第4話 物語の悪女になっていた件

 内心の焦りはともかく。


 朝になり抜け殻のように大人しくなったアリアお嬢さまに、朝食のパンケーキが運ばれてくる。

 まだ病み上がりのためか、寝間着のままベッドで朝食を食べていいらしい。


 メイドが壁際に数人並び、両親も見守るようにその場から離れず立ち会っている。パンケーキを食べるだけなのだが、一挙手一投足に注目が集まっていた。


 それにしても臨死体験から抜け出すために何ができるだろう。

 無意識な苛立ちから、ありさがパンケーキをフォークでブスブス刺していると、母親の伯爵夫人が耳につく甲高い声を上げた。


「まあっ、どうしましょう。アリアのお口に合わなかったのね」

「えっ!?」

「早くべつの料理を持ってきなさい。フルーツでもいいから」


 伯爵夫人の指示にあたふたするメイドたち。ありさは急いで、「ううん、おいちいよ」ともぐもぐパンケーキを頬張った。


 なんてヒステリックな人なんだろう。娘には甘いが、沸騰しやすく神経質。使用人は大変そうね、とありさは分析する。


 実母はあんな風だっただろうか? 幼くして亡くしたのであまり覚えていない。でも育ての祖母はヒステリックではないが、確かにちょっと怒りっぽかった。夢同様、臨死体験でもそういう過去の記憶が影響してくるものなのだろうか。


 一方、父親の伯爵は温厚で、妻がヒステリックな声を上げてもニコニコしている。ありさと目が合うとウインクまでしてきた。こっちはちょっとだけ、ありさの理想のパパ像っぽい。


 二人ともお人形のようなアリアの両親に相応しく、どちらも美男美女だ。


 伯爵はがっしりした体型の人で軍服っぽい服が良く似合っている。金髪に赤茶色の瞳のハンサムな人だ。夫人のほうはアリアと同じ琥珀色の髪で、切れ長の目は緑色の瞳をしている。感情がすぐ顔に出る人なのだが、それでもほっそりした美人で上品な雰囲気がある。並んでいるとバランスが良くて似合いの夫婦だ。


 パンケーキを完食し、濃厚なオレンジジュースを飲んでいると、従僕が医師の到着を告げた。入ってきたのはペコペコ頭を下げてばかりいる中年の男性で、昨夜見た若い医師とは似ても似つかなかった。


「アリアお嬢さま。気分は悪くないですか?」


 緊張の汗なのかハンカチが手放せなくなっている医師に、ありさは「へーき」と答え、ちらりと夫人に視線をやった。


 伯爵夫人が不満げな顔を隠そうともしておらず、腕を組んで医師をにらみつけているのだ。伯爵が小声で「宮廷医は忙しいんだよ」となだめている。


「だからって首にした医者を呼び戻すなんて。この男はヤブ医者ですよ」

「そこまでじゃないさ。新しい主治医はまだ探せてないんだ。今回だけ辛抱してくれないかな」

「フンッ」


 ありさが聞き耳を立てていると、医師は遠慮がちにひたいに触れてくる。


「お熱はありませんね。起きられるようなら、ちょっと立って歩いてみていただけますか?」


 伯爵夫人がバカにしたように「フンッ」と鼻を鳴らした。それに、びくっとしている医師。すっかり怯えている。


 ありさは苦笑しつつ、素直にベッドから下り、てくてく歩く。医師は「よろしゅうございます」とペコペコし、続けて「屈伸を、こう、ひざを曲げてしゃがむことはできますか」と言った。


 伯爵夫人はいまだ胡散臭そうに医師を見ている。ありさは彼が気の毒になってきた。


「ママぁ、みてー」


 ありさは屈伸をしながら愛嬌たっぷりに微笑んでみせた。この夫人は娘に弱い。「まあ上手よ」と胸に手をやり感に堪えなくなっている。


「元気になったのね、アリア。良かったわ、ママはどれだけ心配したと思う?」

「パパだって心配したんだよ。本当に良かった」


 ニコニコしている伯爵。夫人は「どうなるかと思って」と目元を押さえる。

 このままだとメイドたちまで泣きそうな雰囲気だ。


「あたし、おさんぽ、いきたい!」

「もちろんよ」


 夫人は微笑んだのだが、即座に噛みつく表情で「かまいませんわね?」と医師を見やる。


「は、はい」と震え声の医師。

「陽に当たるのは重要かと存じます。お疲れが出ない程度に……」

「そんなことはわかっています」

 ぴしゃり。と、がらりと声音を変え、

「さあアリアちゃん、お着替えしてお外に出てみましょうね」


 甘ったるい。

 ありさは乳母に手を引かれて寝室を出る。


(ったく。臨死体験中でも空気読んで生きる必要ある?)


