自分なりの愛の形
「それで、これから何をなさるのですか?」
朝食が終わってもまだ部屋に留まるマインラートに尋ねる。当主を交代するにしても、いずれとマインラートは言っていた。それなら仕事をしなくてもいいのだろうかと不思議に思う。
「君は何がしたい?」
にこにこと問い返されて、言葉に詰まる。この人はこんなにわかりにくい人だっただろうか。何か意味があるに違いないと、更に問い返す。
「……それが何か関係があるのですか?」
マインラートは虚を突かれた顔をして眉を下げる。
「いや、せっかく君も気がついたのだし、まだ思うように動けないだろう? どこか行きたいところとか、やりたいことがあれば私が手伝おうと思って」
「ですが、お仕事はよろしいのですか? あなたはまだ当主でしょう?」
「ああ。今はコンラートが私の代行をしているんだ。領地の見回りは任せているよ。私はここで書類仕事をしているだけだから心配しなくてもいい」
いつのまにか変わっていることに戸惑うけれど、その一方で嬉しくもある。
「……それではコンラートとはうまくいっているのですね」
「ああ。最初は喧嘩ばかりだったんだが」
マインラートは苦笑する。それでも喧嘩どころか日常会話すらなかった頃からするとすごい進歩だ。どんな変化があったのかと不思議に思う。
「一体何があったのですか?」
「何が、というと、君が倒れたことがやっぱりきっかけにはなった。コンラートも私も、君を追い詰めたのはお前だと詰りあって、本当に醜い争いだったよ。しかも君の世話をするのは自分だと奪い合って、しまいにはユーリに叱られたんだ。これ以上お義母様を傷つけないで欲しいと」
「そう。ユーリが……ですが、奪い合いではなくて、押し付け合いではないのですか? わたくしはコンラートに憎まれてもおかしくありませんし、あなたがわたくしを見限ったからといって恨んだりはしません。わたくしにはそれだけの理由がありますから」
悲しむ権利もないだろう。淡々と告げるわたくしに、マインラートは顔を歪める。
「……私は本当に馬鹿だな。君が何故そんな風に思うのか、そんなことも考えたことがなかったよ。私は自分が大変だからと、君に色々無理を強いてきた。君の辛さにも気付かず。この家がここまでになったのは君が共に頑張ってくれたからだ。私は感謝しているよ。それにコンラートはただ、君に振り向いて欲しかっただけなのだと思う。子どもにとって母親は特別だからな」
「マインラート……」
そんな風に思っていてくれたとは思わなかった。
わたくしが実家から援助を引き出せていれば、マインラートはグヴィナー伯爵夫人と関係しなくてもよかったはずだ。それに、レーネ様とも一緒になることができただろうに。
だけど、わたくしはマインラートに無理を強いられたとは思っていない。
「……わたくしもあなたに感謝しています。こうしてここに置いてくださって。何より、あなたのおかげでコンラートがいるのです。本当にありがたいと思っています。ですが、わたくしはあなたに無理を強いられたとは思っていません。わたくしが勝手に心を閉ざしただけのこと。あなたがそこに責任を感じる必要は全くありません。当主の座から離れるのなら、これまでできなかったことをしてください。わたくしのことなど気にせずに」
マインラートはもう無理して好きでもない女と一緒にいることはない。
わたくしにはコンラートがいる。あの子が小さかった時は手をあげてしまいそうで怖かったけれど、あの子はもう立派な成人男性だ。むしろわたくしの方が力では敵わない。
そういうこともあって、もうコンラートをわたくしから守るために敢えて遠ざける必要はない。それに、ユーリがいてくれるから、どう付き合えばいいかとそこまで悩むこともないだろうと思っている。
嫌味ではなく本心だったのだけど、いかんせんわたくしは表情を変えることが苦手だ。そのせいでマインラートに誤解させたらしい。マインラートは目を伏せて自嘲する。
「……私はもう見限られたのだな。当然だ。君が苦しんでいる時に仕事にかこつけて別の女性と関係した上に子どもまで作っていたのだから」
「……そういうつもりでは。あんな冷え切った家に帰っても余計に疲れるから、あなたが
それにマインラートはレーネ様を愛していた。むしろ二人の邪魔をしたのはわたくしの方だと言える。
確かにわたくしとマインラートが先に出会って結婚をした。それを後から出てきたレーネ様が何食わぬ顔で人の夫に手を出したように他人からは見えるのかもしれない。
だけど、夫や息子から目を背けて家族を壊したのはわたくしだ。わたくしに罪がないとは間違っても言えない。
それを謝られると反対に辛い。
「……わたくしのことは放っておいてくださって結構です。行ってください」
「……私は邪魔だろうか」
マインラートがぽつりと呟く。本当に違うのだと、わたくしは慌てて声を上げる。
「違います……!」
その拍子にまた目眩がして、体が崩れ落ちそうになるのをマインラートが慌てて前から抱き留めた。
「まだ本調子じゃないのにすまない。休んだ方がいいか?」
心配そうな声音に、胸が温かくなった。どうあっても離れないのなら、今だけは甘えていいだろうか。これも体が弱っているせいだと自分に言い聞かせる。
「……いえ。あなたが退屈でないのなら、この一年半のことを聞かせていただけますか? コンラートや、ユーリ、生まれた子のことを──」
「ああ。もちろんだ」
マインラートは嬉しそうに笑う。その笑顔に、見失っていたかつてのときめきが蘇る。
わたくしはこの笑顔が好きだった。いつのまにか笑わなくなり、難しい顔をするマインラートに心が痛んだ。
マインラートも今、心穏やかに過ごせるようになったのだろうか。それなら嬉しい。
わたくしは自分のことばかりで彼の気持ちを考えることができなかった。間違った愛し方しか知らなかったから。
本当の愛とは、相手の心に寄り添うことなのかもしれないと、自分の罪に気づいた時にそう感じた。だから彼を解放したい。
愛された記憶のないわたくしには、正しい愛の形なんてわからない。それなら、自分なりの愛の形を示そう。
マインラートの幸せのために──。
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