第34話 悪童コルファ
小説『孤児グレイスの幸福な結婚』に登場する悪女アリア・マルシャンには、最後まで付き従った召使がふたりいた。
ひとりはバウス。もうひとりは、コルファである。
バウスは、アリアが幼少期のときから仕えていた女性で、多くの使用人たちがアリア・マルシャンのわがままな性格に嫌気がさし、短期間で辞めていくなか、ずっと傍らにいた人物として描かれていた。
このバウスが、アリアのばあやであるバウス夫人なのか、アリア付きのメイドスザンナ・バウス――スージーなのか、新生アリアには判断できないのだが、もうひとりのコルファについては、彼女が九歳の春、カーマインが旅立った翌年に、その存在を知ることとなる。
小説では、コルファについて、アリアを崇拝している下男の印象を受ける程度の説明しかない。
素性は不明だが、物語の後半、アリアが離婚した後、修道院に入った頃から外の情報を彼女に伝える人物、手足となって動く人物として活躍しはじめる。
修道院を抜け出す手引きをしたのは、バウスとコルファであり、バウスがアリアの生活面をサポートしていたのなら、コルファは情報収集やさまざまな買収行為に尽力していた。
うす汚くこざかしい男を連想する人物で、アリアはコルファの気を惹くために、主従以上の関係を持ったと疑わせる描写もあった。アリアの死後、バウスは自害したが、コルファは王家とクロヴィスに復讐を誓い、襲撃を計画したところで逮捕され、斬首となる。
最期に「最愛のアリアさま!」と叫んだとされ、非常にねちっこい性格を示している。正直、丸島ありさの魂を持つアリアは、小説のなかで、この人物がいちばん嫌いであった。
この忠実なしもべコルファが、いつ頃からアリアの周辺に登場するのか、小説の知識だけではわからなかったのだが、どうやら彼は、マルシャン家で下働きをしていた少年で、アリアの幼馴染だったようだ。
コルファを邸宅に連れて来たのは、父親のマルシャン伯爵だった。
ある日、彼は立ちよった教会で、相談を受ける。
領内で盗みを働いている悪童がいて住民が困っていたのだが、みなしごだというので、教会で保護した。しかし教会内でも悪さばかりして困っている。
孤児院にやってもいいのだが、他の子に悪影響を与えかねない。十一歳なので、どこかに奉公に出すことも考えたが、誰もほしがらない、とのことであった。
「大人しく床磨きをしているかと思えば、ろうを塗り込んでいたんですよ。すべって危うく頭を打つところでした」
司祭は深いくまを作った顔をして、大きくため息をつく。
「夜も放火するんじゃないかと、おちおち寝てもいられません。誰もが皆神の子ですから、罪を自覚する日がくるとは思いますが」
乾いた笑いを吐き出す司祭に、マルシャン伯爵は快活に笑った。
「なら、うちで預かろう。厩の手伝いでもさせたらいい。見込みがあるなら、騎士団に入れることもできる」
マルシャン家門が有している騎士団は、その紋章から『赤鷲の騎士団』と呼ばれているが、これはマルシャン一族の特徴である赤系の瞳からつけられている。
他の家門が飾りの意味合いが強い騎士団を所有しているのとはちがって、武勇誉れ高い家門だけに、騎士団の実力もジェルディネイラ国を代表するほどの力を持っていた。
団員の多くは家門に属する家の子弟たちだが、有能な人材であるなら、身分を問わず入団させていた。中には名の知れた罪人だった者や、賊だった者、他の家門から抜け、地位や身分を捨てて入団した若者や外国人もいる。
マルシャン家はそれら様々な来歴の団員を抱えておけるだけの財力と、統率力を持っていた。村の悪童をひとり放り込むには都合のいい場所でもあろう。それに、と伯爵は笑いながらつづけた。
「十一ならアリアの遊び相手にちょうどいい。あの子も遊び仲間がほしくなる年頃だからね。いつまでもオオカミ相手じゃかわいそうだ」
というわけで、悪童コルファは司祭館から伯爵の乗る馬車に引っ張り出されて、名誉なことに、伯爵の隣に座ることができた。司祭は、これでやっと安眠できると、ふらふらした足取りで祭壇に向かい感謝を述べた。
