家族愛と恋愛の違い

「あんな思いって……?」


 抵抗しようにも体に力が入らない。諦めたわたくしは、マインラートにもたれかかったまま問うた。


「こうなる前に何かできたのではないかと悔しかったんだよ。私はいつも失ってから大切なことに気付くんだ。本当に不甲斐ない」


 それはレーネ様のことだろうか。だけど、それは違う。わたくしが間違えさえしなければよかっただけのことなのに。悪いのはマインラートではない。保身に走ったわたくしの方だ。


「……あなたはまだ若いのだから、いくらでもやり直しがきくでしょう? わたくしと別れてからもう一度やり直せばいいのです」

「だからもう一度家族をやり直そうと言っているんだろう? ああ、違った。新しい形で始めるんだったな」


 マインラートはコンラートの言っていたことを実行するつもりなのだ。それはもういいというのに。


 わたくしはコンラートとの関係を新しい形で始める気はあってもマインラートとやり直すつもりはなかった。


 マインラートを愛しているから。


 コンラートの母でなく、一人の女として愛して欲しい。だけどそれは過ぎた願いだ。事実、マインラートも家族として新しい形で始めようと言っているではないか。


 マインラートはレーネ様を愛していたはず。それなのにわたくしと夫婦でいようとするのは、わたくしにレーネ様の代わりを求めているのだろうか。だけど、そんなことはできはしない。そんなことをすればお互いに辛くなるだけだろう。


「……もういいのです。義務に縛られなくても。そもそも政略として成り立ってもいない結婚生活を続ける意味なんてないでしょう?」


 わたくしの言葉にマインラートは息を呑んだ。


「……知っていたのか」

「ええ。わたくしはいつ追い出されるのかと思っていました」

「……だから、離縁はしないと言っているだろう」

「……それならわたくしはずっと言い続けるだけですわ。離縁してくださいと」


 ここまで話したけれど、やっぱりまだ長時間話すのは辛い。目眩がして、体から力が抜けた。そんなわたくしに気づいたマインラートは更にわたくしを抱き寄せる。


「……気がついたばかりなんだ。体力だって戻っていない。そんな君をこのまま行かせるわけにはいかないだろう。コンラートだって悲しむ。だから、君の体力が回復してから改めてその話をしよう。それまでは体と心を治すことに専念してくれ」

「……ええ」


 本当に優しい人。その中途半端な優しさが反対に残酷なのだと気づいてもいないのだろう。わたくしに責任なんて感じなくてもいいのに。


 全てはわたくしが招いたことなのだから──。


 しばらくその体勢でいたけれど、わたくしも成人女性でそれなりに重いはずだ。


「……マインラート。本当にもう大丈夫なので、おろしていただけますか?」

「いや、さっきは目眩がしたんだろう? 大丈夫だから、もう少しこのまま休んでいればいい。そろそろ夜が明ける。そうしたら使用人たちに頼んで食事にしよう」

「え? ええ……」


 ここまで強引なマインラートは初めてだ。これまではわたくしが大丈夫だと言ったらすぐに引き下がっていたのに。


 やはり、クライスラー男爵家をめぐる一連のことが影響しているのだろう。そう考えて、わたくしはマインラートに聞いてみた。


「……それで、あなたの娘はどうする気ですか? クライスラー男爵令嬢として嫁いだとはいえ、手続きは面倒でもシュトラウスに籍を変えることはできるでしょう?」

「……そんなことは誰も望んでないだろう。コンラートがあれだけ手を尽くして守ろうとしたんだ。何か問題があれば私は力になるつもりだが、それ以外は関わりを持つつもりはないよ」

「……あなたはそれでよろしいのですか?」


 ニーナ嬢は、マインラートがかつて愛した人との間に生まれた子どもだ。関わりたくないはずがない。わたくしだって、コンラートとの関わり方がわからなかっただけで、ずっと我が子と関わりたいと願っていた。


 だけど一方ではホッとしていた。愛してもいないわたくしとの息子であるコンラートと区別して欲しくなかったから。


 もし、わたくしが修道院に行けば、マインラートはコンラートやユーリと一緒にいることになるだろう。二人が親子としてこれからも仲良くしてくれることがわたくしの願いだ。


「……ああ。私の家族は君とコンラート、ユーリ、ウィルフリードだ。もう間違えないよ」


 わたくしを一番最初に呼んでくれたことが嬉しくもあり、寂しくもあった。結局わたくしは家族としか思われていないのだ。


「……わたくしならいいのです。そのうちにいなくなりますから」

「アイリーン、そんなことは言わないでくれ。その話は君の調子が戻ってからだ。それまでは君も家族だと思っていて欲しい。コンラートを悲しませたくはないからな」

「……ええ」


 コンラートの名前を出されると弱い。目を伏せて頷くしかなかった。


「それじゃあ、そろそろ使用人たちに食事の準備をお願いしてくるよ。君はここで待っていてくれ」

「ええ……」


 マインラートはわたくしをおろしてベッドヘッドにもたれさせると、ベッドから抜け出して部屋の外に出て行った。


 扉が開くと隙間から使用人たちの声が聞こえてきた。ちょうどいい時間だったようだ。


 話しすぎて疲れたわたくしは、後ろ体重で脱力する。自分の体ではないかのように体が重くて思うように動かない。動けていればマインラートから逃げられたのに。


 あんな風に抱きしめられると、自分が愛されているような錯覚に陥りそうで怖い。期待を持ってしまうと裏切られた時に余計に辛く感じる。


 だけど、そうやってわたくしが臆病風を吹かせてマインラートに手を伸ばさなかったから、マインラートは振り向いてくれなかった。


 もしかしたら手を伸ばしていれば届いていて、マインラートはレーネ様を愛さなかったのだろうかとも考えてしまう。全てはもう終わったことなのに。


 閉じた世界から戻ってきた時に、わたくしの心は確かに凪いでいた。歪んだ恋心に終止符を打つ覚悟も決まっていたというのに、マインラートの存在がわたくしの心を揺さぶる。


 わたくしの気持ちをわかっていてやっているのならもうやめて欲しい。


 わたくしはもう、心穏やかに暮らしたいのだ──。

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