彼との対面
そして対面当日。王都にあるブリーゲル邸の応接室に呼ばれたわたくしは、しばらく呆然と目の前にいる美丈夫に見惚れていた。
わたくしよりも頭一つ分ほど背が高く、細身ではあるのだけど弱々しさは感じない体躯。少し癖のある茶髪と同じ色の瞳。その彼がわたくしに向かって笑いかける。
「はじめまして。マインラート・シュトラウスと申します」
意識が別のところにいっていて気付くのが遅れてしまい、慌ててカーテシーをした。
「あ……はじめまして。ブリーゲル子爵が娘、アイリーンと申します」
彼に笑顔で返そうとしても、しばらく笑っていなかったわたくしの顔は強張って笑顔を作ることができなかった。結局いつもの取り澄ましたような淑女顔で答える。
気分を害さないだろうかと不安で彼を見たけれど、彼は気にしていないようだった。わがままだとは思う。だけど、少しは気にして欲しかった。
わたくしに少しでも興味を持ってくれたなら、それが取っ掛かりになって話が弾むかもしれない。そんな自分の心に戸惑った。
会って間もないというのに、わたくしは目の前の彼に恋をしたのだ。一目惚れというものがあるとは聞いていたけれど、まさか自分が体験するとは思わなかった。
わたくしのそんな思考を遮るように、父が口を挟む。
「挨拶はその辺でいいだろう。それよりも……」
「ええ。仕事の話に入りましょうか」
彼は顔を引き締めると父の言葉に頷いた。それが終わりの合図なのだと察したわたくしは、応接室を出ようと入り口に向かう。扉の取っ手に手をかけたところで背後からかけられた言葉に動きが止まった。
「アイリーン嬢。それではまた」
たったそれだけだった。それなのに彼がわたくしの名前を呼んでくれただけで、自分の名前がすごく特別なものに思えて嬉しかった。
それでも父の前で失敗するわけにはいかず、振り向いて表情を変えることなく「それではまた」と返すことしかできなかった。
顔合わせはこんな感じですぐに終わってしまった。それからすぐに婚約をして、わたくしは彼、マインラートと何度か一緒に出かけたり、屋敷で会って過ごした。だけど一向に距離は縮まらないまま。
それというのも、わたくしはこれまで、女は口数が多くてはいけない、男を立てるものと、両親に言われてきたのだ。マインラートの話に相槌を打つものの、自分の意見は口にしてはいけないと、そこで話が途切れてしまう。
その上、わたくしは楽しそうな表情一つ浮かべることもできない。マインラートが自分の話は余程つまらないのかと誤解しても仕方がなかった。話もそこそこに切り上げて去ってしまうマインラートの後ろ姿を、ただただ見送るばかりだ。
──せめて最後に振り返ってくれたなら。
それならばわたくしも、彼に笑いかけられるかもしれない。少しでも彼がわたくしに興味を持っていると思えたならば、きっと──。
だけど、そんな願いも虚しく、マインラートは一度も振り返ることはない。結局
こんな時、どうすればいいのかを教えてくれる人もいない。そうしてわたくしたちの間に溝は深まるばかり。両親に呼ばれ、そのことを追及されたのはそんな時だった。
◇
「お父様、お母様、お話とは何でしょうか……?」
わたくしはまた叱責されるようなことをしたのだろうか。執務室に呼ばれ、不安のために小声で問うと、父が渋面で答える。
「シュトラウス卿とはうまくいっていないようだな」
自覚していても人から言われると堪える。父の言葉が刃のように心に突き刺さった。それでも表情を変えることなく、わたくしは頭を下げる。
「……申し訳ございません」
「お前は結婚を何だと思っているんだ? シュトラウス程度にしか嫁げない上に、そのシュトラウスにさえ見限られそうになるとは。政略だとしても、対人だ。気に入られなければ意味がないということをわかっているのか? 本来、ブリーゲルであれば伯爵家に嫁いでもおかしくないというのに、お前にそれだけのものがないから、仕方なくこの縁談を受け入れたんだぞ。まったく……」
ブツブツと父は呟き、その隣で母が父を宥める。
「仕方がありませんわ。この子にそれだけの器量や機転はありませんもの。人には相応しい場所があるということなのでしょう」
父を宥めながらも、わたくしを貶しているようにしか聞こえない母の言葉に胸を抉られる。血が繋がった娘にかける言葉なのだろうかと、わたくしは俯いて強く唇を噛み締めた。
悔しくても涙を見せてはいけない。それも両親が教えてくれたことだ。泣けば余計に人は攻撃してくる。両親とて例外ではない。
父はわたくしの様子を気にかけることなく続ける。
「……あちらも政略だから我慢しているんだろう。今はどの家も厳しい。落ちぶれかけのシュトラウス家も必死に違いない。しかも代替わりしたばかりだ。そんな家と縁を結びたいと思う家はないだろうな」
父の言葉はおかしい。それならどうしてわたくしをシュトラウス家に嫁がせるのか。疑問に思ったわたくしは問うた。
「……それならば何故わたくしをシュトラウスに嫁がせようと思うのですか。この縁談に利があるからではないのですか?」
父はわたくしを睥睨して鼻で笑う。
「お前には何の期待もしていない。縁談の持ち込みがシュトラウス家しかなかったから、受けただけの話だ」
「……そんな……っ、ですが、政略だと仰ったではありませんか。わたくしに政略としての価値を見出したからではないのですか……?」
政略としての価値。自分が物にでもなったような、嫌な気分だった。それでも自分が無価値だと言われるよりはいい。そう思ってわたくしは必死に父に訴えた。
だけど、父は一笑に付した。
「そんなわけはないだろう。私が言いたいのは、政略的な価値が付くようにお前自身が努力しろということだ。今のお前には何の価値もない」
──何の価値も、ない……
父の言葉が何度もわたくしの中で木霊していた。認められているとは思ってなかったけれど、ここまで言われるとは思わなかった。
わたくしが生まれてきた意味はあるのだろうか。わたくしはここにきて初めて、自分の存在意義に疑問を持ち始めたのだった。
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