第5章(9歳)

第31話 アリアの婚約者

 八歳になれば王子との婚約が決まると思っていたアリアは、誕生日を迎えた日から、いつそのときがくるのかと緊張していた。


 常に張りつめた気持ちでいるわけではないが、両親が「アリア」と真剣な顔をして呼びかけてくるたびに、来たかっ、と気が引き締まるのだ。


 しかし「アリア」のあとにつづいた言葉は、「新しいドレスは何色にする?」や「乗馬のレッスンはもう終わったのか?」で、がくっと拍子抜けするばかり。


 結局、そわそわしっぱなしの一年がすぎ、アリアは九歳になっていた。


(あ、れー? 婚約話は記憶ちがいだったかなあ)


 それとも未来が変わった? アリアは第六王子と結婚しないのだろうか。


 これはいい兆候なのか、それとも……


 新たな不安要素に、アリアが顔をこわばらせていると、


「お嬢さま」


 こそっとスージーが耳打ちしてきた。


 誕生日パーティーも終わって数日経った午後のことである。アリアが歴史書をめくりながら、むずかしい顔をしているのを見つけたスージーは、こそこそとやってきて、声をかけたのだった。

 

 ここ最近、アリアお嬢さまは気鬱なのか表情がすぐれない。ごはんはしっかり食べていらっしゃるけど、ため息ばかりついているし、一点を見つめて眉間にしわをよせていたりする。


 アリアお嬢さま命のメイド、スージーにはこれは何よりも大事件、重要案件、最優先事項、緊急を要する課題だった。


(クロヴィスさまとお会いできないのが寂しいのかしら)


 士官学校に入学したクロヴィスとは、あれから一度も会っていない。誕生日には、ちゃんとプレゼント(地味なポシェット)が送られてきたが、それだけではやはりつまらないのだろう。


(ここは面会の申し込みをすべきかしらね。お忙しいでしょうけど、きっとお会いになってくださるわ!)


 しかし、アリアにそう提案すると、「いいわ。もうすぐ卒業だし」と素気なかった。


「もうすぐって、まだ一年以上ありますよ?」

 びっくりするスージーに、

「一年なんてすぐよ」

 アリアはさらりといってのける。


 九歳にして玄人の目をしているアリアに、スージーは感銘を受けて、あとずさった。その反応にも動じず、アリアは長々とため息をついている。


「はあ。あたし、もしかしたら、とんでもないことをしたかもしれないわ」


「とんでもないことですか?」


 何事かとそばによるスージー。


 アリアは「そうよ」と遠い目をする。窓の外は晴れやかな夏の空が広がっていたが、その目には乾いた空気と落葉する樹木が見えているようだった。


「クロヴィスおにいちゃまを愛すると婚期が遠のくとは思わなかったわ」

「コ、コンキですか」


 こくん、とうなずくアリアに、スージーはおろおろする。


(コンキはあの婚期よね。で、でもあの話は内密にって)


 スージーは伯母のバウス夫人から「ぜったいに話してはいけませんよ」と口止めをうけていた。そのときの、おっかない顔を思い出し、ぶるっと震える。


 おしゃべりなスージーを心配したバウスは、スージーを地下貯蔵庫に呼ぶと、壁際に追い詰め、どんっと手をついて迫った。


「いいですか。アリアお嬢さまのお耳には、ぜったいに入れてはいけません」


 あのときの顔。皮をはがれるかと思った。スージーはホラー小説を好むタイプだったが、あれ以来何を読んでもコメディにしか思えなくなるという弊害が起こっている。


(で、でも、アリアお嬢さまが婚期を気になさっているし)


 一体どういう経緯で九歳のアリアが婚期を気にしはじめたのか不明だが、そこは問題ではない。重要なのはアリアお嬢さまが喜ぶ情報を自分が握っているということだ。


(いいわっ。アリアお嬢さまのお顔が晴れるなら、皮の一枚くらいはがれてもかまやしないのよ)


「お嬢さま」

「え?」


 いつになく真剣な表情のスージーに、上の空だったアリアもぴくんとする。


「わたくし、実はとある極秘情報を得ているんですが」


 と、スージーは暗い顔をする。脳裏に皮はぎの伯母が浮かんだのだ。

 しかし、ぶんっと悪夢を振り払い、脱皮の決意を固める。


「お嬢さまはご結婚なさいます。お相手は……ご勘弁ください。わたしも口に出すのはちょっと」


「へんな相手じゃないわよね」


 口ごもるスージーに、相手は王子じゃないの、とぎょっとしたアリアだったが、


「へ、へんな方では。恐れ多くて」


 スージーが慌てて否定するので、ほっと息をつく。


「すんごいおじさんとか、ロリコン坊ちゃんとかじゃないのね」


 念のために確認すると、スージーは「まさか!」と目が飛び出そうなほど丸くする。


「お嬢さまはマルシャン家のご令嬢ですよ。お相手はよりどりみどりなのに、そんな奇異なお相手を引きあわせるはずありませんよ」


「それならいいの。……ちなみに同い年かしら?」


「なぜ、それを!」


「勘よ」


 さすがアリアお嬢さま。感服しているスージーに、アリアは「そんなに驚くことじゃないわよ」と笑う。


(未来が変わったわけじゃなさそうね)


 アリアはヒヤッとした気持ちを落ちつかせた。どうやら婚約の話はあったようだが、アリアには伝えない方針だったらしい。


(まあ八歳とかだしね。それにまだ会ったこともないし)


 小説では、ロザリオとアリアが初めて会うのは十歳のときだ。第六王子であるロザリオは王城ではなく、母親の故郷で生活しているため、それまで顔を合わす機会もなかったのである。


(どんな子だろ、ロザリオ)


 他の女性を愛し、自分とは離婚する相手とはいえ、結婚はするのだ。げー、とか思うような相手だと、さすがに暗雲垂れこめる。小説から読みとれたのは、真面目で情に厚く、グレイスに対して一途で誠実だったことだ。


(ぶっちゃけ容姿はわかんないのよねー)


 グレイスがロザリオと会ったとき、彼は全身火傷を負い、顔にも重傷を負っていた。瞳は王家の象徴である金色だが、髪の色さえ不明だ。まさか怪我でつるつるになっていたわけではあるまいに。


 わからない。小説はグレイスが主人公だったし、グレイスは王子の身分や容姿ではなく、彼の人柄に惹かれたのだ。それに記されていたのは恋している人物の目でみたロザリオ殿下なので、第三者に彼がどう見えるのか。


 少なくともアリア・マルシャンは彼をコケにしていた。上昇志向の強いアリアにとって王位継承争いから外れているロザリオは価値がなかったからだが、他の要素でも気に食わないところがあったのかもしれない。


「いい人だといいなあ」


 アリアはぽつりとつぶやいた。

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