実を結んだ幸せ

 その後、シュトラウスの屋敷に帰ったわたくしたちを、コンラートとユーリが待ち構えていた。叩かれた頬が赤くなっていることに気づいたコンラートがマインラートに、何故もっと早くに助けなかったのかと詰め寄ったり、言いたいことを言ってすっきりした表情のわたくしにユーリがお疲れ様でしたと労ってくれたりと、様々なことがあった一日だった。


 後日、ブリーゲルから援助を引き上げたシュトラウスに、引退したわたくしの両親から抗議の手紙が来たけれど、マインラートとコンラートは一蹴していた。


 わたくしのところにも、お前は家族を裏切ったとか、家族にする仕打ちではないと罵倒するような内容の手紙が届いた。だから、自分はとうの昔にブリーゲルから縁を切られているし、無価値な自分がシュトラウスで好き勝手ができるわけがないとだけ返事を出したら、それ以来音沙汰はない。


 そして、クルトは爵位を返上せず、ブリーゲルの当主であることを選んだ。ただ、シュトラウスが援助を引き上げたことで他家に援助を求めたけれど、どこも頷かなかったようだ。


 それでも不正をしようものならシュトラウスが告発すると言ってあるので、泣く泣く真面目に領地経営をやっている。


 税も下げられたので、領民の生活が少しでも楽になればいいと思う。シュトラウスが一方的に援助を打ち切ったけれど、領民たちには何の落ち度もないのだ。だから、クルトに気づかれないようにブリーゲルの領地の様子をちょくちょく報告してもらっている。


 ◇


「そういえば、以前引退したら二人で何がしたいかと聞かれたことがありましたよね」

「ん? 急にどうした?」

「いえ、ふと思い出したので」


 二人で庭のベンチに腰掛けて隣のマインラートに話しかける。


 引退したとはいえ、コンラートとユーリが忙しそうで未だに手伝っているために、まだ自由ではないのだけど。


「それで、あなたは何がしたいのか決めました?」

「いや、それが、なかなか思いつかないんだ。仕事仕事の弊害だな。あの時は旅行もいいと思ったんだが、旅行に行っても仕事に関連したことばかり考えてしまうだろうからちょっとな」


 マインラートは苦笑して、今度は反対にわたくしに問い返す。


「君はどうなんだ?」

「それが……わたくしも同じです。二人でしたいことというと、なかなか思いつかなくて。ですが、あなたにしてみたいことはたくさんあるんです」


 わたくしはそう言って小さく笑う。マインラートは首を傾げる。


「私にしてみたいこと?」

「ええ」


 これまでにたくさん与えてくれた幸せを少しずつ返していきたい、彼を喜ばせたい、そんな気持ちでいっぱいだった。


 ただ、わたくしだけではマインラートのことをわからないところもあるので、コンラートやユーリにも相談して、協力してもらっている。


 マインラートは眉を顰めて何やら悩み始めた。


「どうしたんですか?」

「いや、まさか、私は恨まれているのかと……」

「何故です?」


 不思議に思って尋ねる。わたくしがマインラートを恨む理由は何かあっただろうか。今度はわたくしが首を傾げてしまった。


「いや、まあ、別の女性と関係を持った上に子どもまでいれば、充分恨まれてもおかしくはないんだが……」

「ああ、そのことですか。わたくしもあなたのことを言えませんから……それともまだレーネ様を愛していらっしゃるのでしたら、わたくしは潔く身を引きますが」


 過去は過去だから気にしなくていいと言っているのに、マインラートは未だに気に病んでいる。あまりにもレーネ様を引き合いに出すので、反対にまだ気持ちがあるのかと疑いたくなるのだけど。だから、ついついこうして可愛くないことを言ってしまう。すると、マインラートは目に見えて慌てる。


「いやいや! そんなわけはないだろう! それに彼女に捨てられたのは私の方だよ」


 予想外の言葉にわたくしは目を瞬かせた。彼女は命を断とうとするほどマインラートを愛していたのではなかったのだろうか。


 マインラートは自嘲するように笑う。


「……私が悪いんだ。君と離縁して彼女と再婚することも少しは考えたんだが、コンラートを母親から引き離すのも、居場所のない君を追い出すこともできなかった。それで彼女が結婚が決まったから別れて欲しいと言って、そのままだ。私は追いもしなかったし、彼女からはそれから一度も連絡はなかった」

「……それならやっぱりわたくしのせいですわね。レーネ様はきっと、子どもができたことに気づいて、あなたを苦しめたくなかったから、そこで別れを切り出したのでしょう」

「それも違うと思う。不甲斐ない私に愛想を尽かしたのだと思うよ」


 マインラートはそう言うけれど、同じ女だからわかる。マインラートが選べないのをわかっていて関係を持ってしまったレーネ様には罪悪感があったのだと思う。だから自分を選べと言えず、黙って身を引いたのだろう。


 二人が本当に愛し合っていたのだとわかって、嫉妬で胸が焼けつきそうだ。遊びなら許せるけれど、本気は許せないという知人女性の言葉を思い出す。


 俯くわたくしの顔をマインラートが覗き込もうとする。今は顔を見られたくないと、手で押し返す。


「すまない、アイリーン。怒ったのか?」

「いえ、今はみっともない顔をしているので見ないでください」

「思ったことを言ってくれないか? 君はまた我慢しそうだから」


 心配そうなマインラートの声音に、ちらりと顔を向ける。そしてまたふいっと顔を背ける。


「……つまらないことです。あなたの過去に嫉妬したんです。終わったことだとわかっていても、やっぱりお二人は愛し合っていたのですね」

「もう、遠い昔のことだよ。だからこそ彼女はコンラートに相談したんだろう」

「どういうことです?」

「向こうも過去だと思っているから私には会いたくない。だが、頼らないと娘を守れない。苦渋の選択という奴だろう」


 そうなのだろうか、だけど確かに言われてみれば、そういう気もする。


「信じてくれるか?」

「ええ……」

「それなら私にしてみたいことって何だ?」


 マインラートは真剣な眼差しでわたくしを見ている。本気で自分が恨まれていると思っているのだろうか。ここでわたくしのいたずら心が刺激される。先程まで嫉妬させられていたのだ。これくらいの意趣返しなら許されるだろう。


「さあ、どうでしょうね。その時を楽しみに待っていてくださいませ」

「アイリーン?」


 不安そうなマインラートに小さく笑う。

 感謝こそすれ、恨むわけがないのに。


 遠回りをしたけれど、こうしてわたくしの幸せは実を結んだ。すれ違ったり間違ったり、時に傷つけあったり。


 幸せとは、足掻いてもがいて手に入れるものなのかもしれない。弱かったわたくしはそれを知らずに、傷つくことが嫌で何もしなかった。


 今はみっともなくても、必死に手を伸ばそうと思う。こうして受け止めてくれる人がいるのだから──。


「マインラート」


 わたくしが名前を呼ぶと、マインラートはごくりと唾を飲み込む。


「……どうした?」


 その顔が笑顔になるのを見たくて、たった一言だけ告げる。


「愛しています」


 途端にマインラートは破顔する。


「私も愛しているよ」


 そして唇が重なる。その様子を影からコンラートとユーリが見ているとは知らずに、後々恥ずかしい思いをさせられるのだけど、それもまた幸せなことだと開き直るのだった。

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