愛される価値
夕方、シュトラウス邸に戻ると、待ち構えていたらしい執事がわたくしを迎えてくれた。期待に満ちた顔で見られると、すごく言いづらくてわたくしは無言で首を振る。
途端に執事が
「……今日のことはマインラートには内緒にしておくように」
「ですが、奥様……」
「お願いだから……それともあなたは、わたくしがいかに役に立たないか、マインラートに思い知らせたいの?」
「滅相もないことです!」
執事は慌てて両手を振り否定する。わたくしはそれに力なく笑うと疲れた足取りで自室へ向かった。
──わたくしは一体何のためにこの家に嫁いだのかしら。
家族に存在を否定され、家同士を繋ぐ役割さえ果たせない。自分がここにいる意味を見出せなくなっていた。
自室のベッドに腰掛けると、溜息が出た。
このままではダメだ。だけど、わたくし自身は無力で、自分に何ができるのかわからない。
解決策が見つからないまま、部屋が暗くなることも気にならないほどじっくり考えていた。
控えめなノックが聞こえて、夕食の時間だと気づいた。それでも立ち上がる気にも、何かを食べる気にもならない。
「……ごめんなさい。今日は何も食べたくないの」
「ですが、奥様……」
心配そうなメイドの声が聞こえる。気持ちは嬉しいけれど、今はそっとしておいて欲しい。
「今日だけよ。明日になればきっと食欲も湧いてくるから……」
「……わかりました。もし、食事を摂られる気になりましたらお申し付けください」
「ええ、ありがとう」
メイドの気遣いが嬉しい。血の繋がった家族よりも他人の方が余程身近に感じるなんて何という皮肉だろう。だけど、このやり取りがわたくしの疲弊した精神を心なしか癒してくれた。
まだ諦めるのは早い。他にも自分にできることがあるはずだ。もう少し足掻いてみよう。そう自分を奮い立たせるのだった。
◇
それからも社交シーズンの間は積極的に社交場へ出かけた。何か家のためになる取っ掛かりが掴めるかもしれないと思ったからだ。
だけど、茶会に夜会にサロン、どれも収穫はないまま社交シーズンは終わってしまった。わたくしとマインラートは失意のまま、王都を後にするしかなかった。
シュトラウス領に行くのは初めてで、本当ならマインラートと楽しく話しながら行きたかった。だけど、ずっと奔走していたマインラートは疲れて口も利かない。それに、わたくしも彼の力になることができない無力感でかける言葉が見つからず黙っていた。
気まずい沈黙に支配されていても、馬車はそんなことはお構いなしで進んで行く。思わず重い溜息が漏れると、マインラートがちらりと視線を寄越した。
「……アイリーン、大丈夫かい?」
「それはこちらの台詞です。あなたはご自分がどんな顔色をしているかわかっていますの?」
「ああ……」
本当に疲れているようで生返事が帰ってくる。疲れているなら横になって眠ればいいのに。わたくしに見栄を張ったところで意味はない。
もどかしい思いで向かいに座っていたマインラートの隣に座りなおすと、彼の腕を引っ張って横に倒し、膝枕をする。
唐突なわたくしの行動にマインラートは面食らっているようだったけれど、そんなのはわたくしに関係ない。
彼の目を隠すように手のひらで覆うと言った。
「どうせ誰も見ていませんわ。眠っていらっしゃらないのでしょう? シュトラウス領に戻ればまた忙しくなるんです。そんな顔色で起きていられると、わたくしが気になって休めませんわ」
我ながら可愛げがない。どうして素直にあなたの体が心配だと言えないのだろう。だからマインラートとの距離だって縮まらないのだ。
「ああ、そうだな……」
手のひらにまつ毛が当たり、マインラートが目を閉じたことがわかった。しばらくそのままでいたら規則正しい呼吸音が聞こえてきて、マインラートが眠ったことに気づく。
そうっと手を外すと、眩しそうに眉を寄せたけれど、起きることはなかった。ほうっと安堵の息が漏れた。
聞こえていないとわかっていて話しかける。
「……役に立たなくてごめんなさい。わたくしに力があれば、あなたはこんなに大変な思いをしなくて済んだのに……」
誰からも必要とされない自分を、マインラートが必要としてくれるはずがない。彼もきっとわたくしに何らかの期待をしたから結婚を申し込んでくれたのだと思う。
わたくしはいつも他人の期待を裏切ってばかりだ。どうすれば期待を裏切らずに済むのだろう。
それに、少しでもわたくし自身が自分に価値があると思えるようになれば、マインラートに気持ちを伝える自信に繋がる気がする。
あなたは誰にも愛されないという弟の言葉は、無価値なあなたは愛されるはずがないということなのだと、わたくしは思っている。
それならば、愛されるように自分に価値を作ればいいのだ。必要とされるように、愛されるように。
だから諦めない。わたくしはまた、折れそうな心をまた奮い立たせた。
◇
そしてシュトラウス領に着いた。ここに来て感じたのは、活気がないということだった。
放棄されたらしい農地は荒れていて、作業をしている農民の姿は少ない。その表情も暗く、それだけで農民たちの生活が厳しいことがうかがえる。
せっかくの街道も舗装しておらず、これでは人も通りたくないだろう。せめてここを整備して人の往来が増えれば、街道使用料なりを徴収できるのではないかなんてことを考えた。
思ったよりも酷い状況に、わたくしは言葉にならなかった。いずれ何とかしなければではない。今対策を講じないとマインラートだけではなく、領民たちの生活に関わるのではないかと不安になるほどだった。
眉を顰めるわたくしを見て、マインラートは申し訳なさそうに謝る。
「私が不甲斐ないばかりに申し訳ない。こんな状況だから、君に贅沢一つさせてやれない」
その言葉にはカチンときた。何故彼が謝るのか、わたくしがそんなに贅沢好きに見えるのか。思わず尖った声で言い返す。
「あなたが謝ることではありません。わたくしに贅沢をさせるよりも、困っている領民たちに心を砕いてくださいませんか?」
マインラートは目を瞬かせると、そうだなと苦笑していた。
そうしてシュトラウス領での生活は、波乱含みで始まったのだった。
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