 ハア、とため息が出る。


 ——そんな日々が続き。


 ありさはフカフカ絨毯の上でくず折れて床を殴りつけていた。とめどなく涙があふれ出す。


 十日だ。十日、変化のない日々が続けば、いい加減、現実と向き合わなくてはいけなくなる。こんなに長い臨死体験がある? 

 奇跡的に目覚めると信じていた気持ちもすっかりしぼみ枯れていく。


 認めたくない。でも自分は死んだのだ。その可能性が濃厚。

 もちろん、いつか目覚めると信じることはできる。でも、目覚める方法がわからず、ただ待っているだけでは解決しないこともわかった。


 夢だろうと臨死体験だろうと、この現実に向き合っていかなくては。

 受け入れよう。五歳の令嬢人生を!!


 幸いにもアリアは伯爵家の一人娘で、両親から溺愛されている。五歳の年齢からしても何も難しいことを要求されることはない。だからこの世界で生きるのは楽勝と思えた。


 が。

 そうは問屋が卸さない。


 ありさがこの世界に目を向け、アリアとして生きようと決意して間もなく。

 残酷な未来を知ることとなった。


 アリア・マルシャン。この新しい名前に、実は早くから既視感を覚えていた。

 でもそれは「ありさ」と「アリア」の名前が似ているからだろうと思った。


 しかし、『マルシャン伯爵』『ジャルディネイラ王国』『魔術師』『王宮』『皇太子』と入ってくる情報が増えていくにつれて、ありさは血の気が引いていく。


 アリアは五歳にして勉学が進んでいたようで、ありさもその知識を引き継いでおり、難しい文字も読むことができた。


 そのため父親のマルシャン伯爵の書斎で見つけた貴族名鑑などに目を通し、家門や王家の家系図を確かめることが出来たのだが。そこに記載してある名前、特に第六王子の名前を見た瞬間、信じられない可能性に気づいてしまった。


 ここは小説の中の世界だ。タイトルも覚えている。


『孤児グレイスの幸福な結婚』


 ロマンス小説で、祖母の遺品整理をしている中、本棚で見つけた一冊だ。厳格だった祖母に似つかわしくないタイトルに不思議に思い、手に取ってページを開いた。


 内容はロマンス小説にありがちなもの。貧しい孤児だったヒロインが運命の相手と出会い、困難を乗り越え、結婚によるハッピーエンドを迎える。その小説の中に、自分はいる。しかも。


 この物語の主人公はタイトルにあるようにグレイスだ。

 そしてアリアは……。


(わたし、殺される……!!)


 アリア・マルシャンは、グレイスが運命的な恋をする相手、第六王子の妻であり、最期は処刑によって壮絶な死を遂げる悪役だ。


 アリアは、主人公グレイスと相手役である王子との恋路を邪魔する悪妻。小説には華やかな王子妃から民衆に蔑まれる悪女へと転落する様が記されていた。


 気の毒なアリア・マルシャン……かと言えば、そうとも限らない。処刑の運命を迎えるにふさわしい行動をアリアは取り続け、その結果、断罪に遭うのだ。


 そうだ。アリアは不運ではなく誰の目にも悪女に映る人物だった。それなら。


(わたしは今、五歳のアリア。ここから人生を変えられるんじゃない?)


 例え小説の世界に入ったとしても。筋書きは変更できるかもしれない。少なくとも小説と違う善良な人物としてアリアが生きれば、壮絶な死だけは回避できるかもしれない。


 ありさ——いや、五歳のアリアは恐怖心を振り払い、新たな目標を決めた。


(わたしはこの世界で生きていく。そして長生きする!!)


 もしも、ありさが十八歳で死んだというのなら、アリアとしての人生はそれより長く、うんと長く、八十歳は必ず超える。そして幸せに生き、大往生するんだ。

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