夜会への出席

「次の夜会にはわたくしも出席します。エスコートをお願いしますわ」


 玄関ホールでたまたまマインラートに会って、わたくしはそれだけを告げた。王都に来てからもずっとマインラートとは事務的なやりとりしかしていない。出かける前に見送ることも、もうなくなっていた。


 コンラートもそうだ。乳母に任せて、わたくしはできるだけ関わらないようにしていた。関わるとどうしても愛しさが込み上げてきてしまう。


 わたくしを見て嬉しそうに笑うあの子が愛しい。泣いていたら駆け寄って慰めたい。だけど、あの子がわたくしを拒んだらわたくしは何をするかわからない。それが本当に怖かった。


「ああ。それはいいが、急にどうしたんだ?」


 マインラートは怪訝に尋ねてくる。


「社交もわたくしの仕事でしょう? コンラートには乳母がいますし、そろそろ復帰をしないと」


 本心は違う。暇があるとどうしてもコンラートのことを考えてしまう。忙しさで気を紛らわせたかった。例え、復帰して屈辱が待っていたとしても。


 手ぐすねを引いて待っているグヴィナー伯爵夫人の顔が目に浮かぶ。あの方はきっとわたくしが悔しがる様子を見たいのだろう。目的はわからないけれど。


「……申し訳ありませんが、ここに必要な物を書き出してあります。用意していただけますか?」


 役立たずのくせに物を強請ねだるのかと、我ながら情けなくなる。書き出した物をマインラートに渡すと、いたたまれなくてすぐにその場を後にした。


 ◇


 夜会当日。夜会用ドレスを身にまとい、マインラートと会場へと向かう。マインラートの腕に腕を絡めて仲がよさそうな振りをする。


 久し振りに浴びる注目の視線が痛い。ひょっとしたら噂のせいで注目されているのではないかと勘ぐってしまう。


 ホールに入ると、もうすでにそこここに人が集まってそれぞれが談笑している。その中の一人がわたくしたちの姿を認めて近づいてきた。グヴィナー伯爵夫人だ。


 マインラートは気遣わしげにわたくしを見るけれど、気にしない。何を言われてももう平気だ。わたくしには子爵夫人としての責任があるのだから。


「奥様、お久しぶりです」

「……お久しぶりです」


 にこやかに挨拶をする彼女に挨拶を返すと、周囲の視線が集まる。小声で噂する声も聞こえてきて、思った以上に周囲に知られていることに辟易へきえきする。


「もうお子さんはよろしいの? 貴族には珍しく乳母がいらっしゃらないようでしたけれど」

「雇いました。わたくしにもしなければならないことがありますので」

「ふうん、そうですの……」


 グヴィナー伯爵夫人はすうっと目を細めてわたくしを見る。探るようで面白いものを見るような視線はやっぱり気分が悪い。


 気づいたマインラートが話に割り込む。


「グヴィナー伯爵夫人。あちらでグヴィナー卿がお待ちのようですよ」

「あら」


 グヴィナー卿は興味津々でこちらを見ていた。きっと愛人と本妻が何を話しているのか聞きたいのだろう。妻が寝取られるのが好きという性癖はわたくしには理解できないし、したくもない。


「それでは失礼するわ。また後で」


 グヴィナー伯爵夫人はそう言って去って行った。ほとんど話していないのに妙に疲れた。彼女には次は何を言われるのかと緊張させられる。


「アイリーン、大丈夫か?」

「……ええ。久しぶりで慣れないだけです」

「彼女のことなら気にするな。ああやって人を翻弄するのが好きなんだ」


 マインラートは重い溜息を吐く。元々好きで付き合っているわけではないのは知っていた。今でもその気持ちが変わっていないことにほっとする。


 そこでこちらを見る視線に気づいた。好奇とは違う、どこか切なそうに顔を歪める女性。黒い髪に黒い瞳でグヴィナー伯爵夫人とは違っているけれど綺麗な女性だった。


 わたくしがずっと同じ方向を見ていることに気づいたマインラートも顔をそちらに向ける。横目でマインラートの顔が動いたことに気づいたわたくしがマインラートを見ると、一瞬嬉しそうに笑みを浮かべたけれど、すぐに表情を引き締めた。


 マインラートの様子が気になって、彼女の名前を聞いた。


「……あの方は?」


 マインラートは少し間を置いて口を開いた。


「……レーネ・ハーバー準男爵令嬢だ」


 どこかで聞いたことのある名前だと思った。どこで、と思い出してグヴィナー伯爵夫人の手紙が頭に浮かんだ。


 マインラートの新しい愛人。それが彼女なのだ。


「そう……それならご挨拶をしないと。あなたが通っていらっしゃる方の娘さんでしょう?」

「あ、ああ」


 マインラートはどもりながら頷く。わたくしが二人の関係を知っているとは思っていないのだろう。


 彼女もまたマインラートを助けてくれているのだ。わたくしにはできないことをしてくれている。胸は痛むけれど、シュトラウスのためにお礼を言わなければならないだろう。


 わたくしは彼女に向かって歩き出す。マインラートもわたくしの後をついてくる。そして、青い顔で見返す彼女の前で足を止め、笑顔を作る。


「はじめまして。マインラートの妻、アイリーンと申します。主人がいつもお世話になっております」

「あ……はじめまして。ハーバー準男爵が娘、レーネと申します。こちらこそいつもお世話になっております」


 わたくしがカーテシーをすると、彼女もたどたどしく口上を述べながらカーテシーをする。貴族になって日が浅いと聞いていたけれど、物慣れない様子を見て納得した。


 途端に周囲がまた騒ぎ始める。この様子ではほとんどの人が噂を知っているのかもしれない。


「ここでは目立ちますので、人の少ない場所に移動しましょう」

「おい、アイリーン……」


 マインラートがわたくしを呼ぶ。きっとわたくしがハーバー準男爵令嬢に何をするつもりなのかと心配しているのだろう。


 わたくしが嫌がらせをするような女だとマインラートに思われていることが辛かった。


 悔しい気持ちはあるし、自分が妻なのだと主張したい。だけど、矜持の高さ、マインラートの負担にしかならない後ろめたさがあって、そんなことを言えるわけがない。


 ただ、わたくしは知りたかったのだ。マインラート自身が選んだ女性を。

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