彼との距離
その夜もマインラートは遅かったようだ。翌朝、マインラートはわたくしの部屋に来て昨日のことを謝る。
「……昨日はすまなかった。まさか彼女がここに来るとは思わなかったんだ。他人を振り回すのが好きな悪趣味な人だから、君にも迷惑をかけたんじゃないか?」
彼女の人となりをわかったような言葉。わたくしのことは何を考えているかわからないつまらない女だと言っていたくせに。
マインラートと口を利く気にもならなくて、黙ってコンラートを抱いてあやす。
「ははうえ?」
「……なあに?」
コンラートの問いかけには答える。それがわたくしの返事だとわかったらしいマインラートは、溜息を吐くと部屋を出て行った。
静かな部屋に二人きりになると、わたくしはコンラートに話しかける。
「……あなただけはわたくしを愛してくれる?」
「ははうえ?」
好きという言葉はわかっていても、愛するという言葉はまだ難しいらしい。コンラートは不思議そうにわたくしを見ている。
こんな思いをしてもまだ、マインラートを嫌いになれない自分が馬鹿みたいだ。頑張ればいつか分かり合えるなんて甘い考えが捨てきれない。
気持ちは通い合ってはなかったけれど、マインラートは優しかった。その優しさが全て偽りだったとは思いたくない。そうして信じてまた裏切られるというのにわたくしは学ばない。
「……本当にわたくしはつまらない女ね。だからあなたのお父様にも愛されない……もう、領地に帰りましょうか……」
ここにいても役には立たない。マインラートにとってもその方がいいだろう。社交シーズンはまだ終わっていないけれど、マインラートにそう話してみることにした。
◇
「明日、コンラートと共に領地に帰ります」
「急にどうしたんだ?」
まだ出かけていなかったマインラートにそう切り出すと、マインラートは怪訝な顔になった。
「こちらにいてもわたくしは社交を行うわけでもありませんし、領地が心配ですから」
「……やっぱり昨日、彼女が何か言ったんだな。そうでなければ君が急にそんなことを言うはずがない。何があったんだ?」
──それをわたくしに言わせるの?
どこまでわたくしを惨めにすれば気がすむのだろうか。二人で結託してやっているのではないかとさえ思ってしまう。
「……わたくしではなく、あちらに聞いてはいかがですか?」
わたくしのことよりも、あちらの人となりをよく知っているようだから。そんな言葉が口をついて出そうだった。
「いや、それは……」
「別にいいのです。わたくしには関係ないことですから」
「そう、か……」
きっぱりと切り捨てたわたくしに、マインラートは顔を歪める。
何故あなたがそんな顔をするの。わたくしたちは
お願いだからこれ以上わたくしを惨めな気持ちにさせないで。そうでないと、弱い自分が顔を出してしまいそうで怖かった。
「……わたくしがこちらにいるせいで、あなたの仕事に支障を来してはいけないので帰ります」
我ながら嫌味だと思う。自分が気になって愛人を連れ込めないだろうから帰ると言っているようなものだ。本当に可愛げのない嫌な女。
マインラートと対峙するたびにわたくしは自分の醜さに気づく。人を好きになるというのは綺麗事では済まないのかもしれない。だったらそんな気持ち、知らなければよかった。
「……どうあっても話してはくれないんだな。わかった。帰ればいい……」
諦めたようにマインラートは目を伏せる。それがどこか傷ついているように見えて胸が痛んだ。
だけど、わたくしにはマインラートの気持ちがわからない。わたくしとは義務で繋がっているだけの関係なのに。
マインラートがわたくしを愛していないことはわかっている。それならどう距離を取ればいいのか。
わたくしを愛していない、血の繋がった家族には関わらないようにするのが正解だったのに、それがマインラートには通じない。どうすればマインラートが喜ぶのか考えていても、空回りするだけだ。
そして、わたくしとコンラートは領地に帰った。だけど、それ以来何故かマインラートの愛人であるグヴィナー伯爵夫人から手紙が届くようになった。
わたくしを気遣うようで、貶める内容ばかり。マインラートが王都で何をしているのかということや、マインラートに別の愛人ができたというようなことだ。
そのマインラートの新しい愛人というのが、今マインラートが通っている準男爵の娘で、美男美女でお似合いだとか。
その上、彼女と結婚していれば
どこまでわたくしを傷つければ彼女の気がすむのかがわからない。それに何故わたくしにこうして手紙を送ってくるのかも。
手紙を読まなければ済む話なのかもしれない。だけど、彼女はシュトラウスの資金源で、機嫌を損ねるわけにいかなかった。
そうして積み重なる悪意にわたくしは徐々に精神的に疲弊していった。マインラートとも事務的な手紙のやり取りしかしなくなり、領地にこもりきりになった。そして、コンラートと二人きりになったことで、わたくしは何としてもコンラートを自分の手で立派に育てようと気負うようになった。
ダメな自分に価値を持たせたいということも心の奥底にはあったのかもしれない。
自分自身が大したことはなくても、コンラートを立派な後継にすることができればあるいは、と。
そんな浅ましい思いがあったから、コンラートを叱るようになった。
そしてわたくしは、自分自身にしてはいけないと戒めていたことをコンラートにしてしまうのだった──。
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