第13話 魔術師アスバークと悪魔ウルウル

 王城には王の居住のほかにも、さまざまな用途の建物が乱立している。長い歴史の中ですでに用途を終え、廃墟にちかくなったものもあれば、新しく建てられる離宮や施設も混在している。


 その昔、偉大な魔術師が大陸に現れ、ジャルディネイラ国の原型を作った。魔術師は奴隷の悪魔たちを率い、領土を拡大、全盛期には大陸のほとんどをジャルディネイラの支配下におちた。


 しかし栄えたものはやがて衰退する。


 偉大な魔術師の死後、後継者たちは悪魔をうまく操ることができず、徐々に領土は減っていき、現在のジェルディネイラ国の国境まで退くことになる。その国境も、年々侵略されつつあり、ここ数年は領土を切り崩す形でなんとか独立をたもち、戦火をまぬがれていた。


 ジャルディネイラが帝国と呼ばれた時代は過去である。しかし、歴史は残っている。ジャルディネイラ王家は、その血に魔術師の偉大さを残し、悪魔を操るといわれている。しかし現在、王族に魔術を扱えるものは存在しない。


 だが国内に魔術師がひとりも存在しないわけではなく、王都を中心にまだ幾人かの魔術師が暮らしている。特に優秀なものは王城に招へいされ、住まいと役職、十分な報酬と地位を得ている。


 その中でも、ジェルディネイラ建国の祖である偉大な魔術師の再来といわれる優秀な魔術師が、現在のジャルディネイラには存在した。国王の信頼もあつく、彼の意見はどの重臣よりも重要視されるという。


 その魔術師だけが複数の悪魔を支配下におくことができた。


 ほとんどの魔術師が悪魔ひとり呼び出すだけで精いっぱい、まして従えるなど命と引き換えにする覚悟がないとできないといわれるほどリスクが高いにもかかわらず、彼はいとも簡単に悪魔を召喚し、日常の雑務をやらせている。


 彼の名は、アスバーク。歳は百をゆうに超えているとされるが、見た目は十代半ばにも満たない少年の姿をしている。その若さは、悪魔のちからとも、彼自身が持つ魔力のせいともいわれているが、真相は不明だ。


 アスバークの居住は、王城の中でも王宮にちかい場所を割り当てられていたが、彼はそこを好まず、いつも古い区画、かつては多くの魔術師たちが魔術の研究に取り組んでいたとされる廃墟に居をかまえていた。


 陽が射さない地下室。ロウソクの灯りだけが灯る場所で、彼は日々研究と称して、さまざまな実験をしている。魔術を使うときもあれば、そうでないときもある。


 この場所の特殊さを示すのは、そこに人間は彼以外いないが、悪魔だけはたくさんいるということだ。


 かつては悪魔を見分けるすべをもつ者はたくさんいたが、現在、悪魔を見てそれが何者であるかわかる人間は数少ない。彼の指示で、悪魔が本来の姿を見せることがあれば、そのときにはじめて気づく者がいるばかりだ。


 それでも、アスバークに仕えているものは悪魔だけであり、人間はひとりもいないとされていた。たとえ姿が幼い子どもでも、美女でも、勇猛な騎士でも、それは仮の姿で、悪魔が化けたものであると。


 ある夜。


 王族や貴族たちが連日行う宴会騒ぎも届かない、この暗くひっそりとした場所に、一羽のカラスが飛んできた。月光を背に、カラスは地面に舞い降りると、二、三飛び跳ね、石造りの壁面の下方、そこにある地下窓をコツコツとくちばしで叩いた。そして窓が開く前に、そのガラスをすり抜けて中へと消えた。


