第6章(10歳)
第37話 クロヴィスの地雷ポイント
士官学校を卒業したクロヴィスがマルシャン邸に帰って来た。
「おにいちゃま!」
まだ馬車から降りきらないうちに、アリアはクロヴィスに抱きつく。
「なんだ、まだチビだな。もっと大きくなったかと思ったのに」
憎たらしいことを口にするが、クロヴィスの顔は柔和だ。
「大きくなったもんね。それにもっと美人になったでしょ?」
小首をかしげてアピールするが、クロヴィスは肩をすくめるだけ。反応はいまいちだ。それでも、ぽんっと頭を叩いてきた手つきはやわらかく軽い。五年前、アリアが五歳のときに舌を引っこ抜こうとした彼とは比べ物にならないほどの進歩だ。
二十一歳になったクロヴィスは、相変わらず天使のような美貌を放っているが、士官学校を卒業したいま、昔はあった危うげな儚さは抜け、代わりに落ち着きのある凛としたたくましさを身につけていた。からだつきは細いがしなやかな強さがあって、アリアは、ぽぉー、としてしまった。
(不覚だわ。わたしじゃなくて、こいつをぽぉー、とさせたいのに)
アリアも十歳の美少女なのだが、この年齢だと幼女パワーはもう使えない。まあ、そもそもクロヴィスに幼女のポテンシャルが通用していたのか定かではないので、失っても気落ちすることのない戦力かもしれないが。
「おにいちゃま……ううん、おにいさま」
アリアは背伸びする格好でクロヴィスを見上げた。
「いつまで邸に滞在するの? すぐどこかに行く?」
「なんだよ。もう出てってほしいのかよ」
「ちがいます」アリアはぴょこん跳ねてあわてる。
「いつまでアリアといっしょにいてくれるかなって、そう思っただけ。そうだ、おにいさま、ウルウルの芸を見る? なんでもいうことをきくのよ。すごく賢いんだから」
「お前よりも?」
「うん、あたしよ……おにいさま、いじわるになったわね」
いや、この人は昔から意地悪だし、将来もずば抜けた意地の悪さを発揮する才能を秘めているのだけど。アリアは久しぶりにあったクロヴィスに、どう接すればいいのかつかめず、どきまぎしてしまった。
クロヴィスはテラスにつくと、アリアにむかって先に座るように手でうながした。さりげない仕草だったが、アリアは、おおお、エスコートしてくる、と動揺して、ぎくしゃくした動きでイスに腰かける。
その様子を、クロヴィスは、じっと見てから、
「なんかへんだな、お前。前はもっと騒がしくて邪魔くさいやつだったのに」
「じゃ、邪魔くさい」のけぞるアリアに、
「ああ。目障りだった」すまし顔のクロヴィス。
「おにいさまは、アリアのことがお嫌いのようですね」
ハラハラしながら、つんと澄まして見せると、
「だったらどうなんだ」
クロヴィスはあざけるように笑っている。
「ア、アリアとしては、それだとちょっぴり悲しいわ」
「へー、ちょっぴり?」
「ものすごく悲しいわ」
「わざとくさいやつだな」
「本心です」
「どうだか」
「こんくらい。こーんくらい悲しい。胸がぎゅーっとする」
アリアは手をこれでもかと広げて示してから、胸を苦しげに押さえる。
クロヴィスは「ふーん」とたて肘ついて、それを見やるばかり。
「本当に。ぎゅーって。こう、ぎゅうううううって」
「病気じゃねーか」
「ち、ちがうよ」ぶんぶん手を振るアリア。
お茶と菓子を運んできたメイドがふたりを交互に見てから、そそくさと退散する。その顔には、これからバトルが始まるのだろうかとの懸念があった。
しかしクロヴィスはカップに口をつけ、「こっちに滞在するのは半月くらいだと思う。カーマインにも会いにいきたいしな」と視線をあげ、にやっと笑う。
「あいつ、結婚するらしいぜ」
「んなっ、うそっ!」
思わず立ち上がるアリア。
「ほんと。商人の娘だって。挙式は来年らしいけどな」
「へーっ」
たまげた。すとんと座り直し、相手は豪商の娘だろうか、と邪推していると、クロヴィスが「ヨークトルに行く前に、あいつ、うちへよったんだって?」と問うてきた。
「うん。学校やめたっていったとき、すごく驚いたよ。それに商人になるんだってきいて、びっくりしちゃった。あのー、おにいさまも?」
もしかして、ヨークトルに行ってカーマインと商売でもはじめると言い出すのかと戸惑ったが、クロヴィスは「まさか」とすぐに否定する。
「春には国境警備につく予定だからな。その準備もあるし」
クロヴィスはかたちのいいまゆをすっとしかめる。
「雪が降る前にヨークトルに入らないとヤバいからな。実はお前もカーマインに会いたいかと思って、連れて行こうと思ったんだ。でも、お前のママが反対するだろうからやめたよ」
