閑話.望んだものは3(マインラート視点)

 心を閉ざしたアイリーンを含め、四人で生活を始めたものの、度々コンラートと衝突した。これまで相談せずに一人で色々なことを進めてきたせいで三人で協力することになかなか慣れないせいだろう。


 私とコンラートが言い合いになり、ユーリがその仲裁に入るのが日常になっていた。それでも皆が、もういいと背を向けなかったのはそれぞれがアイリーンに罪の意識を感じていたからだろう。私はアイリーンが強いからと放置し、コンラートはアイリーンを追い詰め、ユーリは自分とコンラートの喧嘩にアイリーンを巻き込んだせいで母子のやり直しの機会を奪った、その思いが皮肉にも家族を繋げることになった。


 ただ、ユーリだけはアイリーンが好きだからという理由もあったようだが。


 長年共に生活してきた私やコンラートではなく、嫁いできたばかりのユーリだけだった。アイリーンの本当の姿を知っていて、その上で慕っていたのは。


 ユーリの口からアイリーンの話を聞くたびに、私は信じられない気持ちになった。それはコンラートも同様だったようだ。


 だからこそ、本当のことを知りたいと、私もコンラートもアイリーンに話しかけるようになった。反応はないが、話しかけることがアイリーンの回復に繋がる、そう信じて。


 考えてみれば、こんなにアイリーンと共に過ごすのは初めてではないだろうか。結婚当初から、私は王都、アイリーンとコンラートは領地と、離れて生活することが多かった。


 今は、社交シーズンも終わり、ロクスフォードの再建も目処が立ったから、領地に四人で帰ってきている。アイリーンに変化があるかもしれないからと、寝室も共にしているし、領地を回る役目はコンラートに任せているので、一日のほとんどを共に過ごしていると言っても過言ではないだろう。


 そんな毎日の中で、変化は続いていた。ユーリが妊娠したのだ。二人は喜びながらも、どこか浮かない顔をしていた。ユーリの場合は初めての妊娠で不安なのだとわかったが、コンラートの場合はどうも違うようだった。


 ある晩、コンラートは私の部屋を訪ねてきた。『父親の実感が湧かない。父親になるとはどういう気持ちなのか』。コンラートは来るなり私にそう問うた。


 それを私に聞いてどうするのか。コンラートにしろニーナにしろ、父親の責任を果たせなかった私に対する嫌味かと思った。だが、コンラートはただ私の気持ちが知りたいだけだと言う。


 コンラートもコンラートなりに考えたのだろう。それがわかったから私は実感なんてなかったと、正直な気持ちを話した。すると、コンラートはどこかほっとしたような苦悩しているような複雑な表情を浮かべた。


「僕もです。まだユーリのお腹が膨らんでないので余計に実感が湧かないのですが。だから、ユーリに嬉しいとは言ったものの、嘘を吐いているような気がしてユーリに申し訳ないとも思うんです」


 コンラートが素直に私に弱味を見せるとは思わず私は驚いた。コンラートもこうして私に歩み寄ろうとしているのだ。だが、コンラートは私を憎んでいたのではないだろうか。


 家族から目を逸らし、レーネと関係を持ち、隠し子を作った上に、その尻拭いまでさせた。そんな私のせいでコンラートは母親を失ったというのに。


 私が問うと、コンラートは静かに答えた。


「……憎んではいました。ただ勘違いはしないでください。僕は母上も恨んでいましたから。僕は後継としてしか必要とされていない現実にうんざりしていました。自分が産まれてこなければよかったとも思っていましたよ。あなた方は自分たちのことばかりで、僕の気持ちなんて考えたことはなかったでしょう?」


 確かにそうだ。自分の失敗を元に、これが正しい方法だなんて、何の説明もせずに勝手に決めつけて押し付けて。自分のことで精一杯だったからだなんて、言い訳だ。もう何度目かわからない謝罪の言葉をコンラートに告げる。


「本当にすまなかった……」

「ですが、僕も同じなんです。僕は自分のことばかりであなた方の気持ちなんて考えてなかった。そして、そんな僕の思い込みが母上を傷つけてしまった……僕も謝らなければいけません。申し訳ありませんでした」

「コンラート……」

「僕は今こうしてあなたの代わりを務めるようになって、あなたの大変さを知りました。一人で全てを守ることなんてできないと。それでもあなたは身を削ってやってきた。やり方は間違っていたかもしれませんが、僕はそんなあなたを軽蔑はしません。ですが、もう仕事のために愛人になるようなことはやめてください。母上のためにも」


 ──アイリーンのため。


 それを聞いても、やっぱりどこか腑に落ちなかった。


 ユーリは、アイリーンがずっと私を好きだったと教えてくれた。だが、それなら何故愛人を勧めるようなことを口にしたのか、気持ちを伝えてくれなかったのか、グヴィナー伯爵夫人にレーネ、二人に私を頼むなんて言ったのか。考えても私には理解できない。


 私は知らないのだ。アイリーンのことを何一つ。


 そんなことを考えながらベッドで眠るアイリーンに視線を向け、私は頷く。


「ああ。最初は仕事だからとやっていたんだが、クライスラー男爵夫人とのことがあって私は自棄になっていた。全てがどうでもいいと、身売りすることに抵抗がなくなっていたんだな。とことんまで自分を貶めて夫人に償いたかった」

「それは結局自己満足です。夫人は償いなんて求めていませんし、幸せに暮らしているんです。あなたも自分の幸せを考えてもいいのではないですか? ニーナもあなたを許しているんだし」


 そう言われてニーナから私宛に届いた手紙を思い出す。私のせいで男爵家の娘でいることに罪悪感を抱えながらも、男爵家の娘として嫁いだ娘。恨み言を言われるかと思っていたが、私がいたから自分は生まれたのだと感謝する気持ちが綴られていた。きっと、生まれてきたことに感謝できるくらいに男爵家で愛されてきたのだろう。


 だが、一方でシュトラウス家はバラバラになってしまった。そんな私が幸せを求めていいのかと悩む。


「……お前はいいのか?」

「僕はそれでいいです。憎み続けるのも、恨み続けるのも疲れるんですよ。僕はそれよりもユーリとの幸せを考えたい。だからあなた方とのことも乗り越えたいんです」


 コンラートも過去にこだわっていたのでは幸せな未来を掴めないと思ったのだろう。どこか吹っ切れた表情をしていた。


 子どもの成長は早い。赤ん坊だと思っていたコンラートは悩み、葛藤しながらもこうして前へ進んでいる。そんなコンラートが眩しかった。


 しばらくしてコンラートは部屋を出て行った。私は眠るアイリーンの傍に行き、返事がないとわかっていても話しかけずにいられなかった。


「アイリーン。コンラートはもう大丈夫だ。過去に囚われず、ユーリと共に前に進んでいる。もう家のことは心配ない。だから、ちゃんと話そう」


 私たちは言葉が足りなさ過ぎた。コンラートとユーリのように、話し合うべきだったのだ。


 愛とは呼べないかもしれない。だが、少しずつ私の中でアイリーンへの気持ちは育ち始めた。同情、共感、興味。今はそれだけかもしれない。だからこそ、淑女の仮面の下に隠したアイリーンの本心を知りたい。そこからまた何かが始まる予感がしていた──。

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