空回りする行動

 それから数日後、わたくしは実家に行くことにした。もちろんマインラートには内緒だ。ぬか喜びさせてはいけないので、きっちりと援助を取り付けたら報告しようと決めていた。


 早朝にマインラートが出かけたのを確認すると、わたくしも馬車でこっそりと出かける用意をする。


 執事に行き先を聞かれ、誤魔化そうかと悩んだけれど、馭者ぎょしゃや護衛からばれるのも時間の問題だろうと、仕方なく打ち明けた。ただ、マインラートには確約できないから秘密にしておいて欲しいと頼むと、いい報告をお待ちしております、と頷いてくれた。


 馬車に乗り込み、実家までの道程を窓越しに楽しむ。王都ともなれば人の往来も盛んで、露店の熱気もすごい。マインラートが商人に勢いがあると言ったことも頷ける。


 だけど、景色を楽しんでいる場合でもない。これから実家に行って資金援助を頼むのだ。あの人たちと対峙すると思うと気が重い。


 今度は何を言われるのか、暴力を振るわれないか、不安しかない。それでも、マインラートや引いてはシュトラウス家のために、わたくしも覚悟を決めないといけないのだ。思わず体に力が入る。


 しばらくして馬車は実家に着いた。久しぶりというほどでもない実家が、懐かしくも苦く感じる。


 建物の威容が気にいらないわけではない。この屋敷にまつわる思い出が、わたくしに嫌な印象しか与えないのだ。


 前もって来訪を伝えておいたから、断られることなく屋敷の中へと案内される。連れて行かれた応接室で待っていたのは両親だった。


 厳しい表情でわたくしを見る父と、そんな父しか見ていない母。歓迎されていないのは一目瞭然だ。緊張のせいで口の中が乾く。喉に声が貼りついたようで、ヒューヒューという呼吸音しか出てこない。


 そんなわたくしを睥睨して父が重い口を開いた。


「一体何の用だ」


 その一言で体が震える。直接暴力を振るったことはなくても、傍観して笑っていた彼らだ。思わず体が警戒してしまった。怯みそうな気持ちを奮い立たせるように、わたくしはお腹に力を込め、拳を握り締める。


「……突然来て不躾なお願いだとは思いますが、シュトラウス家に資金援助をお願いしたいのです」


 父はわかりやすく眉を寄せる。


「何故だ?」


 まさかそんな返しがくるとは思わず、答えに詰まってしまう。そのせいで用意していた言葉は霧散してしまった。再び言葉を集めながら説明する。


「……今現在シュトラウス家は難しい状況にあります。ですが、解決策がないわけではありません。ただそれには時間がかかりそうなので、その間の繋ぎの資金援助をお願いしたいのです。そうすれば……」

「断る」


 ぴしゃりと言われ、わたくしは思わず前のめりで父の服に手を掛けて取り縋った。


「何故ですか?! 婚家が困っているのに、何故手を差し伸べてはくださらないのですか?!」

「勘違いをするな」


 まるで汚いもののように、父はわたくしの手を勢いよくはたき落とす。はたき落とされた手がビリビリと痺れを伝えるけれど、わたくしは何が起こったのか理解が遅れた。呆然と父を見返すと、蔑む目でわたくしを見ていた。


「お前にそれだけの価値があると思っているのか? 私は以前にも言っただろう。お前は無価値だと。価値のないお前に出すような無駄な金はない。それにしてもシュトラウスも堕ちたものだ。お前のような役立たずを寄越してまで金をせびるとは。お前もいい加減に身の程を知ったらどうだ?」

「そんな……」


 屈辱に涙がこみ上げてくる。どうしてそこまで言われなくてはならないのか。わたくしが一体何をしたと言うのか。


 それでもこの人たちには涙を見せたくはなかった。泣くとまたこれだから女は、と言われるのだ。


 悔しい。何もできない自分がもどかしくて悔しい。


 何か一つでもマインラートのためにできることがあれば、それだけでわたくしは幸せだった。彼の喜ぶ顔が見たいと思ってしたことが、反対に彼の評価を落とす結果になることが悔しい。


「……どうお願いしても、聞いてはいただけないのですね」


 声が震える。そんなわたくしを気に留めず父は不愉快そうに言う。


「くどい。用が済んだらさっさと帰れ」

「……失礼、しました」


 虚脱感で力なく立ち上がると、わたくしはのろのろと頭を下げて応接室を出て行く。


 すると、待ち構えていたかのように弟がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて壁にもたれていた。


「あなたはまだご自分の立場がわかってらっしゃらないのですね。可哀想な方だ。本当に何をしに来たのですか?」


 心底不思議そうな顔が、弟がいかにわたくしを下に見ているかを物語っていた。拒絶された悲しみは次第に怒りへと擦り変わる。目の前が赤く染まるほどの怒りに支配されそうになるのを必死で抑えながら呻く。


「……あなたに何がわかるというの。わたくしはただ、シュトラウスのためにできることをしているだけよ」

「それが思い上がりだと言っているんですよ。あなたに政略としての価値がないから切り捨てられた、それだけの話です。まさか、ご自分が両親に愛されているなんて勘違いはしていませんよね?」

「……」


 そんなのとっくの昔にわかっている。悔しさに血が滲むほど唇を噛み締める。そんなわたくしを満足気に見る弟。


 ──歪んでいる。


 この歪みは両親があからさまにわたくしと弟を差別して育てた弊害だ。姉上と慕ってくれていたあの子はもうどこにもいないのだと、寂寥感に襲われる。


「……もう来るつもりはないわ。それでいいのでしょう?」


 俯いて弟の前を足早に通り過ぎる。弟は今度は何も言わなかった。どんな表情でわたくしを見送っていたのかも見たくもなかった。


 早く独りになって、思いきり泣いてしまいたかった。そうすればきっとまた立ち直れる。そうしてわたくしは待たせていた馬車に乗り込むと、急いでシュトラウス邸に戻ったのだった。

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