暴かれる本心

 コンラートには全てお見通しだった。

 コンラートは続ける。


「……信じることが怖いのはわかります。だから父上を避けるのも。ですが、母上。これ以上自分に嘘を吐くのはやめてください。またあなたが壊れるところは見たくありません。あなたは父上を愛している。そうでしょう?」

「……違うわ」


 もう、やめて。マインラートには知られたくない。認めるわけにはいかなくて、必死で虚勢を張る。

 だけど、コンラートには通用しない。


「いいえ。あなたは父上を愛しているから愛されないことが辛かった。同じくらい愛して欲しかったから。あなたも僕と同じ。父上が振り向いてくれないから初めからそんな気持ちがなかったとすり替えたのでしょう? 独りよがりだと虚しいですからね」


 コンラートに本心を丸裸にされ、わたくしはもう取り繕うことなんてできなかった。


 涙がこみ上げてきて、滲む視界の向こうにいるコンラートに訴える。


「……だって、仕方がないでしょう……? わたくしは後継を産むために嫁いだ。だけど、クライスラー男爵夫人は望まれて子どもを産んだ。どう思われていたのかは一目瞭然だもの……なのに今更向き合いたい? あっちがダメだったから戻ってくると言われているようなものだわ。ここにいればいるほど惨めになるのよ……もう、いや」


 まるで幼い子どもが駄々をこねているようでみっともない。淑女失格だ。居た堪まれないのに止まらない。感情的になるわたくしとは対照的にコンラートは落ち着いているようだ。コンラートは静かにわたくしに問う。


「ですが、母上。父上が忙しい時にあなたは何をしていましたか?」

「あ……」


 さあっと血の気が引いた。わたくしは自分の罪を忘れていた。コンラートを振り切ってマインラートへの愛まで踏みにじり、わたくしは好きでもないカイと関係を持った。それからは転がり落ちるように別の男性に救いを求めた。


 本当にわたくしは最低だ。自分のことを棚に上げて、人を責める。そんな女が愛されるわけがない。


 そんなわたくしにコンラートは自分の気持ちに素直になって認めるようにと言う。ユーリとの経験からわたくしに教えてくれているのだとは思うけれど、わたくしは頷くことができなかった。


 するとマインラートが言う。


「……私が君を傷つけるからとクライスラー男爵夫人とのことを話さなかったのが悪かったんだな。本当にすまない。彼女とのことは昔のことだと思っている。娘がいたことは私も知らなかったんだ。だが、君に嘘を吐くと余計に信じてもらえないだろうから、正直に話すよ。私は彼女を愛していた。家を捨てることを考えるくらいには」

「……そうでしょうね」


 それを聞いても驚きはしない。わたくしには噂がたったあの頃からわかっていた。マインラートがレーネ様を見る優しい目。その目を自分に向けて欲しいと思いながらも、素直に言えずに目を逸らした。


 だけど、それならわたくしを捨てればよかったのに。そうすればレーネ様と再婚できて、ハーバー準男爵家と縁が結べ、その潤沢な資金でシュトラウスを立て直すことは容易だったはず。


 その疑問をぶつける前にマインラートは苦渋に満ちた声音で続けた。


「だけど、捨てられなかった。家もそうだが、家族を捨てることができなかった。君とコンラートも大切な存在だったんだ。卑怯なことを言っているとは思うが、嘘じゃない」

「それでも、あなたにとってわたくしは家族であって女ではないということでしょう?」


 大切な存在。そう言われて嬉しいのに、どうしても女であることにこだわってしまう自分がいた。


 ──つまらない女。


 グヴィナー伯爵夫人とカイにそう言って嘲笑われたことが忘れられない。母としてコンラートに求められるだけで満足できない自分の欲深さに呆れる。


 だけど、マインラートは何故かそわそわと落ち着かない様子で言い淀む。


「いや、それは子どもの前で言うことでは……」

「へえ。子どもの前では言いにくいようなことを考えていらっしゃるのですね。母上が言えないのなら父上が言ってはどうですか? 今の反応で僕には父上の気持ちがなんとなくわかりましたが」

「……いや、まあ。そうなんだが。それならお前たちは席を外してくれないか?」

「僕らがいなくなると母上は逃げますよ。それでもいいんですか?」


 マインラートとコンラートの間で話が進んで、わたくしは成り行きを見守ることしかできなかった。


 マインラートはコンラートから視線を外すと、真っ直ぐにわたくしを見る。何かを決意したような真剣な表情にわたくしは息をのんだ。


「──私は確かにクライスラー男爵夫人にこだわって君を見ようとしなかった。そして君が心を閉ざして、初めて興味を持ったようなものだ。だから信用されないのもわかっている。だが、君のおかげで彼女を思い出にできたんだ。アイリーン、君が好きだよ」


 聞いてすぐには意味を理解できなかった。それくらいわたくしには信じられないことだったからだろう。目を見開いて固まるわたくしをよそに、コンラートとマインラートは話を続けている。


「好きって……愛している、ではないのですか?」


 コンラートが呆れたように突っ込むと、マインラートは言葉に詰まる。


「うっ……だから言いたくなかったんだ。アイリーンとは始まったばかりなのに、愛しているの方が嘘くさいだろうが」


 それでも言い募るマインラートにコンラートはやれやれと肩を竦める。


「父上は女心をわかっていませんね。母上が愛想を尽かすのもわかります」

「お前だってわかってないだろうが。ユーリに何度も愛想を尽かされそうになったくせに」


 マインラートが話す内容もだけど、目の前の光景も信じられなかった。二人が明るくぽんぽんと言い合っているのだ。ずっと願っていた光景に胸が温かくなって思わず声を立てて笑ってしまった。


 気づいたマインラートはわたくしを見る。マインラートも歳を重ねてあの頃とは姿が変わっているけれど、気持ちもいつのまにか変わっていたらしい。


 人は変わるものだということをわたくしは忘れていたのかもしれない。過去にこだわって今の姿を見ようとしなかったわたくしの心は狭量だった。そのせいであるはずの幸せな未来さえも閉ざそうとしていた。


 わたくしも変わらなければ。


「……わたくしはずっとあなたの姿も見誤っていたのかもしれないわ。わたくしも今のあなたを知りたい……」

「じゃあ……!」


 マインラートは嬉しそうに声を上げる。それがわたくしも嬉しくて恥ずかしくなった。


「……振り回してごめんなさい。だけど、こんなわたくしなんかでいいの……?」


 自信がなくて、恐る恐る問うと、マインラートは顔を顰める。


「なんかと言うのはやめてくれ。君が自分を卑下すると、私もコンラートも傷つくんだ。君は自分が思っているよりも大切に思われているのだから」

「ええ、ありがとう」


 マインラートやコンラートの優しさが心に沁みる。それに黙ってコンラートのしたいようにさせていたユーリも。


 ユーリはきっとコンラートのためにこの場をコンラートに仕切らせたのだろう。コンラートが家族の楔なのだとわからせるために。


 コンラートの中にもわたくしと同じように、自分には価値がないという思いがあると思う。そうじゃないと言葉で何度言っても実感はできないだろう。それくらい心の傷は深いのだ。


 そしてコンラートは後は二人で話し合ってくださいと、ウィルフリードを抱き、ユーリを連れて食堂を出て行こうとした。


「コンラート、ありがとう」


 そんなコンラートに心からの感謝を込めてお礼を言う。ユーリにもお礼を言おうと思ったけれど、彼女は今コンラートを立てて黙っているのだろうから、きっとそれを望んでいないだろう。後でこっそりお礼を言おうと決めたのだった。

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