ついて回る過去

 初めて祝ってもらった誕生日以来、わたくしだけでなく他の皆の誕生日も祝うことに決まった。


 そうやってわたくしを取り巻く状況はいい方に変わっていっている。ただ、マインラートとの関係は大きくは変わっていない。


 好きだと言われたけれど、わたくしはまだ自分の口からマインラートに気持ちを告げていないし、閨事もしていない。一緒のベッドで眠ったのはわたくしが泣き疲れた時だけで、今は同じ部屋の別々のベッドで眠っている。


 だけど、それでほっとするところもある。


 マインラートと最後に閨事をしたのはもう十年以上前だ。あれからお互いに色々なことがあった。


 だから躊躇ちゅうちょしてしまう。あの頃のような若さは自分にはないし、マインラートが関係してきた女性たちと違って魅力がない。


 何より、家族を裏切ってしまった自分を許せずにいる。


 だから、このままでもいいと思いながらも、マインラートはそれでいいのだろうかと不安になる。


 そのことについてマインラートと話し合うことがないまま、また新たな問題が起こるのだった。


 ◇


「奥様、お手紙が届いております」

「わたくしに?」


 昼下がりに、執事が自室へ手紙を持ってきてくれた。こちらにはマインラートか、夫婦の連名宛に届くものが多いので、わたくし一人に宛てられた手紙は珍しい。


 マインラートは今、執務室で書類仕事をしているので、一人でゆっくり読もうと椅子に腰掛けて封筒を確認する。


 何の変哲もないクリーム色の封筒には差出人の名前もない。誰からかと不思議に思いながら手紙を開いて目を疑った。


 『お久しぶりです。お元気でしょうか。最近はお会いする機会もなくなり、心配しておりました。実はわたくし、再婚をいたしました。以前はグヴィナーでしたが、今はクラルヴァインを名乗っております。奥様には今の主人が大変お世話になりましたので、こうしてお礼を申し上げようとペンを取った次第でございます。

 つきましては直接お礼を申したいので、都合のいい日時を教えていただけないでしょうか?

 領地に帰っていらっしゃることも存じておりますので、そちらの領地に滞在させていただいております。

 お返事をお待ちしております』


「フィリーネ・クラルヴァイン……」


 グヴィナー元伯爵夫人はカイと再婚したようで、お礼を言いたいということらしい。だけど、わたくしはこの手紙を言葉通りに受け取ることはできなかった。グヴィナー元伯爵夫人には色々と引っ掻き回されたのだ。彼女が何も企んでいないとは思えなかった。


 嫌な予感がする。


 わたくしは手紙をドレッサーの引き出しに隠すと、再び椅子に腰掛ける。


「……何故今頃になって……」


 思い出したくない過去が蘇って両手で顔を覆う。彼女とカイが二人でわたくしが身を持ち崩すように企んだこと、それにまんまと引っかかって全てを台無しにしてしまったこと──。


 どんなに時間が経ったとしても過去はついて回る。それはレーネ様の時に思い知った。


 それにしてもグヴィナー元伯爵夫人とは。

 彼女はグヴィナー卿との間に子どもができなかったことが原因で離縁になったとは聞いていた。


 そしてカイ。彼は伯爵令息ではあるけれど、三男という立場だ。自分で身を立てなければならないのに、未だに実家にいてすねをかじっていると聞いた。


 そんな二人が一緒になって、何を考えているのかがわからない。


 マインラートに相談するべきか悩む。


 だけど、カイと関係を持っていた過去をほじくり返したくないという気持ちもあった。


 そのまましばらく考えているうちに時間が経っていたようだ。話しかけられてようやく気がついた。


「……リーン、アイリーン?」

「……呼びましたか?」


 いつのまにかマインラートが戻ってきていたようだ。手紙を隠しておいてよかった。見つかったらマインラートがどう思うのかが心配だったのだ。


 誤魔化すように笑ったけれど騙されてはくれなかった。マインラートは渋面でわたくしに言う。


「何度呼んでも返事がないから心配したんだ。どうした、何かあったのか?」

「……いいえ」

「本当に?」


 結局わたくしは言えずに目を伏せたけれど、マインラートは疑っているようで、わたくしの顔を覗き込んでくる。


「……ええ、大丈夫です」


 そう言って笑う。笑うしかなかった。


 全てはわたくしの責任だ。わたくし自身が決着をつけるしかないのかもしれない。


 誕生日の時に皆が教えてくれた。わたくしは必要な存在なのだと。その言葉を信じて立ち向かう勇気を持ちたい。


 もちろん会わないという選択肢もあると思う。だけど、その結果もし家族が巻き込まれたら?

 それは嫌だ。


 心配そうに覗き込むマインラートの手を取って握る。


「アイリーン?」

「……いえ、何でもありません」


 こうしているだけで勇気をもらえる。


 手紙には都合のいい日時を教えてくれとあった。それなら場所だって選べるはずだ。人の多いところを選んで会えばいい。それくらいの決定権はわたくしにだってあるはず。


 流されやすいわたくしだから、今の気持ちが萎えないうちに終わらせよう。そう決めて、マインラートがいない隙を狙って、手紙を彼女が指定した場所宛に送ったのだった。

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