違いだ。
兄貴たちに泣きついても無駄だ。おれはふざけたやつが大嫌いだ。
いいか、二度とおれに迷惑をかけるな。泣いても許さないからな。
アリアは思う。五歳の姪に送る内容じゃないだろう。
荷物は運よくスージーが受け取っていたので、両親はこのことを知らない。アリアは二人に見つかる前に手紙を燃やすようスージーに指示を出した。
「お嬢さま、本当に旦那さまたちにお伝えしないのですか?」
「うん。ハコのもぜんぶしょぶんして。ママたちをびっくりさせたくないから。あっ、シェパーデスにもヒミツよ。あの人、すぐパパにはなすから」
秘密よ、と指を口に当てて微笑むアリアに、スージーは感銘を受けた。
あんな恐ろしい脅しを受けても、笑って受け流すなんて。
その夜、スージーは里の両親に手紙を書いた。
わたしは生涯を共にしたいと思える方に出会いました。
あの方に一生ついていくつもりです。
これを読んだ両親が、娘に婚約者ができたのだと誤解してひと騒動巻き起こったのだが、それはアリアにはちっとも関係ない出来事である。
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