「ご主人さま」


 ビーカーにとろりとした緑色の液体を流し込んでいたアスバークは、声の主を確認することなく、軽くうなずいた。


 いま面白い実験の最中だった。繊細なからだつきに黒いローブは重そうで、白髪の長い髪を横にたらして結んでいる姿は、少年というより少女が実験に興じているようだった。


 それでもその顔にあどけなさはなく、老いをかんじさせぬ顔にも、老獪さがにじんでいる。


 アスバークは緑色の液体が入ったビーカーに手をかざし、何かぶつぶつと呪文を唱えた。すると、緑色の液体が泡立ち、ぽっと煙を吐いたかと思うと、次の瞬間には中に小さな妖精が入っていた。


「やあ、見てごらん、ウルウル。エイティアの髪から妖精が生まれたよ。まあ知性はないから、ただ見かけが似ているだけの虫だがね。あいつに見せたら喜ぶだろうか。最近会話が弾まないとぐちっていたからね」


 ウルウルと呼ばれたカラスは、目をぱちくりさせた。


「あいつとは国王のことで? それとも愛人のほうですか」


 エイティアは王妃の名であった。その王妃に似た妖精がビーカーの中でちょこんと座ってアスバークを見上げている。アスバークは笑いながら、「王のほうさ」と答えて、指をぱちんと鳴らした。ぱっと妖精が消える。


 アスバークは、「まあ、しゃべるようにならないとつまらないだろうね、もうすこし実験をすすめよう」とビーカーを置き、やっとウルウルに目を向けた。


 ウルウルはカラスらしく、くちばしで羽毛の手入れをしていたところだったが、姿勢をただして主人を見上げる。


「ご主人さま。あの者が目覚めました」


「ああ」


 と、アスバークは記憶をたどるようにひたいに手をやると、眉間にしわをよせる。そして、しばらく思考の整理をしていたようだが、


「つまり、彼女が戻ったわけだね?」


 ぱっと笑顔になった。が、ウルウルは横に首をふる。


「彼女ではありません。あの者の姿をした、べつの者です」


「べつの者だと?」

 アスバークは顔をしかめた。

「実験は失敗したということかい? でも『時戻し』の術は成功したじゃないか。王は若返り、皇太子はまだしがない第六王子のままだ」


 ウルウルは、とん、と作業台の上に移動すると、カラスから姿を変えた。それは煙とも闇ともいえる、かたちないもの。実態のない存在がそこに浮遊していた。


「わたしにはわかりかねます、ご主人さま。『時戻し』は成功しましたが、目覚めた者はアリア・マルシャンではありません。べつの何かです」


「困ったな」


 たいして困ったふうもなく、アスバークは頬をかく。苦笑しているが、楽しんでいるようでもあった。


「彼女は怒るだろうね、これで復讐はかなわなくなった」


「どうでしょうか。あの者が代わりに復讐を果たすやもしれません。情緒に問題があるようでしたし」


「情緒に?」


「ええ。泣きわめき、笑ったかと思うと、また泣いておりました」


「ははあ、処刑前のアリアに似ているね。それは本当に彼女じゃないのかい? 一時的に記憶が混乱して戸惑っているだけってことは?」


「においがちがいます。あれは異なる者です」


 断言するウルウルに、アスバークは肩をすくめた。この問題で悪魔と議論する余地はない。彼らがちがうといえば、その通りなのだろう。


 アスバークは「そうか。ひとまず様子をみるよ」と微笑むと、手を左右にゆっくりふった。すると影に似た姿をしていた物体がゆらめきながら消えていく。


 悪魔がいなくなると、部屋の温度がすこしだけ下がった気がした。アスバークは寒いのが苦手だ。悪魔がいるとエネルギーが発せられるのか、わずかだが暖かくなる。


「さて。誰を呼ぼうか。ウルウルは真面目だからな。口達者なのを呼んで、にぎやかにしてもらおうか」


 しばし迷ったあと、アスバークは目を閉じ、空間に召喚用の記号を描いた。指を動かし終わると描いた図形が光を放つ。それを押すように手のひらでさわると、呪文を唱える。つんとする異臭がしたあと、背後に気配がした。


「おれを呼んだ?」


 かわいらしい男の子がいた。アスバークはふふっ、と笑う。


「呼んだよ。どうだい、特製のココアでも飲むかね?」

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