こうして、伯爵は新しいおもちゃを手にした子どものように上機嫌で邸宅に戻ったのである。
コルファは目つきがぎょろっとした少年であった。明るい小麦色の髪はぼさぼさの伸びっぱなし、寸足らずのズボンのポケットに手をつっこんで、相手が大人だろうが貴族だろうが、にらみをきかせていばっている。
伯爵夫人イゼルダは夫が子どもを拾って帰ったことにも驚いたが、「アリアの遊び相手にする」との提案に卒倒しかけた。
「バカおっしゃい。アリアの遊び相手にこんな」と、指をさして、小汚いといいかけたところを、イゼルダはぐっと飲みこんだ。「こんな男の子と話が合うわけないでしょう。アリアは大人しい女の子なのよ」
「大丈夫さ。あの子は賢いもの、すぐに仲良くなるさ」
どのあたりが大丈夫で、アリアの賢さがどういう安心材料になるのか謎だったが、邸で働かせることには賛成だったため、イゼルダはまずコルファを風呂に追いやった。彼女自らお湯をぶっかけ、タワシでこすってやる。なんだかんだ不満をいう人だが、けっこう世話好きな夫人なのだ。
コルファは、シラみがたかっていそうな少年だったが、髪を切り、服もさっぱりした上質なものにかえてやると、それなりに見られるようになった。
「あなた十一歳にしては、背が高いのね。文字は読めて?」
背が高くとも、ひょろっとしていて手足ばかり長い体格をしているが、たくさん食べさせて、みっちり鍛えれば、いずれたくましくなるだろう。悪い目つきも、アリアの護衛にするなら、虫よけに良さそうだ。
コルファは司祭館では、何を指図されても抵抗ばかりしていたが、さすがに領主の家では大人しくしていた。それに彼は赤鷲の騎士団に憧れていたので、内心、引き取ってもらえて、ほくほくしていたのだ。
それを表に出すのは、彼のやっかいなプライドのせいで出来なかったが、イゼルダが馬丁に引き合わせず、騎士団長のオーガスに会わせたときには、心臓が飛び出しそうなほど興奮して、顔を真っ赤にしてしまった。
「ねえ、この子を鍛えてやってちょうだいよ。それから他の教育もまかせるわ。文字は読めるみたいなんだけど、字が下手なの。あと礼儀もしこんでね。言葉使いも品がないから、王城に連れ出しても恥ずかしくないようにしてもらいたいのよ」
いずれアリアについて王城に参る機会もあるだろうと、イゼルダはそう口にしたのだが、ついこの間まで、カラスとゴミを漁っていたコルファである。鍛える、の言葉に舞い上がったが、王城とつづいたので、からだがすくみあがってしまった。
「おい小僧」
イゼルダがいなくなると、それまで柔和な態度でいた騎士団長の顔つきがかわった。彼は頬に大きな傷がある大男だった。
「ここでも悪さしやがったら、首の骨をへし折ってやるからな。まずは雑用からだ。厩に行って世話のやり方を習ってこい」
結局、馬丁に引き合わされて馬の世話をすることになったが、コルファのモチベーションは高かった。ここでは食べるものには困らないし、寝るところもちゃんとある。
さすが領主の屋敷だけあって使用人の数は多く、やることも目が回るほどたくさんあって大変だが、ちゃんとお駄賃ももらえた。邸宅には騎士団員達も出入りしていたため、彼らの世話もしなくてはいけない。コルファは朝から晩まで雑用に忙しかった。
コルファは邸を逃げ出そうなどとは一度も思わなかった。マルシャン伯爵の気質のためか、叱責を受けることや、若い団員たちの冗談の標的にはされても、いやがらせなどといった陰湿な被害にあうことはなく、誰もが親切だった。
そうして働くようになって半年経った頃、厩にひとりの女の子が入ってきた。かたわらに白いオオカミを従えている。
「あなたがコルファなの?」
干し草をフォークで積み上げていたコルファは、びっくりして硬直した。この邸宅に住んでいる少女はひとりしかいない。アリアお嬢さまだ。
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