誕生日

 それからは焦る必要がなくなったこともあって、穏やかに時間は流れていった。


 マインラートだけでなく、コンラートやユーリ、ウィルフリードもちょくちょく会いに来てくれるので寂しいと思う暇もない。


 そして二ヶ月ほど経ったある日のこと──。


 ◇


「母上、お加減はいかがですか?」


 今朝は朝早くからコンラートとユーリが部屋を訪ねてきた。その後ろにはメイドに抱かれたウィルフリードもいる。珍しいこともあるものだ。体が回復した今では朝食を皆で取るようになっている。この後も会えるのにと不思議だった。


 コンラートとユーリは後ろ手に何かを隠して近づいてくる。ふと隣にいるマインラートを見ると満面の笑みを浮かべていた。


「……体調はいいけれど、どうしたの?」


 皆の反応が理解できずに困惑していると、コンラートが隠していた両手を前に出す。その手の中には銀色で薔薇を象った綺麗なブローチがあった。思わずコンラートの顔を見ると、どこか照れ臭そうに目を逸らされた。


「受け取っていただけますか?」

「え? ええ。だけど、どうして……」


 もらう理由がなくて受け取っていいのかと悩む。助けを求めるようにマインラートを見ると、コンラートがマインラートに言う。


「……父上、やっぱり母上は忘れているようですね」

「やっぱりそうか。そうだとは思ったが」


 二人は揃ってわたくしを見る。首を傾げるとマインラートが笑顔で言った。


「誕生日おめでとう、アイリーン」

「え?」

「母上、おめでとうございます」

「お義母様、おめでとうございます」


 コンラート、ユーリと順番にお祝いを言われて気がついた。もう思い出すこともなくなっていた自分の誕生日だと。


 しばらく呆けていたけれど、ふと疑問が湧いた。


「どうして、知っているの? 誰にも言ってなかったのに……」

「父上が調べたんですよ。母上に聞く方が早いと言ったんですが、父上がそれだと面白くないと言うから」


 コンラートの言葉にマインラートを見ると、マインラートはいたずらに成功した子どものように笑う。


「前もってわかっていたら驚いてくれないだろう?」

「だから、これは誕生日の贈り物です。受け取ってください」


 コンラートはわたくしの手の中にブローチを押し込み、握らせた。きっとコンラートはこれを渡す時に緊張していたに違いない。ブローチはほんのりと温かくて汗ばんでいた。その気持ちが嬉しくて、ブローチを更に握り込んでコンラートにお礼を言う。


「ありがとう、コンラート。すごく嬉しいわ。大切にするわね……」

「それじゃあ、お義母様。これは私からです」


 コンラートの後ろからユーリが出てきて渡してくれたのは手作りのリースだった。月桂樹の葉で編み込まれたリースには赤色のリボンが巻きつけてあって可愛い。


「これ、もしかしてユーリが作ったの?」

「ええ。素人で恥ずかしいのですが、ロクスフォードの領地にいた時に習ったもので。もっといいものを送れればよかったのですが」


 ユーリは申し訳なさそうに言うけれど、そんなことはない。手作りだからこそ気持ちがこもっていて、それもまた嬉しかった。


「いいえ、とても素敵。本当にありがとう。大切にするわ」


 二人の気遣いに泣きそうだった。そこでコンラートがマインラートに振る。


「それで父上は?」

「私からは……アイリーン、左手を出してくれ」

「え? ええ」


 不思議に思いながらも左手を出すと、マインラートは薬指から結婚指輪を抜き取った。当時はお金がなくて、安物ですまないと言ってマインラートがくれたものだ。


「それは……!」


 どんなに大変な時も一緒に過ごしてきた大切な指輪。捨てられるのではないかと思い、焦って手を伸ばすと、マインラートは抜き取った手とは反対の手で同じ位置に別の指輪をはめた。


「ちゃんと返すが、こっちも受け取って欲しい」


 はめられた指輪は銀だろうか。あまり装飾がない分、きらきらと眩い輝きを放っている。


「どうして……」

「いや、あの頃は贅沢ができなくて、結婚指輪も大したものをあげられなかったから。今頃気づくのも情けないな」


 そう言いながら、古い指輪も返してくれた。


「色々と我慢ばかりさせてすまなかった」

「そんなの……気にしなくても……」

「いや、気にするよ。君の誕生日だから何をあげればいいか、すごく悩んだ。これまで君にちゃんとした贈り物をしたことがなかったし、君の好きな物さえ知らない。本当に私は気のきかない夫ですまない」


 マインラートはそう言って頭を下げる。そんなこと気にしたこともなかったのに、謝られるとどうしていいかわからない。


「頭を上げてください。本当に気にしていませんから」

「それはそれできついんだが……」


 マインラートは苦笑するけれど、そうして気にしてくれるだけで充分嬉しい。


「本当に……ありがとうございます」


 我慢していたのに視界がぼやける。


 これまで誕生日なんて祝ってもらったことがなかったし、祝ってもらいたいと思ったこともなかった。


 生まれてこなければよかったとさえ思っていたわたくしにとっては、誕生日は一番嫌いな日だった。


 だけど、これまでの誕生日を忘れさせてくれるくらいに、幸せな気持ちで満たされる。


 その反面、その幸せを素直に享受できないわたくしがいる。


 わたくしはマインラートやコンラートのために何かをしたことがあっただろうか。いつも迷惑ばかりで、負担にしかなっていない。後ろめたい気持ちと申し訳ない気持ちが常にあった。


「……申し訳、ありません」

「何故謝るんだ?」


 マインラートは怪訝な顔をしている。その顔を真っ直ぐに見られなくて目を伏せた。


「……わたくしは迷惑しかかけていません。こうして祝っていただく資格がありません……」

「アイリーン……」


 マインラートは顔を顰めた。


 ──叱られる。


 思わず首を竦めると、マインラートはすぐに表情を緩めて笑顔を浮かべた。


「そんなことはないんだ。君はこの家のためにずっと頑張ってくれただろう?」


 ──違う。わたくしは何もできなかった。


 身動きもできず、ただはらはらと涙が溢れる。こんなことをして同情を引きたいわけじゃない。


 幸せを感じれば感じるほど、無価値な自分には分不相応な気がしてしまう。どうしてこんなに苦しいのかもわからない。


 わたくしの価値は何?

 子爵夫人? それともマインラートの妻でコンラートの母であるということ?


「……わたくしはどうすれば……」


 誰に問いかけるでもない問いが漏れた。だけどそれに答えてくれたのはマインラートだった。


「……資格なんて考えなくていい。ただ、傍にいてくれたらそれだけで私は幸せになれるんだ」

「ええ、母上は母上です。僕は母上という人が知りたいんです」

「そうです。お義母様がいてくださるだけで私は嬉しいです」


 コンラートやユーリもそう言ってくれた。


 これ以上はきっと自分の心の問題だとわかっている。


 結局、わたくしは皆を信じきれていないのだろう。皆が必要としているのはわたくし自身ではないのではないかと。


 わたくしは今もまだ弱いままなのだ。信じる強さが、傷つくことを恐れない勇気が欲しい。


 そんなことを考えさせられた誕生日だった。

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