第13話 魔術師アスバークと悪魔ウルウル

 アリアが暮らすジャルディネイラ王国が、まだ帝国と呼ばれていた時代。

 国内には多くの魔術師が存在した。

 市井で生計を営む魔術師もいれば、貴族に仕える魔術師も。

 そして王城には、宮廷魔術師たちの居住区が存在した。


 偉大な魔術師が建国したジャルディネイラは、大陸随一の繁栄を見せたが、しかしそれは過去の話。魔術を扱える者の数はぐんと減り、王城内にあった居住区も廃墟と化している。


 しかし無人かというと、そうではない。

 唯一の宮廷魔術師が、その居住区に今もひとり暮らしている。


 彼の名はアスバーク。

 複数の悪魔を使役できる、現世最強の魔術師だ。

 

 年齢は百を優に超えていると囁かれているが、外見は十代半ばにも満たない少年の姿をしている。その訳は悪魔の力を借りているからとも、彼自身が持つ魔力の影響とも言われているが、真相は不明だ。


 アスバークは宮廷魔術師だが、宮廷に出向くことはない。日夜、魔術の研究と称して家に引きこもり、社交活動は皆無だ。


 でもアスバークの周囲は孤独で静かかというとそうでもないらしい。

 噂によると頻繁に出入りしている複数の人を見かけるとか。

 それは中年の掃除婦だったり黒髪の男の子だったり……。


 しかし人々は知っている。

 あれらはすべて人間を真似ただけの別の存在。

 アスバークが使役する悪魔たちなのだと。


 ある夜。


 王城の片隅。宴会騒ぎも届かない魔術師居住区に、一羽のカラスが飛んでいく。


 月を背にカラスは地上に舞い降りると、カラスは数歩跳びはね、石壁の下方にある明り取り窓をコツコツとくちばしで叩く。

 そして窓が開くのも待たずにガラスをすり抜けて中へと入っていった。


「おい、ご主人様」


 カラスが呼びかける。地下室の中は蝋燭の灯りだけだったが、視認するには十分で、ゆらめく炎の色が部屋中を照らしていた。


 アスバークは透明な実験容器にとろりとした緑色の液体を流し込む作業をしている最中だった。集中している。だからカラスには軽くうなずくだけで声も返さない。


 華奢な体躯には大きすぎる黒色のローブを羽織っている彼は、白髪をサイドで緩く三つ編みして垂らしており、真剣な面持ちで作業しているその横顔は中性的で、少年というより少女のようだ。


 アスバークは液体を注ぎ終えると、容器に片手をかざした。短い呪文を唱える。すると液体が泡立ち、ぽっと緑色の煙を吐く。その瞬間。容器の中には液体ではなく緑色の服を着た妖精が入っていた。


「見ろ、ウルウル。王妃の髪から彼女そっくりの妖精が生まれたよ。あの男に見せたら面白がるかな」


 カラスはきょとんと小首を傾げる。


「あの男とは国王のことか。それともたくさんいる息子のほう?」


 アスバークは「国王陛下のほうさ」と答えると、指をパチンと鳴らした。

 容器の中にいた妖精がいなくなる。


「でも知性がないから、見掛けだけ人間の虫みたいなものさ。喋るようにならないとつまらないだろうね。しかし実験は成功だ、この調子で続けよう」


 空になった容器を作業台に置くと、やっとカラス——ウルウルのほうに目を向ける。ウルウルはくちばしで胸の羽繕いをしていたが、アスバークの視線に気づくと姿勢を正した。


「ご主人さま、あの者が目覚めました」

「あの者……?」


 アスバークはひたいに手をやり、しばらく思考の整理をしていたようだが。


「そうかっ、成功したか! 彼女が戻ってきたんだね?」


 満面の笑みを浮かべる。

 しかしウルウルは首を振った。


「正確には彼女ではありません。あの者の姿をした別の何者か、です」

「さっきあの者が目覚めたと言ったじゃないか」

 アスバークは顔をしかめる。

「実験は失敗? でも『時戻し』の術は成功しただろ。国王は若返り、皇太子ロザリオはまだしがない第六王子のままだ」


 ウルウルは作業台に飛び乗ると、カラスから姿を変えた。煙とも闇とも見える、形のない存在が浮遊する。


「わたしにはわかりかねます、ご主人さま。『時戻し』は成功しましたが、目覚めた者はアリア・マルシャンではありませんでした。まったく別の何者か、です」


「困ったな」


 たいして困った様子もなくアスバークは頬をかく。

 苦笑を浮かべているが楽しんでいるようにも見えた。


「アリアは怒るだろうね。復讐が失敗になった」

「どうでしょうね。偽物が代わりに復讐を果たすかもしれません。情緒に問題があるようでしたし」


「情緒に問題が?」

「大泣きしたかと思うと笑い出し、そうかと思えばまた泣いて」

「それって処刑前のアリアに似てるよね。本当に彼女じゃないのかい?」

「ニオイが違う。あれは別個体の生き物です」


 断言するウルウルにアスバークは肩をすくめる。この問題で悪魔と議論する余地はない。彼らが違うというなら違うのだ。


「そうか。実験は一部失敗ってことかな。だけどまあ、しばらくは様子見しよう。それよりお前、知ってたか? 妖精は髪の毛一本から誕生できる」


「何をまたバカなことを言って」

「お前だって見ただろ、さっきの妖精は——……」


 廃墟だらけの魔術師居住区はひっそりしている。

 でも、アスバークの家だけは今夜も賑やかになりそうだ。

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