彼の突然の帰還
久しぶりに見るマインラートは相変わらず憔悴していた。だけど、どこかピリピリした、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
彼の選択がそういう風に彼を変えてしまったのかと思うと、申し訳なさで彼を直視できなかった。
それに、わたくしの実家へ援助を申し込んだこともだ。手紙には書いてなかったけれど、彼の内心でははらわたが煮えくりかえる思いなのかもしれない。
緊張しながら玄関ホールでコンラートを腕に抱いてマインラートを迎えると、彼はわたくしたちの姿を認めた途端に破顔した。
「……コンラートか。赤ん坊は初めて見るが、小さいな」
「……ええ」
「君も変わりはないか?」
「わたくしなら大丈夫です。それよりもあなたはどうなのですか?」
「ああ……とりあえず当面の資金は調達できそうだ。今商売について色々と学んではいるが、すぐにものになるわけじゃないから、まだしばらくは時間がかかると思う」
──当面の資金。それはきっと条件をのんで手に入れたものなのでしょうね。
ちくりと胸に刺さる棘には気づかない振りをする。表情が変わらないように気をつけて話を変えた。
「それで、急にどうしたのですか? 忙しい中、用がないのに帰ってきたりはなさらないでしょう?」
マインラートは困ったように眉を下げる。
「用がなくては帰ってはいけないのか? 子どもが生まれたんだ。顔を見せないと誰が父親だかわからなくなるだろう?」
「……あなたがそんなことを考えるとは思いませんでした」
そんなことを言いながらも、コンラートを認めてくれることに安堵していた。役立たずのわたくしから生まれた子どもなんていらないと言われるのではないかと心配していたのだ。
マインラートは自嘲するように笑う。
「それは考えるよ。私は当主としても父親としても不甲斐ないからね。君にもあなたの顔は見たくないと言われることも覚悟していたんだ」
「……わたくしがそんなことを言うわけないではないですか」
ここに置いてもらっている立場で、そんな偉そうなことなど言えるわけがない。わたくしこそ、いつ追い出されるのかと戦々恐々としているのに。
だけど、彼は気づいているだろうか。当主として父親としてとは口にしたが、夫としてとは言わなかった。
彼にとってわたくしはどんな存在なのかと、改めて感じて悲しくなった。きっとわたくしが深読みをしているだけだ、そう思いたい。
だけど、父親としてというなら、コンラートと触れ合って欲しい。わたくしはマインラートに聞いてみた。
「コンラートを抱いてみますか?」
「え?」
思いがけない言葉だったのか、目に見えてマインラートは狼狽えた。やがて表情を引き締めると、力強く頷く。
ただ息子を抱くだけで、どうしてそんなに緊張をしているのか、考えるとおかしかった。
強張った彼の腕にコンラートを託すと、コンラートが眉根を寄せる。これは泣く前の予兆だ。それを感じ取ったマインラートが助けを求めるようにわたくしを見る。
「大丈夫よ」
マインラートの腕越しにわたくしがコンラートの背中をトントンと叩くと、きゃっきゃっと弾んだ声を上げる。
「……笑った。赤ん坊とは不思議なものだな。それに意外と重い。この子を君が一人で育てるのは大変ではないのか? 乳母を雇ってもいいんだぞ?」
「いえ、しばらくはわたくしが育てます。資金繰りが上手くいくようになって、あなたのやりたいことが成功した時に考えますわ」
「だが……」
「共にシュトラウスのために頑張ると誓いました。確かに後継の教育も大切なことですが、この子はまだ物心もついていない。お金を使う優先順位を間違えてはいけませんわ」
「……すまない」
マインラートは申し訳なさそうに目を伏せる。だけど、謝らなくてはならないのはわたくしの方だ。
わたくしは実家に一度援助を申し込んだだけで、上手くいかずに諦めてしまった。援助を取り付けるまで何度でも話をするべきだったのではないかと今は思う。
コンラートがもう少し成長して長旅に耐えられるようになれば、一緒に王都に行き、また実家を訪ねてもいいのかもしれない。孫の顔を見せたらもしかして、という淡い期待を持ってしまう。
殴られることも拒否されることも、怖いし辛い。
だけど、守りたいものがあって、そのために自分の身を削っているマインラートを見ていて、自分の弱さから逃げ続けているのは良くないのではと思い始めていた。
「……それで、こちらにはいつまでいらっしゃるのですか?」
これ以上マインラートに謝って欲しくなくて、わざと話を変える。彼は少し考える素振りを見せて、苦笑した。
「ゆっくりしたいのは山々だが、ちょっと人に呼び出されていてね。明日には帰らないといけないんだ」
「……その」
人ってもしかして女性なのか、と思わず口にしかけて口を噤む。追及したところで虚しいだけだというのに、わたくしはまだ未練がましくマインラートに愛人を作って欲しくないと思っている。
「うん?」
不思議そうに首を傾げる彼に、何でもないと無表情で答える。
嫌なことだけど、わたくしは自分の気持ちを隠すことが上手くなった。何でもない振り、気にしない振り、そうしているうちに本心を見失って自分が誰なのかもわからなくなりそうだ。
アイリーンという弱い女を、子爵夫人、妻、母親という肩書きで覆い隠して誰からも見えないようにする。そうすることでしか、自分の存在意義を見出せない。
誰にも愛されない哀れな女。そんな本当のわたくしは誰にも見つけて欲しくないと思う反面、傷ついた自分に気づいて慰めて欲しいなんて、甘ったれた考えに支配されていて醜い。
自分が嫌い。自分が憎い。それ以上に自分を愛してくれない周囲の人々が憎い──。
乖離していく心に、わたくしは少しずつ心のバランスを崩し始めていたのかもしれない。だけど、そこからも目を逸らしてコンラートを愛そうとした。
それが更にわたくしを追い詰めるのだった。
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