「うー、ヨークトルに行ってみたいけど」
北大陸にあるヨークトル。一年のほとんどが冬という国は、どこかロマンチックで、アリアも興味がある。しかし。
「ダメだろうな」ふっと笑うクロヴィス。
「切符はもう買った。明日出る」
「え」
がたっと音を立てて驚くアリアに、クロヴィスは「やっぱお前、騒がしいな」と顔をしかめる。
「だっておにいさま、半月はここにいるって?」
「だから、ヨークトルから戻ってきたらの話」
ややこしい話し方しないでよね、と心の中だけで毒づくアリア。ごくごくとお茶を飲んで、クッキーをがりっとかじる。
「あれー、今日のクッキーかたい」
よく見るとかたちも不ぞろいで色も悪い。失敗作みたいだ。アリアが、かわいい前歯が欠けるじゃないのよ、とぷんぷんすると、クロヴィスも「焼きすぎだな」といいつつも、クッキーに手を伸ばした。
「あ、これ。お前、はじめて食べる?」
「ん? こんなかたいのはじめてよ。新しい厨房メイドがへましたのかなあ」
「いや、これは」
クロヴィスは、さっと真顔になったが、すぐに笑い出した。
「な、なに?」
クッキーに笑い薬でも入っていたのかと思うほど、爆笑している。
「お前、ひっでーやつだな。なあ、シェパーデスっ」
クロヴィスが呼ぶと、いつぞやのように執事シェパーデスがどこからともなく出現した。
「はい、坊ちゃま」
「これ、作ったのイゼルダ姉さんだよな?」
「は」と、シェパーデスは目を丸くしてから、「少々おまちを」と退く。
「え、どういうこと?」
戸惑うアリアに、クロヴィスはまだ頬をひくひくとさせていた。
「さようでございましたよ」シェパーデスがすぐさま戻り、そう伝えた。
「メイドに確認したところ、こちらの焼き菓子は奥さまの手製だそうでございます。クロヴィスさまがお戻りになると知り、昨日ひさしぶりに趣味に花を咲かせたとか」
「趣味」ぶふっとクロヴィスの笑いツボは過敏である。
「えー、こ、これ。ママが作ったの? いつー? 誘ってくれたらいいのに」
「アリアさまは外に遊びに出ておいででしたから」
「呼んでよぉ」
自分もクロヴィスにお手製のお菓子アピールをすればよかったと悔しがるアリアだったが、ふと、伯爵夫人のきまぐれに首をかしげてしまった。
(……これって仲直りのつもりかな。クロヴィスのこと嫌ってたし)
ちらっとクロヴィスに目をやると、彼はにこにこしながら、カチカチのクッキーをつまみあげて、しげしげと見ている。
そういえば、カーマインが去り際にクッキーの味がどうの、思い出話をしていたな。お、なんだ心温まる展開か、とアリアがクロヴィスに詳しく話を聞こうと前のめりになると、
「アリアは最近、外で遊ぶことが多いのか? ウルウルと?」
クロヴィスがクッキーに目を向けたままいった。機嫌がよさそうで、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。
「うん。ウルウルとコルファとね」
「コルファ?」
ぱっと目があった。アリアは「そうだよ」とにこりと笑い返した。
「いや、コルファってなんだ。新しい犬か?」
「あれ、知らない?」
そういえば伝えてなかっただろうか? 手紙ではいつも、おにいちゃまのことがどれだけ恋しく、どれだけいっしょに遊びたいかを切々とつづっていたので、書きそびれていたのかもしれない。
「コルファは、あたしのともだち。パパが連れて来たの」
ね? とうしろに控えていたシェパーデスに同意を求めると、彼は「さようでございます」と頭を下げる。
「旦那さまが引き取った村の孤児でございまして。現在は騎士団の雑用をさせながら礼儀を教えているところです。アリアお嬢さまはよく彼を従えて暇をつぶされることがありますね」
「うん。良い子よ。明るい小麦色の髪をしていてね」
と、さらにコルファについて説明しようとすると、
ダン、とクロヴィスがテーブルを叩いた。
「そいつ、男か?」
「男? うん、まあ、そうだけど?」
(ん、なんか空気が重く……)
「呼べ」
「は?」執事シェパーデスが問い返す。
「呼べよ、そいつ。コルなんとかやらを」
「コルファだよ」アリアがいうが、
「呼べ!」
承知いたしました、と執事シェパーデスは疾風のように走り去る。
先ほどまで上機嫌だったクロヴィスは、ぶすっとした顔でお茶を飲む。アリアは何が地雷だったのかわらず、やっぱりこの男は危険だと硬直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます