悪夢の再来

「少し出かけてもよろしいでしょうか?」


 朝食後に自室に戻り、執事と話していたマインラートにそう尋ねた。


 今日はグヴィナー元伯爵夫人との約束の日だ。場所もこちらが指定しているので、護衛が一人いれば大丈夫だろう。


 マインラートは答える代わりに問い返してきた。


「どこまで行くつもりなんだ? 私も行こうか?」

「ちょっと街まで出かけるだけなので、わたくし一人で大丈夫です」

「だが……」


 渋るマインラートに、更に言い募る。


「体調もよくなりましたし、たまにはあなたも一人の時間が必要でしょう? わたくしが倒れてからずっと傍にいてくださったのですから」

「いや、それは別にいいんだ。それに仕事もあったからずっと一緒というわけではなかったし……やっぱり一緒に行くよ」

「いえ、一人で大丈夫ですから」


 そんなやりとりをしていると、見兼ねたらしい執事がマインラートの傍に行き、何やら耳打ちした。それでマインラートはようやく頷く。


「……わかった。だが、くれぐれも無理はしないでくれよ」

「ええ、ありがとうございます」


 それからわたくしは、時間に間に合うように馬車で指定した場所に向かった。


 ◇


 街の喧騒が懐かしい。しばらくぶりに来たけれど、ここは全く変わっていなかった。石畳に響く馬車の蹄と車輪の音。そして露店で叫ぶ商人たちの声。石畳の灰色の中に色とりどりの洗濯物が干されていて暗さは感じない。


 約束の場所は商店が立ち並ぶ一角にある飲食店だ。ここなら人の往来も多いので目立たないだろう。以前孤児院の視察の際に立ち寄らせてもらったことがあって、店主とは知り合いだった。前もって行く旨を手紙で伝えると、快く了承の返事をくれた。


 扉を開けて中に入ると、すぐに店主が迎えてくれる。


「いらっしゃいませ。お久しぶりです。お元気そうで……」

「ええ、お久しぶり。そちらもお元気そうでよかったわ。それで人と待ち合わせをしているのだけど、お邪魔してもよろしいかしら」

「ええ、もちろんです」


 きょろきょろと見回して目当ての人物を探す。すると一人の女性が立ち上がる。


「こちらですわ。お久しぶりですわね」


 豊満な胸を惜しげもなく見せつけるように胸元の開いたドレスを纏い、嬉しそうに笑う金髪女性。間違いなくフィリーネ様だった。


 だけど、彼女は一人ではなかった。隣の男性も立ち上がる。女性たちにはカッコいいと称されるだろうけれど、わたくしは二度と見たくないと思っていた顔。カイ・クラルヴァインその人だ。


 思わず後ずさった。再婚したというなら二人揃っていてもおかしくはないのかもしれない。だけど、わたくしはその可能性に気がついてなかった。二人の嘲笑が聞こえてくるようで、さあっと血の気が引いた。


「シュトラウス夫人、大丈夫ですか?」


 店主の声ではっと気づく。


「……ええ。ごめんなさい。あまりの懐かしさに気が遠くなったようだわ」


 悪夢の再来に気が遠くなったのだけど、そんなことは言えない。店主のおかげで気をとりなおしたわたくしは二人の元へゆっくりと近づく。


「……お二人ともご無沙汰しております。本日はどのような用件でしょうか?」

「あら、だから手紙に書いた通りですわ。お世話になったお礼と再婚のご挨拶といったところでしょうか。それにしても随分お久しぶりですわね。最後にお会いして三年ほどは経ちましたか」

「ええ、そうですわね……」


 フィリーネ様がグヴィナー伯爵と離縁してそのくらいだろう。フィリーネ様に後継が生まれなかったことで、グヴィナー伯爵は離縁直後に若い後妻を娶ったと聞く。そしてその間に後継も生まれたそうだ。


 フィリーネ様のことはマインラートは何も言っていなかったので知らなかった。昔愛人関係にあったカイと再婚してもおかしくはないのかもしれない。


「ああ、それとご子息がご結婚されたそうでおめでとうございます。何でもお相手の方は名門ロクスフォード伯爵家のご息女だとか」

「ええ。ありがとうございます」


 思い出したかのようにフィリーネ様は手を叩いてお祝いを述べる。本当に彼女はこれだけを言いに来たのだろうか。それに隣にいるカイが笑みを浮かべて黙ったままなのが気持ち悪い。


「用件がそれだけなら、わたくしはそろそろ……」


 考え過ぎだったのかもしれないと踵を返そうとすると、フィリーネ様が後ろから言った。


「そういえばレーネ様のご息女も同じ時期にご結婚されたとか。アイリーン様もご存知でしたの?」


 何故ここでレーネ様が出てくるのかわからないけれど、振り向いて答える。


「ええ、存じております。それがどうかなさったのですか?」

「いえ、なんだか昔を思い出しまして。レーネ様もご結婚される時、短期間で結婚されてすぐにクライスラー男爵領に行かれたでしょう? レーネ様のご息女は、婚約期間もそこそこに婚家の領地に行かれたので血は争えないと思いまして。それに、わたくしはあなたのご子息とレーネ様のご息女が結婚すると思っておりましたの。不思議ですわね」


 笑顔を浮かべてフィリーネ様は首を傾げる。


 ──まさか。


 彼女はレーネ様の娘の本当の父親がマインラートだと気付いているのかもしれない。だけど、コンラートが必死になって守ろうとした秘密だ。わたくしが漏らすわけにはいかない。


 わたくしも気づかない振りで、笑って答える。


「そうですわね。縁というものはどこで繋がっているのかわかりませんから。結局息子とレーネ様のご息女とは縁がなかった、そういうことなのでしょうね」

「ふふふ……ですが、マインラートとレーネ様は縁があった上に、余程相性がよかったのでしょうね。そうでなければ子どもも生まれないのではなくて?」


 ──間違いない。彼女は知っていて、その上、確信しているのだ。


 行儀が悪いとは思うけれど、舌打ちをしたくなる。よりにもよってタチが悪い方に勘付かれたものだ。この方はわたくしをいたぶるためなら手段を選ばない。わたくしはこの方にそんなに酷いことをしたのだろうか。


「……意味がわかりませんわね。挨拶だけでしたらこれでわたくしは失礼いたしますわ」

「まあ、ここではお話しにくいですわよね。でしたら場所を変えませんこと? わたくしたちが泊まっている宿の一室でしたら人に聞かれる心配もありませんし」


 フィリーネ様は勝ち誇ったように笑う。

 最初からこれが目的だったのだ。わたくしが警戒することをわかった上で断れない状況を作り、自分の領域に引き込んで自分が優位に立てるようにする。わたくしが一人で来ることも全て織り込み済みなのだ。


 わたくしはまた間違えたのかもしれない。だけどすぐに諦めたりはしない。真実が明るみに出ることで傷つく人がたくさんいるのだから。


「……それでしたら一度屋敷に戻ってきてもいいでしょうか? 家族が心配いたしますので」

「あら? あなたに心配する家族なんていらしたかしら?」


 フィリーネ様はわざとらしく驚く。だけどわたくしは以前とは違う。そんな言葉に惑わされたりはしない。家族がわたくしを思ってくれていると知っているし、みんなを信じている。


「ええ。ありがたいことに夫も息子も嫁も心配してくれまして」

「……へえ、そうなのですね。ですが、ダメだと言ったらどうなさるの? わたくしは証拠を握っていますのよ?」

「何の証拠でしょうか? 全く覚えがないものを握っているとおっしゃられても困惑するだけですわ」


 コンラートはこんな風に脅迫されることがないように、全ての証拠をかき集めてクライスラー男爵家に渡したと言っていた。だからきっと彼女のハッタリだ、そう思っていたのだけど──。


 彼女は一枚の紙を取り出して笑う。


「実はこんなものを手に入れました。これには面白いことが書かれてあるのですが……差出人はニーナ・テイラー、つまりレーネ様のご息女、宛先はマインラート。これだけでも察することができるでしょう?」

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