第3章(5歳)
第14話 怒涛の手紙攻撃
結局、クロヴィスはあの日のうちに邸を出て行き、休暇中にマルシャン邸に顔を見せることはなかった。
そうして寄宿学校に戻った頃合いに、彼から一通の手紙が届く。そこには、こづかいをせびる遠慮のない文言と、借金の請求書が同封してあった。どうやらクロヴィスは友人たちと各地で豪遊したらしい。
マルシャン伯爵は、「治安隊の厄介にはなっていないようだから、いいじゃないか」と請求書片手に笑い、夫人が盛大に鼻を鳴らしてこの話は終わった。
アリアはなんとかクロヴィスの機嫌を取ろうと計画を練っていたのだが、休暇中は彼がどこにいるのかわからず、なにも行動にうつすことができなかった。
だから彼が寄宿学校に戻ると、アリアはさっそく手紙を書いた。『おにいちゃまと遊ぶアリアの絵』もそえてハートマークのスタンプをいっぱい押した。
返事が来る前に、せっせと五通送ったところで、未開封の手紙がまるまる戻ってきた。もちろん宛先不明ではなく、配達料金が不足していたわけでもない。ご丁寧にクロヴィスは捨てもせず、そっくり手紙を送り返してきたのである。
「まあ、なんてこと!」
アリアが手紙を送ることにも難色をしめしていた伯爵夫人は、このことに激怒してくちびるをぷるぷると振るわせた。
「外道だわ。恥知らず。姪っ子が心を込めて書いた手紙を、読みもせずに送ってよこすなんて。あなた、またあの人がおこづかいをねだっても、ぜったいに与えてはなりませんよ」
「ああ、そうだね」
伯爵も我が子のことを思うと、心を痛めていた。アリアがつたない文字を使って一生懸命手紙を書いていたことも、クレヨンを使ってぐりぐりと画用紙に絵を描いていたことも、伯爵はそばで見ていたので知っている。
「おにいちゃま、喜んでくれるかしら」
無邪気に自分を見上げた時のあの笑顔。伯爵は弟をこれほど慕ってくれる娘に、この仕打ちを何と説明したらよいのかわからなかった。
わからなかったので、アリアには何も伝えず、弟のこづかいせびりには、多少の減額で対抗した。ささやかな怒りを示したのだが、弟クロヴィスは、アリアには何もよこさず、伯爵にだけは立てつづけに金の無心をつづける。
アリアは手紙の返事がないことだけ知っていた。まさか丸ごとそのまま返ってきているとは思いもしなかった。
だから、つぎつぎと手紙を送りつづけた。そしてすべて戻ってきていた。
たまりかねた伯爵は、いつしか、「出しておいてね」と頼まれた手紙を、自身の懐にいれ、弟のつもりになって読むようになった。
『クロヴィスおにいちゃまへ
アリアは きょうも おにいちゃまのことを すごくすごく かんがえていました。だいすき と おもいました。
アリアは ゆめのなかで おにいちゃまと ピクニック に いったのよ。
パパとママも いたよ。 たのしかったよ。 また あそぼうね。
アリア・マルシャンより』
泣ける。伯爵は目元を拭った。同封された『ピクニックでサンドイッチを食べるおにいちゃまとアリア』の絵を見たときには、思わず備え付けのベルを鳴らして執事のシェパーデスを呼んでいた。
「このままではアリアが不憫だ」
「さようでごさいますね」
シェパーデスはもちろんこれらの事情を知っている。顔にはどちらの味方でもなく、個人的な意見など有しておりません、といった平静をつくろっていたが、心は伯爵と同じである。彼もむせび泣きたい気分だった。アリアお嬢さま、お目をおさましください! もうあのような悪鬼に関わってはなりませんっ、そう心から思っていた。
伯爵は、「返事はわたしが書いてみようか」と彼に相談してみた。執事は「さようでございますね……」と答えたが迷いを見せている。
「バレはしないだろう、なあ?」
伯爵はたずねた。
「さようでございます、ね?」
執事もゴーサインを出した。
そうして伯爵によるクロヴィス成り代わり計画は決行された。されたのだが、結果はすぐにバレた。アリアはたしかに五歳児だが、精神年齢は十八歳である。
父親の、「アリア。やっとクロヴィスが返事をよこしたぞ」と声をかけてきた時点で、怪しいと思った。彼の顔には緊張による奇妙な笑みが浮かんでいた。アリアが手紙を開封しているときも、横にはりつき、その反応をじろじろとながめていた。極めつけは文字であった。
