閑話.望んだものは2(マインラート視点)

「父上! どうしてそうなるのですか!」


 コンラートは驚いたのか、声が裏返っている。だが、コンラートに何と言われようとも私は曲げるつもりはない。


「私は間違えたんだ。愛する人を苦しめて、切り捨てられなかった妻もこうなった……。

 私にだって罪の意識はある。だからアイリーンと領地に帰って、彼女の面倒を見ることにするよ。それが彼女のためにできることだと思う。そのためには当主という座は邪魔だ。お前は私と仕事をしてきたんだから要領はわかっているだろう?」


 家のためにと、アイリーンはきっと色々なことを我慢してきたのだろう。嫁いできた当初から、この家の財政は厳しかった。わがままも言えず、贅沢もできず、彼女はどんな思いで過ごしてきたのだろうか。


 こうして心を封じ込めるくらいなら、言葉にして欲しかった。そう思う私こそが、彼女をここまで追い込んだのかもしれないというのに。


 これまで夫婦らしい夫婦でなかったのにアイリーンのことを考える私のことを、コンラートは不思議に思ったようだ。ブツブツと文句を言う。


「だからといって……今まで興味も持たなかったくせに、どういう風の吹きまわしなのかと思うよ。僕も母上のこんな姿を見て思うところはあるけど……」

「……切り捨てられなかったくらいには情があるということだ。一緒に大変な時を乗り越えてきた同志のようなものだからな」


 同情に近いのかもしれない。力がなく、落ち目のシュトラウス家当主だと周囲の貴族たちから侮られ見限られた私と、政略のために嫁いできたにもかかわらずブリーゲルから見捨てられたアイリーン。その悔しさを糧に、共に頑張ってくれたアイリーンを簡単に見捨てられるわけがない。


「……あなたはいつも僕には当主として相応しくなれと言っていましたよね。そのあなたがこのざまですか」

「……私には大切な人を守るだけの強さがなかった。自分が味わった後悔をお前には味わって欲しくなかった」

「だったらそう言えばよかったでしょう!? 僕がどんな思いでいたか、あなたにわかりますか? あなたは僕を後継としてしか見ていないし、母上は僕を見ようとすらしなかった。その上、そんなあなたの尻拭いをする羽目にもなった。僕はあなた方の都合のいい道具じゃない!」


 コンラートの怒りももっともだ。私は自分に力がないせいで身売りをし、そんな惨めな姿を見られたくないからとアイリーンとも向き合わなくなった。自分のようにはなって欲しくないからと、ただただコンラートに厳しくしてきた。


 結果、シュトラウスはここまで大きくなった。だが、これが本当に私の望みだったのだろうか。


 私が両親の遺志を継いでシュトラウスを守りたいと思ったのは、そこに暮らす人々や家族の生活を守りたかったからではなかったのか。


 大切なのは物ではなく心。両親はそう言っていた。領地を守ることはできたが、こうして妻は心を無くし、息子には憎まれている。


 私は間違えたのだ。そしてたくさんの罪を犯した。ならば私は償わなければならないだろう。だが、目の前にいるコンラートへの償い方がわからず、私はただ謝ることしかできなかった。


「本当にすまなかった……」


 頭を下げた私に、コンラートは罵倒もせずに走り去っていった。だが、こんな時でも追いかけるべきかわからない。私が追いかけることで、更にコンラートを追い詰めるのではないかと思ったのだ。


 すると、コンラートの後をユーリが追いかけてくれた。それを見て私はほっとした。この二人は大丈夫だと。


 てっきり政略でしか繋がれなかったのかと思っていたが、二人の様子からちゃんと思い合えているのがわかった。


 厳しく接することしかできなかったが、コンラートの幸せを願わなかったことはない。あいつが私のようにならないようにとシュトラウスも立て直した。今ならきっと、あいつが当主になってもユーリと支え合いながらやっていけるだろう。


 だから今こそ私がアイリーンを支えようと思う。心を封じ込めた彼女が、いつ正気に戻るのか、戻れるのかはわからない。だとしてもだ。


 今更かもしれないが、私は知りたかった。淡々とした表情の裏でアイリーンが何を考えていたのかと。


 そう思うのはきっと、コンラートの本心を知ったからだろう。あいつも家のためにと表情を消して私に従ってきた。だが、その裏で私になのか、アイリーンになのか、それともこの家になのかはわからないが、怒りを募らせていた。


 私も結局、自分が作り出した思い込みの中で生きてきたのだ。わかり合おうと努力もしないままで。


 相手の心に踏み込むのは怖い。自分が土足で踏み込まれるのが嫌だからと、踏みとどまってしまう。だが、そこを乗り越えなければいつまで経ってもわかり合えないだろう。私にはそれができなかった。


 しばらくしてユーリと戻ってきたコンラートは憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしていた。


 私に頭を下げて教えを請うコンラート。きっとユーリと話し合ったのだろう。今は揉めている場合ではないと。


 コンラートと話し合った結果、私は隠居はせず、当主の仕事をコンラートと分担することになった。領地の見回りはコンラート、私は屋敷で書類の決済をしながらアイリーンの介助をする。ただ、コンラート、ユーリもアイリーンが心配だから常にではなくてもいいから関わりたいということだった。それには私も異論はない。


 そして、三人でアイリーンを支える生活が始まった──。

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