「パパの字だわ」
ドキッ。マルシャン伯爵の動揺ははた目にも明らかだった。執事シェパーデスがドア口で、しっかりなさいませ、旦那さま! と心の中でエールを送っていたが、効果はなかった。
「そ、そそそ、そうかね。兄弟だからな。字は似てくるんだろう。知らなかったよ。そ、そうかあ」
ははは、ははは、の乾いた笑いが物悲しい。娘の幼いからだから吐き出されたため息のなんと胸にこたえたことか。心臓発作を起こすかと思った。すまん、と伯爵は白状するのも早かった。
「あいつは勉強が忙しいんだよ。けっしてアリアのことをないがしろにしようなんて思っちゃいないよ」
「わかってる。ツンデレなのね」
アリアはぼそりとつぶやく。それから、「いいの。また手紙を出すの。パパにも書いてあげましょうか?」と愛らしい目をぴかぴかさせる。
伯爵はホロリときて目頭を押さえた。ドア口ではシェパーデスもハンカチーフを引っ張り出して顔をそむけている。
アリアは手紙を三通書いた。ひとつめはクロヴィス、ふたつめは父親のマルシャン伯爵へ。そしてみっつめは執事シェパーデスに。
『シェパーデス いつもありがとう。』
短い言葉だったが、シェパーデスのきりっとした姿も描かれていた。シェパーデスはその手紙を家宝にして代々聖遺物として扱うよう言い伝えると誓った。
アリアはクロヴィスに手紙を出しつづけることは止めなかったが、それだけでは効果がないとわかったので、新たな作戦を追加した。アリアは伯爵からクロヴィスが教わっている教師の名前を聞き出すと、彼らにも手紙を送りはじめた。
父親やシェパーデスに頼むと懐にいれかねないと知ったので、アリアはメイドのスージーを買収して(ほっぺにキス)確実に手紙が寄宿学校に届くようにした。さすが上位貴族の令嬢だけに、教師陣も返事を無視することはなく、贈り物をそえてくる相手もいた。
中でもクロヴィスのクラス担当をしている教師は熱心で、その熱量に中身は十八のアリア・マルシャンは警戒心を抱いたが、我が身の安全は保障されていると思ったので、その熱量を利用して文通をはじめた。
他愛のないやりとりをしたが、うまいことクロヴィスの交友関係を探りだして、その友人らにも手紙を送りはじめた。
そうすることで、やっとクロヴィスが動いた。
彼の友人がアリアの書いた手紙を見せたのだろう、その友人らに送った手紙も、またアリアが懇意にしていた教師への手紙(この男はこれまでの手紙を大切に保管していた)までも、すべてまとめて箱に入れて送り返してきた。そして一通、アリアにあてて手紙をよこす。
『チビへ
これ以上バカな真似をするなら、こちらも本気で対応する。自分は可愛がられていると思っているのなら、それは間違いだ。
兄貴や義姉に泣きついても無駄だ。おれは冗談を好かない。いいか、二度とくだらない真似をして、おれに迷惑をかけるんじゃない。
クロヴィス・マルシャン』
この手紙はメイドのスージーが代読してくれたのだが、彼女は途中からブルブルと手を震わせて読むのをやめようとした。アリアは、五歳児に送る内容じゃないだろう、と思いつつも手紙を読み、両親に見つかる前に手紙を燃やすよう指示した。
「お、お嬢さま、よいのですか?」
「うん。箱のやつもぜんぶ暖炉にくべてちょうだいよ、スージー。ママがこのことを知ったら、とってもお怒りになると思うの。よかったわ、届け物を受け取ったのがスージーで。助かっちゃった」
ぺろ、と愛らしく舌を出すアリアに、メイドのスージーはひざまずいてお祈りしたくなった。
なんて寛大なお嬢さまなのだろう。将来きっと偉大なお方になる、いや、すでに偉大なお方だ。
スージーは里の母親に手紙で「わたしは生涯を共にしたいと思える方に出会いました。あの方に一生ついていくつもりです」と書き送った。そして、婚約者が出来たのだと誤解されてひと騒動あったが、それはアリアには関係ない出来事である。
アリアはくじけずに次の作戦に打って出た。父親のマルシャン伯爵が王都に行くときについていき、こっそり抜け出してクロヴィスのいる寄宿学校に侵入したのである。
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